小さなふとん屋さんが作ったふとん博物館のお話
 (株)ワタセ 社長 辻 貴史
<月刊 染織α SENSHOKU ALPHA 1998 6月号掲載>

遠い記憶の中の甘い思い出

 滋賀県は安土町のワタ屋さんで大婆さんから数えて四代目として生まれた私は四七才。屋号は「綿清」で、小さい時からワタの匂いとお布団に囲まれて育ち、綿工場は私と友達の格好の遊び場でした。当時、製綿機械は叔父が動かし仕立て場は叔母の領域でした。綿の原料倉庫に友達を連れて来ては、月光仮面を真似て飛んだり跳ねたり、あるときなどは工場で、友達がモーターのベルトに人差し指を挾まれてペシャンコになりびっくりしました。不思議なことに赤チンを付けただけで元に戻り、ほっとしたことは今でも時々思い出します。

 仕立て場では新綿や打ち直しの綿でお布団や座布団を作っていて、綿の上を走っては叔母によく叱られたものです。真綿を広げたり、トジ糸の糸巻きの時などにはよく手伝わされました。

 製綿したてのフワフワした綿が膝あたりまで幾重にも積み上げられ、手品よろしくクルリとひっくり返して、布に収めてお布団にするのです。綿入れの作業は、まるで布団と相撲をとっているような、額に玉の汗をかいての仕事です。綴(と)じや、くけの針仕事の時には一転して、穏やかで落ち着きのある時間が流れていました。仕立て上がったお布団はフワフワとして柔らかく、とても優しく気持ちの良いものでした。

 お布団は、ワタと布、そして空気からできているのです。 綿の匂い、綿打ち機械のモーターの音、器用に針を進ませる叔母の手、うっすらと浮かんだ汗の輝きと楽しい話や笑い声。こうした仕事場での子供の頃の風景は、お布団と共に私の「遠い記憶の中の甘い思い出」 なのです。それは、やわらかい「ワタ」であり、優しい「手」づくりであり、それに包まれて眠る「幸せ感」であります。 私にとって「フトン」とは単に仕上がった製品ではなくて、それが出来上がるに至るまでの手を掛けた工程であり、さらに遡って原料としてのフワフワした綿花まで一体となったものなのです。

家業を継ぐことになって

 今から二一年前に親父が町長に立候補するのを機に、東京からUターンして家業を継いだのは二七才のときです。最初は車の免許も持っていなかったので、後輩を呼び付けて車の運転をさせて営業に出かけた事など今では楽しい思い出です。
 小さい頃よりの見様見真似でそれなりにはこなせるものの、仕事の本質はただこなすことではなく、勿論単に金儲けでもなく、職業は個人の人生の中での大きな社会参加であると考えていました。それが職業であれ、街づくりであれ何であれ自らの社会参加の活動は、同じ志を共有できる仲間を集めて共に取り組むことから始めようと考えています。家業を企業へと育てるべしと、友人、後輩に声を掛けたり求人広告等で社員を募りました。

 当初の五年間はなかなか人も長続きせず、賽の川原に石を積んでいるような無念さもありましたが、一〇年経ってようやく一〇名強の社員が育ち次のステップへと踏み出せたのは昭和の終わり頃です。ふとんの工場、店舗、営業部と部門の柱ができ、今では社員、アルバイト併せて二三名で楽しく仕事をしています。

ねむねむはうすとコットンボール

 平成元年に従来の店舗を閉鎖して、布団工場の敷地にねむねむはうすをオープンしました。この店のコンセプトは、従来のお布団屋さんの守備範囲の時間帯を前後二時間ずつ増やして夕方の七時から朝の一〇時迄をネムネム(眠い)の時間と位置付け、その時間帯軸でのライフスタイルのマーケティングなのです。
 ビデオとCDレンタル、ホームウェア、雑貨などのアイテムを追加して、眠りの時間だけでなくネムネムのくつろぎの時間を楽しく快適に過ごせるような生活の提案なのです。大型店のように何でも全てを取り揃えての売り場づくりではなくて、スタッフの若い感性を主体においての物づくり、商品の仕入れ、陳列の工夫、そして接客を通して、ライフスタイルの提案を目指しました。

 平成九年にねむねむはうすの隣のふとん工場に隣接してオープンしたコットンボールの店舗部分は、これまでの方向性の延長であり、必然の結果といえます。コットンボールでは主に輸入家具、輸入雑貨を取り入れて、自分達が生活したいと感じられる部屋全体の提案を目指してます。
 二つの店舗では、若い感性が自由にそして懸命に働いてる息遣いが財産なのです。

ふとん博物館

 一〇年近く前から安土小学校の三年生の課外授業の一つとして、布団工場の見学会の説明をしてきました。
 綿の産地、特性、布団の歴史、製綿工程、仕立ての工程などを見せて、触れて、話しての説明です。毎年説明してきて、その都度子供達の顔の中に私の「遠い記憶の中の甘い思い出」が甦りました。

 私が一番に子供たちに伝えたいことは、布団の出来上がるに至る思いなのです。学ぶと云うよりはむしろ感じることなのです。おふとんを作る作業はワタ、布、針、糸を使っての母親のイメージなのです。
 子供達の見学がきっかけで、数年前より温めてきたのが「ふとん博物館」であります。小さなふとん屋さんが作ったふとん博物館ですから、皆さんの想像される博物館とは随分違うかもしれませんが、しかし、ふとん屋さんとして伝えたいことが沢山あります。また学びたいことが沢山あります。そんな学習の場としてのスタートなのです。

