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お客様から頂いたエピソードをまとめました

こちらでご紹介させて頂くお話は、アムのオープン13周年記念で開催させて頂いた参加型企画「あなたのジュエリーエピソードを聞かせてください」にご応募頂いた中から一部を選んでまとめたものです。(イベントの当選者はこちらのページにてご確認くださいませ。)

いずれもお客様が実際に体験したエピソードで、人生においてのジュエリーとの関わり方を考えさせてくれるよいきっかけとなります。読み終えた後、少しだけでも「ジュエリーっていいな」と感じて頂ければ嬉しいです。


K.I様
まだ子供が小さかった頃、ある日突然大きな手術をすることになり、心細さと不安で押しつぶされそうでした。

他県から両親が駆けつけてくれ、子供を託して少しホッとしていたら、母からそっと珊瑚の指輪を手渡され、「きっと大丈夫だよ。」と…

母の薬指のその指輪は、少し手が小さめの私の中指にピッタリでした。
手術も無事に成功し、子供も今では大学受験に向けて頑張っています。

後から聞いたのですが、珊瑚のリングは祖母の帯留めだった物を母を含めた3姉妹の指輪に仕立て直したものでした。

それまで、私にとってジュエリーは単に「自分を飾るもの」だったのですが、その出来事をきっかけに「大切なお守り」という存在になりました。
珊瑚の意味も状況にピッタリでした。

残念ながら私に娘はいませんので、いつの日か息子のお嫁さんになる人に渡せたらな…と大切にしています。

M.M様
夫の第一印象は、実はイマイチだったのですが(笑) 仲間数名で行った旅行先の山中で、私が落としたイヤリングを、誰よりも一生懸命探してくれたのが彼でした。

安価なもので、皆にわざわざ探して貰うのも恐縮でしたが、母との思い出のある、大事なイヤリングでした。無事に見つかって、今でも大切に保管しています。

決して派手なタイプではないけれど、小さな(でも大事な)事をおろそかにしない彼に、私が先に惚れました~(汗)

さくら
めいぷる様
私の左手の人差し指には、カルティエのスリーゴールドリングが嵌っています。

これは、結婚指輪です。
内側にカルティエのロゴ、シリアル、そして作られた年1988が刻印されています。
私の生まれる年の前年です。

そう、この指輪は亡き母の結婚指輪です。
父から成人式の時譲り受けました。

それまで19年間父は車の鍵と一緒にキーホルダーにして持ち歩いていました。

1歳の私を残して亡くなった母の気持ち、私を育ててくれた父の背中、見守ってくれ支えてくれた両親の愛情。
書ききれないほどの出来事がありました。

父がこの指輪を私に贈ってくれた時、初めて父の涙を見ました。
私には母の記憶はほとんどありません。父が聞かせてくれたたくさんの母の姿。それが私にとっての母です。

私は今、母と同じ仕事をしています。
日々の仕事の中で、悩みや迷いがあります。その時に、母はどうしたのだろう?と考えると冷静になれます。
母が見守ってくれてると感じられる、この人差し指の指輪が、私の特別なジュエリーです。

E.T様
はじめてジュエリーというものを、それとは認識せず手にした時の話なのですが、一番最初に手にしたジュエリーは、小学生の頃、祖母から貰った虫入りの琥珀のペンダントでした。

子どもながらに、飴色に光る美味しそうなしずく型の石の中に虫が入っていて、面白いなあ、綺麗だなあと思って、大事にしまっていたところ、大事にしまいすぎたせいか、ここ数年見つからず…。

しかし、昨年の2月に祖母が亡くなった後、ふといつもは見ない引き出しの中を見るとあの時の琥珀のペンダントが。祖母が教えてくれたのかなあと思いながらも、それ以来今度はきちんとなくさないようにジュエリーボックスの中に仕舞い、今は事あるごとにつけて外出しています。

このペンダントをもらったことがきっかけで、こうしたキラキラしたものに興味を持ち、今のジュエリー好きに繋がったような気がしています。私もいつか子どもや孫が出来たら、ジュエリーをあげたいものです。(いつになるやら…笑)

C.S様
母の影響からなのか、ジュエリーが大好きです。
特に普段遣いが出来るリングが大好きです。

私が初めて本物、つまり18Kのリングを買ってもらったのは、高校を卒業した時のお祝いでした。

それまでは、母の物を時々遊びで付けさせてもらう程度で、自分専用と言えるものは「まだまだ!」と、母に言われて持つ事も買って貰う事もなかったのです。もちろん自分も早いよなぁと思ってました。

