五月人形・鯉のぼり豆知識

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五月人形・鯉のぼり豆知識

お子さま、お孫さまにプレゼントする五月人形・鯉のぼり。ちょっとお勉強してみませんか?
ここでご紹介させて頂く豆知識は、順次増やしていく予定です。楽しみにしていて下さいね!
※五月人形・鯉のぼりのご購入に関してや、商品に関しての疑問・ご質問等はQ&Aをご覧になってみて下さいね。

■ 五月人形を飾る時期

五月人形と言えばメインになるのは「鎧」や「兜」等の甲冑類と、「子供大将」等の鎧を着たお顔のついたお人形さんですね。これらは一般的に『内飾り』と呼ばれています。

では、一体いつ頃から飾れば良いのでしょう?一般的にはお彼岸が開けてからと言うのが多いようです。
ただ、これも正式に決まっている訳ではなくて、早ければ早いほど良いとされている所もあるのです。
「先陣の誉れ」と言われ、早く陣を構えた方が有利になる「先手必勝」がとても縁起が良いとされています。

内飾りは、初節句の場合特に早く飾った方が良いとされています。内飾りはあくまでも『お子さんのお守り』として飾る物なので、厄災が降りかかりやすいとされるお節句の時期に備えて、少なくても4月の中旬までには飾ってあげた方が良いでしょうね。

内飾りに対して『外飾り』と呼ばれるのが「鯉のぼり」や「武者幟」、「鐘馗旗」等になります。最近ではミニサイズの物が良く売れていますが、やはり外飾りは大きさが大きい方が格好が良いですね。外飾りは「ご長男の誕生を内外にしらしめ、神を降臨させる道しるべ」として堂々と飾ります。神様に「ここにいる我が子をお守り下さいね!」っと知らせる為の見印(めじるし)なんですね。やはり外飾りも早く飾ってあげた方が良しとされています。あまり早く飾るのも他の人から見ると・・・という事でしたら、4月の中旬からが良いでしょうね。本当は出す日が決まっている方がわかりやすくて良いのですが・・・。

五月人形は基本的にお雛様と違ってしまう日は決まっていません。男の子ですからお嫁に行くわけでも無いし、どうせだったら1年中守ってもらいたいですからね。多くのお客さまのご意見をお聞きすると、5月の5日過ぎた次のお休みの日にしまう方が多いようです。やはりパパのお休みの日に一緒にしまう方が良いですものね。

しまう時はちゃんと埃をはたいてからしまって下さい。埃焼けと言って、埃が繊維の奥に詰まってくたびれたみたいになってしまったらもったいないですから。出した時と同じ様にしまっていただくのが基本ですが、なかなか同じ様にしまえないかもしれません。そういった時は、あまり以前の形にとらわれなくても大丈夫ですので、お互いに擦れ合わないように気を付けていただければ良いと思います。
来年までしばしのお別れです。是非、「また会いましょ〜ね!」という気持ちでしまってあげて下さいませ。

五月人形の飾り方・しまい方

■ 端午の節句と五月人形の始まり

五月五日の『子供の日』を端午の節句と呼びますが、古代中国では五月初めの丑の日に邪気を払うために蓬(よもぎ)で作った人形や虎を軒に挿し、粽(ちまき)や柏餅を食べたり、菖蒲を浸した酒を飲むなどの行事が行われていました。

我が国では、推古天皇の時代、薬狩と称して薬草を競い取ったと「日本書紀」に記されています。
百年後の天平の時代には菖蒲の髪飾りをするお触れが出たり、菖蒲や蓬、橘の実で出来た薬玉(くすだま)や時節の花を飾るなど厄災を払うものとして、九月九日の重陽の節句まで続きました。

平安時代になると端午の夜に菖蒲を枕の下に敷いて寝る「菖蒲の枕」や、節会では菖蒲草を冠にいただき騎射(うまゆみ)が行われるなど、端午の節句が古くから認識され、伝統になったといた事が分かります。

では、何故端午の節句に甲冑や人形を飾るようになったのでしょう?

