中学校開校のご報告


〜子どもたちの未来をつくる〜プレマシャンティスクール開校


■ 2009年9月1日 カンパニオン村にプレマシャンティスクールが開校しました

2008年7月31日より進めてきました、中学校建設プロジェクトが形になりました。
カンパニオン村を含む周辺14村の子どもたちおよそ200人が今日からこの中学校に通うことになります。

小学校と保育園を間借りした2教室しかないために、午前組・午後組とにわかれて登校するしかなく授業時間が十分でなかった子どもたち、さらには、これまで学校に通うことができなかった子どもたちが、5つの教室にわかれて授業を受けられるようになりました。


学校名「プレマシャンティ」について
サンスクリット語で・・・
「プレマ」は聖なる愛を、「シャンティ」は内的な平和を意味し、
愛と平和という意味が込められています。


これから学校に通う生徒たち。 校舎は1階建てで5教室あります。 校舎の壁に掛けられたボードに校名が記されています。
〜 Prema Shanti School 〜



■ 牛たちもやさしいのです

中学校に通うことになる15の村々からは、闘牛のために牛がやってきていました。
村の人たちが自慢の牛をひいて、山道をひと山越え、ふた山越えと歩いてきてくれたのです。
闘牛はふだん、お正月や祝い事など、特別な日にしか行われないのだそうです。
自分たちの子どもたちに教育を受ける場ができたことを、村の人たちが心から喜んでいる現われだと、今回開校式ツアーのガイドをしてくださったフンペンが教えてくれました。

弊社スタッフを含め、ほとんどのツアー参加者は闘牛を生で見るのは始めて。興奮した牛がこちらに突っ込んで来はしないかとヒヤヒヤしながら立っていました。・・・が、なんと穏やかな闘牛なこと。仕掛け役の人がいくら大きな声で追い立てようとも、2頭をちょっぴり強引に近づけようとも、ほとんどの牛はいっこうに戦おうとしないのです。「イヤだよ〜。僕戦いたくなんかないんだけど」そんな風に言っているようにも見えます。

フンペンさんによると、「友だちだから仲良くしましょう」と牛同士が話し合っているのだとか。ラオスでは、牛たちも穏やかでとてもやさしいのです。


「開校式は10時スタートだけど、牛たちがやってくる時間によるから、いつ始まるかはわからないよ♪」と言われ、2〜3時間は遅れを覚悟していましたが、お昼をまわることなく順調にスタートとなりました。

珍しく闘牛が始まりました。 戦い尻目に・・・モグモグ。ご飯のほうがいいんです。


■ 出席者で教室はいっぱい

開校式には、夏休みを終えた子どもたちのほか、村長さん、長老さん、学校関係者、教育省関係者、県の副知事、さらにはラオス赤十字代表など、各方面から本当にたくさんの方が出席してくださいました。プレマシャンティスクールが建っている、この土地の不発弾撤去作業を担ってくれたMAGラオス・シエンクワン事務所の責任者ソートさんも駆けつけてくれました。出席の方々が紹介される度に、ラオスにおいて学校建設がどれほどの意味を持つのかを感じさせられました。

代表の中川から祝辞が、校長先生から謝辞が交わされ、校舎の鍵の贈呈が行われました。この日のために手作りで贈呈式用の鍵を用意してくれていたのです。優勝賞品として車を贈るときみたいですね!