そんな母が、高校を卒業した年の私の誕生日に、内緒で18Kのゴールドの星型のリングをプレゼントしてくれたのです。
思いもよらないプレゼントで、しかもデザインが少し変わってて、10代の私がつけてても全然違和感のない物で、一目で気に入りました。
そして、そのリングを選んだ母の目利きとセンスの良さにさすが!と脱帽した自分がいました。

それからというもの、私の誕生日やクリスマス、又、何かのご褒美の時には母が行きつけの宝石屋さんで、そのお店の人と相談しつつ、その時の私が身につけてもおかしくない物を選んでは買ってくれたのです。

そんな母も今はもうおりません。
今、私は、そんな母が残してくれた物を大切に身につけては母を身近に感じております。
そして、生前母が『時には自分にご褒美を!』と、言ってくれた言葉のように、アムさんの可愛いジュエリーを購入させてもらっております。
もちろん、最初に私の元に来てくれた『星型の18Kリング』は今でも、大切な宝物の一つです。
これからも、時々、自分へご褒美を与えつつ、日々の生活を楽しく過ごしていけるといいなと思ってます。

C.K様
「ちょっと手を出してみてよ」
ある日の午後、大学の学食でお茶を飲んでいると、急に彼が言った。
「なあに? お菓子でもくれるの?」
私は右手の手のひらを上にしてハイっと差し出した。
去年の冬から付き合い始めてから、もうすぐ1年が経とうとしている。
彼は笑いながら「違うよ」と言うと、バッグから何やら針金のような物を取り出し、それを私の右手の薬指に巻きつけ始めた。
「えっ何? 痛くしないでよ」
「大丈夫だよ、もう終わり」
そう言って彼は私の指からリング状にした針金をスポリと外すと、「見ないでね」と言って後ろを向き、何やら作っているようだった。
「できたよ、目をつぶって手を出してみて」
そう言われて私は、今度は右の手の甲を上にして差し出し、目をつぶった。
右手の薬指に、何やらゴツゴツしたものが通されていく。
目を開けると、針金で作った指輪らしきものがはまっていた。
「わー、何これ!」
私は笑ってしまった。
針金を何回か巻きつけて作ったアームに、ボールのような形にぐるぐる巻きにされた部分が付いている。
ボールの部分は、きっとダイヤかなにかを模したものというのは一目でわかった。
「それ、あげるよ。針金だけど」
彼ははにかんだ笑顔で言った。
私は針金でも嬉しかった。
身につけるアクセサリーをもらったのは初めてだったし、何より気持ちが嬉しかったから。
「ありがとう。大切にするね」
その日、私はその指輪を着けたまま電車に乗り、帰宅した。

次に彼に会った時、彼はまた「目をつぶって、手を出して」と言い出した。
場所はまた学食だ。
「今度はなに?また何か作ってくれるの?」
今日は針金の指輪ははめていない。
さすがに普段使いはできないデザインとボリュームなので、私の部屋の、小箱の中に大切にしまってある。
私が目をつぶって手を差し出すと、また指に何か、リング状のものが通される。
今日のはゴツゴツしていないな。
するりと滑らかに指にはまる感覚があった。
「いいよ、目を開けてみて」
目を開けると、私の右手薬指には針金ではなく、きらきらと輝く石が付いた、ゴールドの指輪がはまっていた。
「そろそろ付き合って1年だし、記念にと思って。高いものじゃないけど」
彼ははにかんだ笑顔で言った。
私は嬉しくて泣きそうになった。こんな素敵なもの、もらっていいの?
「どうもありがとう、毎日着けるね」
それから私は、お守りがわりに毎日その指輪を着けた。

どうやら彼は、最初に針金の指輪を作ってくれた時に、私に渡すものとは別に、もうひとつ同じサイズのものを作り、それを持ってジュエリーショップに行ったらしい。
そんな彼の気持ちが愛おしく、そして嬉しかった。

そんな微笑ましいこともあったな。
でも、今は、その指輪は着けていない。
部屋の片隅の小箱に、想い出の針金の指輪と一緒にしまってある。

そのかわり、私の左手薬指には、プラチナのシンプルな結婚指輪がいつも光っている。

「もうすぐ結婚して十年だね。いつもありがとうね」
私が言うと、彼はいつものはにかんだ笑顔を見せた。

K.O様
失恋、病気、異動、職場でのパワハラ、昇進試験失敗等…3年間程、人生が上手く行かない時期が続き、すごく落ち込んでいました。(思えば、ちょうど厄年真っ只中でした。)

今年に入り、少しずつ上向きになってきて、ふと、宝石が欲しくなりました。
色々探して、誕生石のインペリアルトパーズにとても惹かれ、気に入ったルースを購入し、umuさんでペンダントに加工してもらいました。
本当に素敵で、大変気に入って、お守り代わりに毎日つけていていました。