鎌倉、室町時代の武家屋敷ではすでに、梅雨の前に手入れを行う為に、五月の節句には外に旗幟(きし)や吹流しを飾り、座敷には鎧や兜、武具を飾りました。
「菖蒲」と「尚武」の音が同じであることから、江戸時代に立身出世を願う意味を持つようになり、男子の節句となり、武士階級の間で広まりました。

やがてこの行事が町民の間にも広く伝わっていきます。庶民の場合、武器や武具はなく、紙で作った兜や木で作った槍やなぎなたを家の外にに旗幟と一緒に飾りますが次第に小型化していきます。
旗、幟(のぼり)、吹流し、槍などを立てた座敷飾りの前に、鎧兜を付けた武者人形を飾るようになります。

室内に飾るようになった甲冑は、次第に造りが精巧になっていきます。町人の間でも盛大に節句を祝うようになったあたりの頃から、男子の健康と出世を願う気持ちは、武士の兜と結びつき、金太郎や桃太郎の人形飾りへとつながっていくのです。

五月人形を飾る事で降りかかる厄を払い、子供の健康と幸せを願う端午の節句は、家族の絆を深める大切な行事です。子供達の思い出と言う大切な宝物でも有りますので、出来るだけたくさんお祝いしていただくのが良いでしょうね。

■ 端午の節句のお菓子と言えば♪

女の子のお雛さまの時のお供えとして有名なものに、『ひなあられ』や『菱餅』などがありますよね。
では、男の子の時の端午の節句に欠かせないお供えと言えばなんでしょう?

地方や地域によってさまざまなお供えがありますが、代表的な物としては、関東地方では主に 『柏餅』
関西地方では『粽』(ちまき)があげられます。古くは平安時代の頃からすでに『粽』があったそうですよ。
その頃の粽は「チガヤ」という草で巻かれていたので、「ちまき」と呼ばれるようになったそうです。

今では主に笹の葉で巻かれる事が多いので、ちょっと語源からしたら違う種類の物になっていますね。
対して『柏餅』は今でも柏の葉に巻かれて作られます。粽とは違って、中にあんこ等が入っている、ちゃんとしたお菓子となっています。柏の葉は、秋に枯れてしまっても、次の春に新しい葉が出るまで枝に残ってついているんです。そこでこの特徴にあやかり、子孫が代々続いていくとして、とても縁起が良いと言われているのです。粽も柏餅も基本的には中身は一緒の物です。
うるち米の粉である上新粉と餅米の粉を合わせ、蒸したり茹でたりして作ります。

両方ともお菓子として日本では定着していますよね。中国では『粽』はご飯の代わりとして用いられます。
中華粽とも呼ばれていますが、餅米と色々な具材を混ぜて、包んでから蒸して仕上げます。

日本でも美味しい点心料理として知られています。同じお供えとして扱われるものでも、女の子と男の子とではだいぶ趣が違うお菓子ですよね。女の子は色とりどりで可愛らしいのに対し、男の子はまさに見た目よりも中身重視で重量感たっぷりです。昔から縁起を担ぎながら伝わってきたお菓子なので、どれも素朴ながらも素材を活かした感じで美味しいですね♪

■ 端午の節句は菖蒲の節句♪

端午の節句に欠かせないお供えとして粽(ちまき)』と『柏餅』をご紹介しました。
他に、最も欠かせない物として『ショウブの葉』があります。

古代中国では、この時期に成長する「菖蒲(ショウブ)」や「よもぎ」等の薬草を軒に差したり、菖蒲酒にして体に取り入れたりして厄除けをする風習がありました。日本でも同じように、菖蒲の強い香りや薬効成分が魔除けにもなり、虫等からも守ってくれると信じられて、家の軒先に菖蒲を吊るしたりする習慣がありました。この習慣から、端午の節句を「菖蒲の節句」とも言われています。