写真でお気づきのように、私たちは開校式のコスチュームに浴衣を選びました。
モン族では民族衣装が大事にされいてるので、私たちも日本の民族衣装で臨むのが喜ばれるだろうと考えたのです。


宿泊先で朝から着付けをし合い、張り切って車に乗り込みプレマシャンティスクールまでやってきました。

浴衣にして正解!
女の子が制服として身に付ける「シン」と浴衣が少し似ていることもあるのか、自然に場に溶け込むことができました。スーツでびしっと正装していたらすこ〜し浮いていたことでしょう。

まずは建設会社より弊社へ、校舎の鍵が譲渡されました。 続いて、弊社中川より学校(校長先生)へ鍵の贈呈を行いました。 教室いっぱいにたくさんの方が集まってくださいました。


■ 日本に届け プレマシャンティスクール開校のしるし

鍵の贈呈が終わり、校庭に案内されると、目に飛び込んできたのはカラフルな風船のアーチが取付けられたプレマシャンティスクール開校がしるされた横断幕。


開校式

ノンヘット郡、バン・カンパニオン村の中学校

出資・支援元:プレマ株式会社、テラ・ルネッサンス、ラオス赤十字

ラオスと日本の友好関係に万歳!


横断幕には、こう記されていました。


リボンカットを行うと、なんと風船アーチとともに布旗が澄み切った青い空に舞い上がっていくのです。あれよあれよと言う間に風にのって豆粒のように。


「日本に届くかもしれないね。日本に届いて、“日本の人たちがこの地にプレマシャンティスクールを建ててくれました”ということを、日本の人たちが知ってくれるといいね」


そばにいた方が、振り返り、そう声をかけてくれました。
ラオスの人々の心のやさしさと純粋さに、胸をぐっとつかまれました。

鮮やかな風船アーチと横断幕。 舞い上がる横断幕を見上げながら、
自然とみんな拍手。
空高く飛んでいきました。



■ 皆様からお預かりした文房具を子どもたちに手渡しました

えんぴつ・カラーペン・ノートなど、文房具のたくさんのご寄付、本当にありがとうございました。
子どもたちに確かに手渡してまいりました。


ラオスに限らずですが、貧困と言われる地域では、教科書が買えないから、文房具が買えないから、制服が買えないからといった経済的な理由で学校へ通えない、あるいは中退する子どもたちがいます。
皆様からお寄せいただいた文房具は、これから子どもたちが授業を受けるなかで使われていきます。

ひとつひとつしっかりと手渡ししてきました。 サッカーボールも贈呈しました。 チャーミングな学校の先生たちと。


■ 民族舞踊、民族楽器の披露

人の輪ができた中で、子どもたちが音楽にあわせ民族舞踊を披露してくれました。
この日のために練習をしてくれたのか、動きを思い出し思い出し踊ってくれた子もいました。

ペアで踊るものもあり、女の子は男の人を、男の子は女の人を「一緒に踊っていただけますか?」と踊りに誘います。
民族衣装に身をつつんだ女の子のお誘いを受けた中川は、突然のことに「え〜!どうしよう?!」とかなり恥ずかしそうに踊りに参加。中川を冷やかしていたスタッフやツアー参加者のもとにも、次々とお誘いが。こんなとき、つい「正しく踊らないと」と思ってしまうのですが、大事なのは動きがあっているかではなく、みんなとの踊りを楽しんでいるかどうか。大勢の人の前なので恥ずかしさもゼロにはなりませんが、楽しく踊らないと、ですね。

音楽に合わせて一緒にダンス。 男性による民族楽器の披露。


■ 大切な人の幸福と成功を祈る儀式「バーシー」

開校式の終わり、現地の人々がバーシーという儀式を行ってくれました。
バーシーで中心に置かれるのは、バナナの葉でつくられた円錐形の塔。赤やオレンジといった暖色系の花、ロウソク、たくさんの白い糸が飾られ、鶏やバナナ、お菓子などが供えられていました。

長老さんによる厄払いが終わると、長老さんに続き儀式参加者が塔に飾ってあった白い糸を取り、かわるがわる幸福や成功を祈る言葉を唱えながら私たちの手首に結んでくれます。数分もすれば、手首は結わえられた白い糸でいっぱいに。こんなにもたくさんの人に幸せを願ってもらうと「あぁ、まだまだ私は頑張れるな」と、静かだけれども確かな強い気持ちが湧いてきました。