ちょうど夏に昇任試験があり、その日も身に着けていきました。

ダメ元で受験しましたが、「やっぱり難しかった。今年も落ちた~」と開き直っていました。
そして、受験すら忘れていた9月下旬に、まさかの合格の知らせ。

パワーストーンとかは信じないですが、身に着けていることで、気持ちが落ち着き、頭が冴えていたのかもしれません。
そんなことがあり、このペンダントは縁起物になりました。これからも大切にしてきたいです。

S.M様
夫とは学生の頃からお付き合いをしていて、今年で結婚3年目になります。

3年前。まだ彼氏だった夫が会社の寮を出なければならなくなり、一緒に暮らすか、それなら結婚しちゃえ、と周りの後通しもあり結婚しました。

ちなみに夫は妙な拘りがあり、指輪は結婚が決まった相手にしか贈らない主義。
付き合いの長い私たちでしたが、そんな訳で指輪は全く貰った事がありませんでした。

周りの後押しでトントン拍子に入籍した事もあり、プロポーズが無かった私たち。
結婚に迷いは無かったのですが、今まで指輪を貰った事がない私は婚約指輪への憧れがいつの間にか募っていたのでしょうか…
婚約指輪が無いことだけが、少し心残りでした。

そんな私の気持ちを察して居たのか、結婚式前の結婚指輪選びの際には夫からメレダイヤ入りの指輪を提案してくれました。
少し値は張るけど、婚約指輪の代わりに年齢を重ねても使える華やかなデザインの物で、と。

仕上がった指輪は、夫からのサプライズでサムシングブルーに因みメレダイヤのセンターがアイスブルーダイヤモンドに変更されていました。
「ほら、水色ならよく見なきゃ色付きだって分からないし、他の人の指輪と混ざらないし…」と一生懸命照れ隠し?の、解説をする夫。

お気付きかもしれませんが、夫は少し不器用な人。ロマンチックな事は出来ないのに憧れがあるのです。

この結婚指輪を見るたびに、今でも夫の不器用な気持ちの表現が微笑ましく思えます。婚約指輪の心残りも今はありませんよ(笑)

T.O様
自分は男ですがファッション好きです。
衣類以外にも興味もあるし身につけます。とはいえ、ネックレス、ブレスレットは他の人に見えないようにしています。
仕事柄、長袖、襟の中に、そして見せるものではないと思っています。

正直なところ、ストーンのパワーは信じていません。
国立の法学修士を取得しているし、理論的で完全な科学思考かつ物事を深く考える哲学が好きです。
ですが身につけるとなぜか引き締まります。
これもパワーでしょうか(笑)自己満足といえばそれまですが。

私は転勤族です。
すでに来月中には都合で他所にいくことになっています。
今いるマンションはペットが可能な県内で唯一のマンションです。そしてずっと今まで2匹の猫と一緒にくらしていました。
1匹は、場所に合わなかったか、ストレスから体調を崩しかけていたので実家にかえし、今は1匹の猫と暮らしています。
完全室内外です。さすがに12年も一緒にくらしていると、いなくなった時にかなりぽっかり穴が心にあきました。
そのいなくなった1匹の分をジュエリーにたくしました。

パワーは信じてないといっておきながら何か矛盾していますよね。
ですが何かの力になるかも、と思ったのは確かです。

男で身につける人はほとんどいないように思えます。
私は実務ともデスクワーク中心ですし、他人に見せることを前提としていませんが、男性がつけても全くおかしくないと思います。
むしろ、TPOをわきまえていればファッションであろうと、何らかのエネルギーを求めて身につけるも多いにありだと思います。

人生は一度きり、何でも楽しんだもの勝ちです。

R.W様
主人と付き合いだして初めての私の誕生日。
当時私は16歳 主人は22歳。
学生と公務員でそんなにお金がなかったので、某焼肉屋さんの食べ放題に連れていってもらい、たらふく食べてお腹がいっぱい!