菖蒲は胃や内臓の薬として重用され、尿の排泄を良くしたりする事にも効く事から、古くから薬草として知られていました。また、端午の節句の時期に健康を祈願しながら、沸かしたお風呂に菖蒲の葉を入れて入浴する『菖蒲湯』も良く知られています。

江戸時代に入ると、この菖蒲は端午の節句には無くてはならない物となります。
菖蒲(しょうぶ)が「尚武」に通じる事から、男子の武運栄達、健やかな成長とお家の永代繁栄を願う行事として発展していきました。まるで剣のような長い葉っぱのショウブは、なんとサトイモ科 なんだそうです。ちょっとイメージが違いますよね。『あやめ』と『ショウブ』は全く違う植物なんですよ。
同じ『菖蒲』という字なので間違えやすいですけどね。

紫色が鮮やかな、お花が咲く『あやめ』は、アヤメ科の「花ショウブ」です。とっても優雅で豪華なお花をつけますよね♪対してサトイモ科の『ショウブ』は、小さくて細かい粒のような花を棒状に密生させて咲きます。ちょっと見は花では無いと思われちゃうくらいです。

端午の節句のお供えとしてお飾り頂くのはどちらでもかまわないと思います。
どちらかだけでももちろん大丈夫です。端午の節句のお祝い当日には、凛とした美しさを持つ『菖蒲』を、五月人形と一緒にお飾り下さいね。

■ 五月人形&鯉のぼりのお手入れ!

五月人形にはたくさんの種類がありますが、しまう時に気を付けなければならないのはどの種類も同じですね。

内飾りの鎧兜などの甲冑をしまう時は「ホコリ」に気を付けて下さいね。埃は繊維の中に深く入り込み、なかなか取れなくなってしまう事もあります。毎日やらなければならない訳ではありませんが、やはり最後のしまう時にはいつもよりも多めに「はたき」をかけた方が良いでしょう。
はたきをかける時には、金具や木製の竜頭(おでこの所にある龍の彫り物)には特に気を付けて下さい。
木製の物は壊れやすい物が多いので細心の注意が必要です。甲冑は基本的にお櫃と呼ばれる木の箱にしまう物が多いのですが、この箱にしまう時は内容物をキチンと紙で包んだり袋に入れたりして しまって下さい。中で擦れあったり押されて変形したりしない様にし、適度にパッキンを詰めると良いでしょう。
過度なパッキンは変形のもとになるのでご注意下さい。新聞紙などをパッキンにした場合、毎年お取替えした方が湿気を取ってくれるので良いと思います。

五月人形の飾り方・しまい方


外飾りの鯉のぼりは、軽く水ですすぐか濡れた雑巾で拭きます。洗剤はあまり好ましくないのですが、どうしても取れないひどい汚れの場合は、かなり薄く希釈した中性洗剤を濡らした雑巾を固く絞り、拭きながら取ってあげて下さい。
お口の所にある「口金」は針金やワイヤーが入っていますので、錆や変形しないように気を付けてしまって下さい。曲がっている場合は手で修正する事が出来ます。
鯉のぼりは十分に乾燥させてから折りたたんでください。乾燥が不十分だとカビや臭いの元になる場合があります。折りたたみ方には特に決まりがありません。小さく折りたたむコツとしては、口金の大きさを基準に、鯉の上下を内側に折り入れてから、(上下の部分を横線で折る感じですね。)
頭の部分から尻尾の方へ、口金の大きさを基準にクルクルと折っていきます。
内飾り・外飾り共に樟脳は入れない方が良いでしょう。樟脳よりも乾燥剤の方が効果的です。
一番の天敵は湿気とカビです。しまう場所もなるべく高い所や乾燥した所を選んで下さい。
場所によっては意外なほど湿気がある場合があります。

鯉のぼりのしまい方


「また来年会いましょう!」
そんな気持ちでしまって頂ければ、来年もきちんとした形で再会する事が出来ると思いますよ!