バーシーの始まりは、厄払いから。 長老さんに結わいてもらう弊社スタッフの山下。 次から次へ、押し合いへし合い手首に糸を結んでくれます。


幸せを願ってくれたラオスの人々の笑顔、子どもたちの笑顔が続くよう、これからもラオス支援事業に取り組んでいきたいと思います。



<プレマシャンティスクール開校を迎えて>

■ 「はじめの一歩」

常務取締役 中川葉月開校式の日、「プレマシャンティスクール」の校舎前は、スコールの後で地面はぬかるんでいました。ぬかるみからひょっこりと奥にあった石が顔を出しています。1歳半の息子は、泥だらけになりながらその石を掘りだし、無邪気に投げて遊んでいました。


もし、この石が「ボンビー(クラスター爆弾の子弾)」だったら・・・。
この瞬間、息子は私の目の前でいなくなってしまうだろう。


この国では、生活の中に不発弾が当たり前のように存在しています。お米をつくる田んぼに。子どもたちが遊ぶ丘に。水をくみにゆく川辺に。そして、この身近にある「不発弾」という「生きた爆弾」によって、多くの命が失われ、数え切れないほどの犠牲者が生まれ続けているのです。それは、今起こっている戦争ではなく、歴史上はすでに終わったとされる戦争によってもたらされている、現実でした。


「私たちにとって、戦争はまだ終わってはいない」


ラオスでガイドをしてくださった、フンペンさんの言葉が胸に刺さります。

中川は、以前よりことあるごとに「学校を建てたい」と、言い続けていました。プレマが産声をあげて間もないころは、お金も時間も人も何もなく、学校を建てるということに現実味はありませんでした。しかしながら、不思議なことに私は「そんな夢のような話」というようには、受け取っていませんでした。それは、中川があたかも“すでに学校を建てた”かのような、口ぶりで将来を話していたためです。きっと、話をするたびに、中川の脳裏に鮮やかに描かれていた未来の「プレマシャンティスクール」が建築されていたのでしょう。

そして、ついに、開校式を迎えることができました。

不発弾撤去の終わっている学校に、笑顔と一緒に子どもたちがあふれています。
セレモニーでは、雲の隙間の青い空へ、色とりどりの風船とともに、「プレマシャンティスクール」開校を告げる横断幕が上ってゆきました。

そこには、


「ラオスと日本の友好関係に万歳!」


と書かれていました。


まるで、このプロジェクトに力を与えてくださったすべての方の想いが、天高くとばしているようでした。

“やっと、一歩を踏み出したんだ”


と、私は感無量で胸が熱くなりました。いつしか、「学校を建てる」という中川の夢が私も当然のように夢になっていたのです。ここで一人でも多くの子どもたちがしっかりとした教育を受け、そして戦争に翻弄されない地球をつくる力になって欲しいとの願いが巡りました。

開校式の後にみた、ただ広く美しい丘に無数に埋もれていた「ボンビー」。雨が降れば、息子が遊んでいた石のように、ひょっこりと地表に顔を出してきそうでした。


“ラオスに学校を建てました!”が、決して夢のゴールではない。


ということを、強く私自身に刻みつけました。

(プレマ株式会社 常務取締役 中川葉月)



■ 現地の方の声

― 現地日本語ツアーガイド フンペン・メカシン氏 ―

メカシン・フンペン氏ラオスの子どもたちに不足しているもの。それはなんといっても教育の機会です。
アジア諸国がすばらしい経済成長を遂げる中、未だ貧困に苦しむラオスが経済的な自立と発展を実現させるためには、若者たちに適切な教育を受けさせることが最も重要であると考えています。教育を後回しにすればするほど、経済発展は先延ばしになると確信しています。国家における教育機会の整備の重要性について、プレマシャンティスクールの開校式の場で中川社長が言及されたことには大きく共感し、また心から感謝をしています。

