文学にみられるふとん

文学にみられるふとん

 ふとんは私たち日本人の生活と深く結びついて今日まで使われてきました。このため文学作品の中にもしばしば取り上げられています。あまりにも身近なため普段は気にもとめないふとんですが、たくさんの文学作品に登場してくるはずです。
 あなたも一度気を付けて探してみてはいかがですが。もし、ふとんが出てくる素敵なお話が見つかったら、ぜひ教えて下さい。

『蒲団』/田山 花袋(明治40年)

 大きな柳行李が三個細引で送るばかりにからげてあって、その向こうに、芳子が常に用いていた蒲団......萌黄唐草(もえぎからくさ)の敷蒲団と、綿(わた)の厚く入った同じ模様の夜着とが重ねられてあった。時雄はそれを引き出した。女のなつかしい油のにおいと汗のにおいとが言いも知らず時雄の胸をときめかした。夜着の襟のビロードの際立って汚れているのに顔を押し付けて、心のゆくばかりなつかしい女のにおいをかいだ。
 性欲と悲哀と絶望とがたちまち時雄の胸を襲った。時雄はその蒲団を敷き、夜着をかけ、冷たい汚れたビロードの襟に顔を埋(うず)めて泣いた。
 薄暗い一室、戸外(おもて)には風が吹き暴(あ)れていた。


『こころ』/夏目 漱石(大正7年)

 私は枕もとから吹き込む寒い風でふと目をさましたのです。見ると、いつも立て切ってあるKと私の部屋との仕切りの襖が、このあいだの晩と同じくらいあいています。けれどもこのあいだのように、Kの黒い姿はそこには立っていません。私は暗示を受けた人のように、床の上に肱(ひじ)を突いて起き上がりながら、きっとKの部屋をのぞきました。ランプが暗くともっているのです。それで床も敷いてあるのです。しかし掛蒲団ははね返されたように裾の方に重なり合っているのです。そうしてK自身は向こうむきに突っ伏しているのです。


『生まれ出づる悩み』/有島 武郎(大正7年)

 君はスケッチ帖を枕許に引きよせて、垢染みた床の中にそのままもぐり込みながら、氷のような布団の冷たさが体の温(ぬく)みで暖まるまで、まじまじと眼を見開いて、君の妹の寝顔を、憐れみとも愛ともつかぬ涙ぐましい心持で眺めつづける。それは君が妹に対して幼少の時から何かの折りに必ず抱くなつかしい感情だった。
 それもやがて疲労の夢が押し包む。
今岩内の町に目覚めているものは、恐らく朝寝坊の出来る富んだ惰(なま)け者と、燈台守と犬位のものだろう。夜は寒く淋しく更けて行く。


『眉かくしの霊』/泉 鏡花(大正13年)

 敷蒲団の綿も暖かに、熊の皮の見事なのが敷いてあるは。ははあ、膝栗毛時代に、峠路で売っていた、猿の腹ごもり、大蛇(おろち)の肝、獣の皮というのはこれだ、と滑稽(おどけ)た殿様になって件の熊の皮に着座に及ぶと、すぐに台十能(だいじゅう)へ火を入れて女中(ねえ)さんが上がって来て、惜しげもなく銅(あか)の大火鉢へ打(ぶ)ちまけたが、また夥多しい。青い火さきが、堅炭(かたずみ)を搦(から)んで、真っ赤におこって、窓に沁み入る山颪(やまおろし)は颯(さ)っと冴える。三階にこの火の勢いは、大地震のあとでは、些(ち)と申すのも憚(はばかり)りあるばかりである。


『痴人の愛』/谷崎 潤一郎(大正14年)

 そして私は寝道具なども、出来ることなら西洋流にしたい思ったのですけれど、ベッドを二つも買うとなると入費が懸るばかりでなく、夜具布団なら田舎の家から送って貰える便宜があるので、とうとうそれはあきらめなければなりませんでした。が、ナオミの為めに田舎から送ってよこしたのは、女中を寝かす夜具でしたから、お約束の唐草模様の、ゴワゴワした木綿の煎餅布団でした。私は何だか可哀そうな気がしたので、
「これではちょっとひど過ぎるね、僕の布団と一枚取換えて上げようか」
と、そう云いましたが、
「ううん、いいの、あたしこれで沢山」
と云って、彼女はそれを引っ被って、独り淋しく屋根裏の三畳の部屋に寝ました。


『温泉宿』/川端 康成(昭和5年)

 彼女らのふとん......掛ぶとんと敷きぶとんの区別がない、つまり敷きのように固い掛けなのだが、そのよごれたものを押し入れから引き出しながら、お滝はふと、
「きょうも爆発を見て来たわ。あのハッパで岩のくずれる、その時の気味のよさったら。」
お雪がぷっと吹き出して、固いふとんといっしょに倒れながら、
「あの煙硝のにおいをかがないと、眠れなくなっちゃったあ。」
そして、両手で顔をおさえたまま突っ伏して、いつまでも気がちがったように笑っていた。


『原色の街』/吉行 淳之介(昭和31年)

 二人は黙ってしまった。彼はしばらく天井を見詰めていたが、しだいに虚脱した気持ちになってゆき、支えの崩れた間隙を酒の酔がうずめはじめた。自分の外側へ向って、たとえばこの街へ、たとえば傍(そば)のへんな娼婦へ向って延びていた触手が、一斉にちぢこまってしまい、のっぺらぼうの球のようになった内側に閉じこめられて、彼は眠りに落ちてしまった。
 あけみは、眼が冴えてしまった。
 傍には、数時間まえ、はじめて会った男が同じ布団で眠っている。それが、にわかに奇妙な理不尽なことに思われてくる。


『夜の声』/渡辺 淳一(昭和50年)

 月夜で空が澄んでいる故(せい)か、廊下の杖の音がいつもよりもはっきりと響いた。音が入り口で一度止まってからドアが開かれた。
 浮いたほうの松葉杖で戸を閉めると、老人は自分のベッドへ戻った。枕元へ杖を二本揃えておいてから、男は軽く弾みをつけるようにしてベッドへ跳び上がった。
 足から布団の中へ入り、掛け布団を目の高さまで引きあげた。それからもぞもぞと丹前で体の周りを囲んだ。二、三度ベッドがきしんだあと、老人の動きは止まった。


『嵐吹く時も』/三浦 綾子(昭和61年)

「あっ!お父っつぁん!」
 志津代は思わず叫んだ。サイの敷いてあった布団の上に、仰向けに順平は倒れていた。
「おっかさん!お父っつぁんが!」
「お父っつぁんがどうしたって?」
 のぞきこんだふじ乃も、あわてて駆け寄った。順平は目をあけたまま、まばたきもしない。
「あんた、あんた!」
 ふじ乃の声が悲鳴に似ていた。


『海峡の光』/辻 仁成(平成9年)

 まだ暗く、天井を見つめながら随分と長いこと迷った。荒々しいため息が何度も口許をついて出た。目覚ましを手繰り寄せると針は五時十五分を指している。家人は隣の部屋で寝ており、襖の隙間の向こう側に、布団の膨らみの微かに動く気配があった。
 両手で顔を掴み、このままここで寝ていたらきっと一生後悔することになる、と自分に向かって声にならない声をあげ、布団を力まかせに剥ぐと、勢いをつけて起き上がった。函館山の中腹に位置する家の、山側に面した窓を開けると、鬱蒼とした山の漆黒がすぐそこまで迫っていた。窓を開けたまま寝巻を脱ぎ捨てた。上膊(じょうはく)部、立毛筋(りつもうきん)の激しく粒だつ鳥肌が走る。

前のページ 次のページ