座布団は日本の坐る文化です

 生活空間を提案したコットンボールから工場の作業風景がガラス越しに見えます。熟練の手がそこにあるのです。生活様式はその国の文化です。
 例えば座ること、ヨーロッパでは椅子が生まれ、イスラム圏では絨毯が織られ、日本では座布団が使われてきました。それぞれが伝統工芸で、座布団の生地の織、染色は勿論ですが、仕立てにも関しても、ヨーロッパのクッションのようにワタを単に詰め込むだけではなく、もめん綿をタテ、ヨコ順に満遍無く敷き、角を張る等、座りごこちのよい座布団を仕立てるにいいは相当手なれた熟練を要します。一人前の職人になるには二千枚以上の座布団を仕上げなければなりません。

 ご存じの方もあるでしょうが、勿論敷き方にしても作法があり、また用途に応じて寸法にも、夫婦判、八端判、銘仙判、もめん判といろいろな大きさに分かれています。座布団は正方形だと思っておられる方もあるようですが、長方形なのです。そのうえ座布団にも裏と表、前と後ろがあるのです。
 ふとん博物館では、手作り座布団の体験教室を随時開催してます。これからは染色を勉強して、無地の生地に絵付けをして座布団に仕上げていく体験教室もしていきたいと思っています。

コットン MY LOVE

 コットンボールの名称は綿花より頂きました。コットンのあるくらしがテーマなのです。花壇でワタを栽培して来店されたお客さんにも種を進呈しています。
 もめんと人の歴史を調べてみると五千年という永い付き合いに驚かされます。日本で木綿(もめん)が作られるようになったのは、そう古くはなく安土桃山時代の頃からです。江戸時代になって寝具は豊かになったようですが、綿入り蒲団は庶民にとっては高嶺の花で、紙、藁、草、海草、樹皮などが使われていたようです。

 もめんワタは私達人間にとって、その白いフワフワ感が憧れだったのです。掛け敷き布団一組に要するワタの量は一〇kg程度で、収穫に必要とされる耕地の面積は六〇坪程です。五人家族では三〇〇坪の耕地が最低必要なのです。座布団一枚には一六畳の部屋相当の耕地を要するのです。しかもワタは一毛作で、一年に一度しか収穫できないのです。コットンは大切な資源であり、私達の永い友達であり生活の憧れなのです。

リサイクルができるのです

 最近の環境問題で、粗大ゴミのワースト3に布団、マットレスの二つも名を連ねていることに大きな責任を感じます。今から三〇年ほど前の高度成長の頃から、もめん綿の代替品として、合成繊維、動物繊維(羊毛、羽毛)の寝具が大量消費され、寝具も使い捨ての風潮になったのです。

 合成(鉱物)繊維や動物繊維と異なり、植物繊維のもめん綿は再利用ができるのです。昔からふとん屋さんは「打ち直し」をして、今で言うリサイクルを行ってきました。「打ち直し」とは、使ってる間に、ワタの繊維が固まったり切れたりして十分な空気を含めなくするために「煎餅布団」状態になったワタを、製綿することによって、短すぎる繊維を除去したり、新綿を足して若返らせ、繊維を整え、よく空気をふくむフックラしたワタにすることなのです。晴れた日におふとんを干して、フトンタタキすることも、家庭でできる簡単な打ち直しです。
 数年に一度はうち直しをして、ふとんで十分に利用した後は座布団にするのです。ワタの繊維が、脱脂綿のように脂肪分が無くなった時が最後なのです。コットンはリサイクルもでき、その寿命は五〇年です。

もめんふとんについて

 戦後の物不足の時代は、紡績の落ち綿(糸にならずに紡績機械の下に落ちたクズ綿)が利用され質の悪いワタも多かったようですが、収穫した綿花をそのまま製綿したもめん綿は、肌に優しいから気持ちがよく、吸湿性もあるのです。

 コットンは呼吸しているのです。
 だから夏は涼しく、冬は温かくて寝具に最適なのです。産地国の風土によってコットンの特性も異なります。掛け布団は、軽さ(空気をたくさん含む事)と肌との馴染み具合と吸湿性が必要条件ですから、繊維の細長いメキシコ綿。敷き布団は、適度の弾力性と吸湿性が必要条件ですから、繊維の太短いインド綿と、用途に応じた利用が肝心なのです。超長繊維エジプト綿使用の掛け布団と、インドのアッサム地方の手繰り(ハンドジーン)綿使用の敷き布団は、究極のコットンふとんです。

 ふとん屋さんのお布団は本来、受注生産(オーダーメード)ですから先ず中綿から決めていただきます。綿が決まれば、その後に生地、柄、色を選んで、そして自分の体格に合うようにサイズを決めて側地を縫製して、製綿、綿入れ、仕立ての順でおふとんになります。昔はよく家庭で、紙に包まれた打ち直しのワタでおふとんをつくる光景が見られました。

 もめん綿党の多いことに喜びを感じます。日清紡の奥村専務も、ホテルに泊まられる時には、言わずともちゃんともめん布団が用意されているエピソードがある程の、有名なもめん党です。もちろんですが、私も大のコットン党です。ふとんは私達日本人の生活と深く結びて付いて今日まで使われてきました。気持ちのいい安らかな睡眠は、精神的にも身体的にも深く健康と関わっているのです。

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