ラオスには肥沃な土地がありながらも、無数の不発弾が存在するため、十分に農地を拡大できずにいます。山間部では極めて苦しい生活を強いられていて、子どもたちの通う学校を作ることもできません。政府は屋根に使うトタン板は提供してくれますが、それ以外の資材は地元の村民が負担することになります。安い木材で建てると、あっという間にシロアリの被害に遭って5年と耐えません。コンクリートで作られた学校は、子どもたちはもちろんのこと、村民全員のあこがれであり、明るい未来への希望であるのです。

今回の開校式にあたり、子どもたちを通わせることになる15の村から、10〜15kmの山道を越えて合計25頭の水牛が集まってきました。式典を盛り上げる闘牛は本来、新年や祝い事のときにだけ行われる特別なイベントですが、こんなにたくさんの水牛を集めて行われた闘牛は私自身も初めて見ました。この盛大さは、村の人々の喜びの大きさを示しています。みんな本当に、自分たちの大切な子どもたちの将来をとても楽しみにしているのです。

本当はもっと時間があれば、夜までお祭り騒ぎは続いたことでしょう。あいにくの雨で早々にお開きになりましたが、それでも彼らの喜びは変わらないはずです。
今回に限らず、村人たちは日本から訪問して下さる皆さんをいつでも大歓迎しますし、今回参加されなかったスタッフの皆さんはもちろん、この中学校建設を支えて下さったお客様にもぜひ、立派に完成した学校と子どもたちの明るい笑顔を見に来ていただきたいです。

私は若い頃に海外青年協力隊の皆さんから日本語を学ぶ機会に恵まれ、お陰様で15年前からは日本からのお客様にラオスをご案内するツアーガイドをしています。一般の観光客の皆様はもちろん、政府やNGOなどの現地視察、テレビ番組の取材その他、様々な形でラオスを紹介してきました。
ラオスは本当にすばらしい国です。豊かな自然もありますし、歴史的建築物や古く美しい街並みは、世界遺産にも登録されています。また古代のミステリーを残した遺跡も数多く現存します。人々はおだやかで信仰深く、文化や伝統を大切にしています。観光客の皆様にはもっともっとラオスを大好きになってもらいたいと思っています。
しかしながら、今のところ日本語のツアーガイドはラオス国内に30名しかおらず、ガイドとしての知識もまだまだ十分とはいえません。私自身、今は旅行会社に勤める身ですが、近い将来、自ら旅行会社か宿泊施設を立ち上げて、もっともっと魅力的なラオスの素顔を紹介できるガイドを育てていきたいと考えています。

世界中からラオスを訪れる人々が増えれば嬉しいです。そのために私は、これからも毎日ラオスの魅力を伝えていきます。

フンペン氏サイン。フンペン・メカシン



■ ラオスを訪れて・・・

中学校開校式ツアーに参加された方々から、開校式、ラオスについての感想をいただきました。

― 「プレマ・シャンティ中学校」開校式に出席して ―

佐々田文子様ラオス北部山岳地帯のシエンクワン県ノンヘット郡に新築の「プレマ・シャンティ中学校」は、雨季でぬかるんだ赤土の色を包み込むように白く美しく輝いていました。

地元の人々にとって開校の喜びと感謝の気持ちがいかに大きいものかを、驚くほど盛大なセレモニーで知ることができました。恥ずかしがりのラオス人気質同様に穏やかでのどかな闘牛、中学生男女のダンス、色彩の大変美しい民族衣装での踊り、成人男性の伝統的舞踊…。奥ゆかしく丁寧な接待による会食。村人は滅多に食べられないという牛肉料理。一体どこからこれほどの人々が集まってきたのか、本当に大勢でのお祝いの場でした。


私は1950年、終戦後のベビーブーム生まれです。ラオスの状況は日本の昭和20年代に似ていると感じます。日本が失ってしまったと思える雰囲気を数々持っているラオスですが、その現実はとても厳しいことを現地に出かけて実感しました。
通訳をしてくれたフンペンさん、ラオス赤十字シエンクワン県支部の会長さんは、私と同世代でした。彼らが兵士として戦っていた頃、豊かになっていた日本で、反戦・反体制の学生運動をしていた私たち若者が果たしてどのくらいの想像力で思想を語っていたのか…。