■ 鯉のぼりの由来♪

お子様にとっても人気のある鯉のぼり♪鯉のぼりの由来についてご紹介させていただきます。

中世以降、武家では男児の出生を祝って、『端午の節句』に屋外に旗指物(家紋をしるしした旗)や幟を立てる風習がありました。特に江戸時代には、この行事が重んじられていて、武家の玄関先には武具と共に色々な旗指物や幟が並べ立てられてました。
町人が経済面で力をつけてきた江戸中期頃には、これに対抗して旗指物のかわりに「鯉のぼり」を考案して立てました。

旗指物のかわりに鯉の吹流しが作られたのは、鯉は「鯉の滝のぼり」といわれ威勢がよく出世魚とされていたからでしょう。五月晴れの大空を水にみたてて、薫風に鯉のぼりを泳がせたアイディアは、格式にこだわらず自由闊達な当時の庶民の気風がしのばれるとともに、そのセンスのよさには現代人も感心させられるものがありますね!中国で「竜門の滝を登った鯉は竜と化す」といわれた故事にならい、その威勢のよい姿に、健やかに育って出世してゆく我が子の将来を想いながら滝の水しぶきにあたる朝日が五彩に輝いたとあるのを五色の吹流しに仕立てたという説もあるそうです。

このように、当時の特権階級であった武士に対抗する町人の心意気の旗印として生まれた鯉のぼりは歴史の中をしなやかに泳いで日本特権の風習として育ちました。
まさに日本の五月を代表する風景だったのですね。

鯉のぼりも当初は和紙に水絵の具で彩色したごく粗末なものでした。
でも、明治以来先人達の改良により現在はデザインも美しく、化学繊維など豊富な素材に色彩も鮮明な黒、赤、青、紫、緑といろいろな色の鯉のぼりが生まれました。

これからも、いろいろな鯉のぼりたちが生まれてくるのかもしれませんね。すでに、金捺染したり金箔を貼っているものもあるのですがこれ以上のものを作るとするとどんな鯉のぼりなんでしょう!?

■ 鯉のぼりの多色化

鯉のぼりのセットって『吹流し』『鯉3匹』『矢車』『ポール』『ポールを固定する金具等』でワンセットになっているのが多いですよね。

吹流しは「家」を表します。ですので、家長のお父さんの上に飾ります。
家を表すと言う意味で、ここに家紋を入れる事があります。
3匹の鯉は「家族」を表します。「黒」がお父さん。「赤」がお母さん。「青」がお子さん。
ほのぼのファミリーって感じですね (*^▽^*)

では、次にご次男や妹さんが生まれたらどうすれば良いのでしょう?
最初のセットには無い「緑」か「紫」を足すのが良いでしょう。お姉ちゃんがいる場合も同じように足してあげると喜びますね!なるべくなら鱗の種類や鯉のデザインを合わせた方が統一感が取れます。
しかし、どうしても同じで無ければならないと言う訳でもありません。鯉のぼりにも少なからず流行がありますので、年代によって多少デザインや使用が異なる場合があります。
 
ちなみに・・・鯉のぼりが多色化したのは「東京オリンピック」の年以後です。歌にもあるように、『大きい真鯉はお父さん、小さい緋鯉は子供達〜♪』そう、本物の鯉には「青・緑・紫」の色は無いのです。
では、なぜこういった色を付けるようになったのでしょう?
実は当工房の鯉のぼり職人が、東京オリンピックの「五輪」を見て思いついたんです。
「お父さんと子供達」だけの時代ではなく、女性の社会進出に合わせて、「お母さん」が鯉のぼりに登場する事が受けた理由の一つとして考えられますよね。

今では初めのセットは吹流し+3匹が普通になっていますが、昔は今のような考え方ではなかったんですよね。

■ 鯉のぼりは何歳にまで外に出すの?