帰りの車でご機嫌に音楽を聴いていると、主人が「かり◯し58」さんの「ナ◯」って曲のサビの部分を私の名前で歌ってくれて、信号で止まったときにポケットから少し形が潰れた箱を渡してきて、中を見たら当時私がいいなと思っていた指輪でした。

ベタなんですけど すごく嬉しくて、この人と共に人生を過ごせたらと思い大事に大事に愛を育てていき3年目の記念日に入籍しました。

K.Y様
これまで、いろいろなジュエリーを手にしてきましたが、忘れられないのが母から贈られたルビーのネックレスです。

もらったのは、私が高校生の時。
誕生日プレゼントやお祝い事というわけでもなく、食料品を買いに出た母が、まるで食パンを買うような気軽さで買ってきたのです。

マーキスカットのルビーが5石あしらわれた18Kのネックレスは、とても美しいものでしたがその時のわたしは素直に喜べませんでした。
当時は赤が好きではありませんでしたし、まだまだ宝石には興味がなかったのです。母が無駄遣いをしたようにも感じていました。

御礼も言わないわたしに母は、「今は嬉しくなくてもいつかきっと嬉しいものになるから、もっておきなさい」とネックレスを渡しました。
そんな日なんて来るもんか、と高校生のわたしは思ったのですが、年を重ねるにつれ、母の言葉が身に沁みます。

結婚してしまえば、なかなか自由にジュエリーを買うこともできません。きっと母はそんな未来も見えていたのだと思います。
ルビーのネックレスはいまではわたしの宝物です。ジュエリーボックスの中で、今も美しく輝いています。

IKUM
OCO様
私が社会人になって数年程たった頃のお話です。

ある日、祖母の家に行った時、祖母がいつもつけているダイヤモンドの一粒石のネックレスを貸してくれました。
大人になったら良いものをつける事もいいものだよと。

その頃の私はダイヤモンドに等全く興味はなく、自分がつけるようなものではないと思っていたので自分から頼んで借りたわけではありません。

そしてこのネックレスは祖母がローンをくんで頑張って自分で購入し大切にしているものだと知っていたので「返すのはいつでもいいけんね」と言われたものの、私は数日で返しました。

だけどその数日間、いつもとは違う少しワクワクしたような気持ちでいられたように感じる事に気付きました。

宝石って何なんでしょう。それまで私は天然石と一般的に呼ばれているものが好きで色々集めてました。
だけどジュエリーとの線引きが曖昧で…
高いものはジュエリーで自分には贅沢品でもったいない、買うなら3000円位と思っていたのですが、この後位から少しずつ購入額を上げてみたように思います。(と言っても買える範囲で、ですが)

小さくても持っているだけで嬉しい、その為に頑張る。
大人になったら良いものを…少し考えさせられました。

それから10年位たったある日、私は祖母に言われました。
今度は「このペンダント貰ってくれるね?」と。

祖母には娘が二人、義理の娘が二人、孫娘が三人、妹さんも数人おり自分は私が貰って良いのかと考えました。

けどせっかく声をかけてくれたのだからと思い「有難う大切にするね」と貰いました。

その二日後、祖母は天国へ旅立ちました。
ダイヤモンドのネックレスを見るとおばあちゃんの事を思い出します。
私もまだまだ頑張らないといけないなと思います。

M.N様
私が小学生の頃。

少しぼけ始めた祖母が嬉しそうに見せてくれたのは大きくとてもきれいなオパールの指輪。
誕生石がオパールの私は、初めて見たオパールにひどく感動しました。こんな綺麗な石があるのかと。
そんな私を見てにこにこしながら「私が死んだらあげるからね」という祖母に、そんな縁起でもないこと言わないで!と二人で笑っていました。

それから20年余り経ち、祖母が老衰で亡くなりました。
あの時は知りませんでしたが、あの指輪は祖母よりも先に病気で亡くなってしまった母の姉が貸していたものだったらしく、驚いたことにそれがなぜか遺言で私へ渡るようにとなっていたとのこと。

しかし、祖母のぼけが進んでからは大事にしていたオパールは落ちてなくなり、またその指輪すらどこへいってしまったかわからくなっていたのです。

お葬式の際、私はきっと祖母もオパールが大好きだっただろうと思い、棺の枕元に持っていたお気に入りのオパールのルースを入れました。
天国で、無くなった指輪にその石がはめこまれたらいいなぁ、きっと喜んでくれると思って。

葬儀は恙無く終わり、数日経っての関西に帰らなければならない日。
遺品の整理をしてくれていた母の兄より突然の電話があり、「おばあちゃんの指輪が見つかったよ」というのです。

もちろんオパールの石はありません。
でも祖母は「私にあげる」という約束を守ってくれたんだなぁと思わずにはいられませんでした。

指輪はまだ石のないままです。
母にはもう古い形だからプラチナとして売ってしまって、新しい指輪に替えてしまったら?と言われていますが、私はあの時のとても嬉しそうな祖母の顔が忘れられず…
気に入ったオパールをもう一度セットして母に渡せれば、と考えています。

たくさんオパールを集めてみましたが、でもあの時見せてもらったきれいなオパールのイメージはまだ覆されていません。

これからもまだ集めてしまいそうです。

おばあちゃん、素敵なオパールとの出会い、ありがとう。