そんな事を考えると、笑顔のチャーミングな「テラ・ルネッサンス」の青年スタッフ江角さんの、自然体で心に国境のない活動家の姿に感動を覚えます。そして今このタイミングで、必要な支援と行動ができる「プレマ」の社会貢献はすばらしいと思います。


教育を受けることで、生まれてきた自分に気付き、自分を知り、自分を考えることができ、自国の歴史を学ぶことで世界と共存・共生することができるのだと思います。存在する生命の基本的な権利です。今回の旅は、私なりの柔軟な社会貢献を考えるきっかけとなりました。本当に貴重な体験をさせて頂き、ご一緒できた皆様には心より感謝申し上げます。

(島根県益田市  佐々田文子様)

― 強く、そして穏やかに生きるラオスの人々と出会って ―

嘉納未来子様三人の子どもの母ですが、パパの協力のもと参加させていただきました。

幼い頃から世界中に貧困で苦しんでいる方々のことは知っていましたが、ラオスに置かれている現状を目の当たりにし、人間として、母として激しくショックを受けました・・・。

街や村にいて人々と接しても、そんな悲劇を、被害者意識をまったく感じないのに、ラオスの歴史や今おかれている現状を伝えるビデオを現地の義手・義足支援センター「COPE」で見て、その悲惨さとのギャップに思わず涙が出てきました。
知らなくてごめんなさい・・!という気持ちと、その穏やかさの中に太い芯が通った生き方に感動した複雑な涙でした。


防空壕として使っていた洞窟ではアメリカの攻撃で、当時400人近く生活していた方々ひとり残らず亡くなりました。
日本でも色んな洞窟を見学したことはありますが、たいていどこか寒くて恐ろしい雰囲気に包まれていて怖かったのですが、このラオスの洞窟は何故かふんわりと暖かく穏やかさを感じ、とても不思議な気持ちになりました。

そのときラオス人のガイドさんは言いました。

『ラオス人は戦争のことを恨んではいない。でも忘れず心にとめて現実を見て生きている。』
現実、貧困さはあるのだけれど、ラオスの方々の心がとても豊かに感じていた意味がわかった気がしました。


不発弾を命がけで撤去しているMAGのメンバー、爆弾で足や手を失った方に無償で義肢・義足を提供しているCOPEの関係者の方々。
ラオスの発展に精力的に活動している赤十字の方々、教育省の方々、勉強することに貪欲な生徒たち。はにかみながらも明るい笑顔で一生懸命家のお手伝いをしているかわいい子ども達。不発弾の危険にさらされながらも家族のために畑を開拓するお父さん達。

ただ観光して周るのではなく、ラオスの歴史や生きざまを伝える事に全力を注いでいるガイドさん。誰一人として人事ではなく、当事者意識でいること。言葉は通じなくても十分感じとることができました。


この旅で『幸せ』の定義を覆され、いい意味で裏切られ、すごく考えさせられました。

ラオス人の現状、生き方を伝えることで、今日本が抱えている社会問題も解決できることがあるのではないかとさえ感じ一人でも多くの方に伝えていきたいと思います。そして、ラオス経済を支えるべく消費者の一人として、プレマさんという本当に素晴らしい企業から製品を購入していきたいと思います。

(大阪府大阪市 嘉納未来子様)

― クラスター爆弾を知る旅に参加して ―

本村明紀様私にとって初めての東南アジア訪問でした。しかも、クラスター爆弾最大の被害地ラオスでの一週間は、「真の豊かさ」とは何かを考えさせられる日々でした。

戦争が残した未処理の不発弾との生活を強いられながらも、ラオスの人々は、明るく、やさしさの中にもたくましさがあり、「競争」という言葉が好きではないような国民に感じました。そういうラオスが「ゆたか」に思え、失われた「日本人の心」がそこにあるような気がしました。

何と言っても、動・植物との共生ができていることに新鮮な驚きを感じました。何でもそうですが、発育、発展の過程で色々な選択肢に出会います。競争と発展はとなり合わせ、難しいと思いますが、急がない緩やかな方を選択することが良いのではないでしょうか。



また、動物の油を販売している会社のものとして、再認識したことがあります。ラオスでは、ビエンチャンやルアンパバーン等の観光地を除き、道を堂々と牛、馬、鶏等の家畜が横断し、人々と共生しています。糞は道端に散乱していますが、人工飼料等一切与えていない完全自然放牧ですので、臭いません。犬も多いのですが、ストレスがないので吠えません。


ラオスに到着した30日の夜から約一週間、旅人、つまりよそ者である私たちの食事の主なおかずはラオスで育った肉類(動物性タンパク質)と餅米や、米の麺などでした。ツアー中は外食であったことや、村での最大級の歓迎で肉を供され、動物性食品を口にする機会が多くなります。

(補足:基本的には、ラオスの国民の大多数を占める農民は、家で家畜と共存するために、家庭では穀物と野菜、ハーブを中心に、特別な日には肉を食します。昔の日本の農民の生活スタイルに酷似しています。)

日頃食べ慣れない食事に苦戦気味のプレマスタッフの姿もありましたが、私自身が一番驚いたのは、(他の参加者には聞いておりませんが)私の数日後からの便は肉類を中心としたにも関わらず、ほぼ無臭だったことです(笑)。動物でもいかに自然飼育の家畜が良いかということです。


今、日本の子どもたち90%の便は水に浮かず臭いも強いことを食育研究者から聞きましたが、それは食料自給率が低い中で、自然放牧されていない肉類を多く摂取し、米や無農薬野菜を食べていないからです。ラオスではこのようなことは全くありません。ここに食育の原点を発見したような気がします。(ラオスの野菜、果物のほとんどが自生したものです。)


最後に、私たち先進国ができることは、ラオスの人々が安心して歩ける土地を多く確保してあげること。そのために今一番必要なものが、クラスター爆弾の不発弾を発見する探知機(約60万円)ということを知りました。
まず、この機器をたくさん購入できるよう、皆さん、行動しようではありませんか。

―未来の子供たちのために―

(株式会社日本創健 本村明紀様)



<プレマシャンティスクール開校に寄せて>

■ 20年越しの夢の実現

2009年9月1日、念願のプレマシャンティスクール@ラオスが
開校しました。

皆さんにこうやってご愛顧いただけるからこそ、可能になった
私の長年の夢でした。


『いつか、教育の乏しい場所に学校を建てたい』
と思ったのは、もう20年も前の、私が18歳のころでした。

そのとき、私は国から生活保護を頂いて生活していました。

経済的な事情で大学進学を諦めなければならなかったのですが、
平和な日本で大学に行けないことを嘆くより、もっと基礎的な
ことを知らないばかりに、大変なめにあう子どもたちがたくさん
いることを知りました。

そして20年。

これを目指して生きてきたというような訳ではありませんが、
願ったことは、かなり時間をおいて実現することもあるのですね。

「忘れさえしなければ、実はたいていの希望は叶えられている」と、
改めて確認しています。


今回は、お客様に支えて頂いたからできたことです。

どうも、願いとか希望とかは、周りを巻き込んで実現するのでしょう。


『忘れたり、諦めたりしなければ、たいていのことは叶います。
そのとき、周りの人を巻き込めるかどうかにかかっています。』

これが、今回、私が学んだ教訓です。

もちろん、これで終わりではなく、現地との永続的な関係作り、
さらに私たちの行動が必要と思われる場所を選んで、
同様のまとまったプロジェクトを進めていきたいと思います。

プレマ株式会社 代表取締役 中川信男 中川信男