基本的に鯉のぼりを何歳まで揚げるのかという決まりは無いようです。やはり地方や各ご家庭の風習に よって違いが有るとは思いますが、これが本当!っていう物はありません。お子さんを中心に考えた場合、一番喜んでくれるのは小学校中学年位まででしょうか。さすがに10歳を過ぎる頃には照れくさくなるようですね。お子さんの為に飾ってあげるものなので、お子さんが喜んでくれるうちは飾ってあげるのが良いと思います。お子さんが健やかに成長し、家内安全を願って揚げるのが本来の慣わしです。是非堂々と飾ってあげて下さいね!

■ 鯉のぼりの棒の先端に付けるもの♪

鯉のぼりを揚げるには欠かせない物に「ポール」があります。陰の存在のようになっていますが、これが意外と重要な物なのです。

昔は丸太(杉などの木材)や竹を使っていましたが、保管中に腐ってしまったり重くて大変だったりするため、今では伸縮式で取り扱いがしやすいアルミ合金製のポールが多く使われています。
そのポールの一番上に付いている物を総称して「矢車」と呼びます。

矢羽根を車輪のスポークに見立て、輪にして2つ飾ります。ちょうど2輪車のような感じになっていますね。
その車輪の中央上部には「回転球」が付いています。回転球は昔の「駕籠玉(かごだま)」の名残りですね。
今では見慣れた物となっている「矢車」ですが、現在のような形の矢車が出来上がったのは近年になってからなんです。意外と歴史的には浅いものなんですね。

昭和29年頃から矢車の大量生産が確立し、広まりだしましたので、それまではごく一部の地域で飾られている物にすぎませんでした。アルミや銅板を使って大量に作られるようになって、全国的に鯉のぼりのポールに取り付けられるようになっていきました。
では、それまではポールの先端には何が取り付けられていたのでしょう?

一番最初の起源としては、鯉のぼりのポールとして立てられた丸太や竹の棒の先には、「招代(おきしろ)」と呼ばれる神様を呼び寄せるための目印が付いていました。目印となる招代は、赤や黄色などの色の付いた単純な布切れでした。この招代が発達して今の「吹流し」になっていきます。

しかし、階級制度が厳しかった武家社会では、階級が上の、ごく一部の人にしか「招代」を立てる事が許されていませんでした。そこで、一般の市民や商家では、「鯉のぼり」を揚げて「招代」の変わりとするようになっていったのです。
表立って「招代」を付ける訳にはいかないですが、いくら鯉のぼりが揚がっているとはいえ、やはりポールの先端に何もないのでは治まりが悪い。
ましてや天に向かっているものですしね。

そこで、地方によって違いはあるものの、「お榊(さかき)」や「杉の葉」、「柏の葉」等を棒の先に結わい付けて、鯉のぼりを揚げていたそうです。

江戸時代も末期になってくると、庶民のお節句もだんだんと華やかになり、一部の地方で「駕籠玉」を付けるようになってきました。これは「福」や「幸い」がたくさん入ってくるようにと、駕籠を球状にして天に向けてさしたのが始まりとされているようです。
始めは駕籠の中にお榊や杉の葉などを入れて立てていたのですが、だんだんと派手になってきて、駕籠自体を「金箔」で貼るようになりました。
キラキラと天で輝くように目立ったため、金箔の駕籠玉はあっという間に全国的に広まっていきます。
今でも地方へ行くと見受けられますよね。

このように鯉のぼりのポールの先端にも時代と共に様々な流行がありました。
今では全盛期を迎えている「矢車」ですが、数十年後の鯉のぼりのポールの先にはいったい何が取り付けられているのか?私にも想像出来ません。もしかしたら、また柏の葉を付けるのが流行っていたりして。あ!私だったら柏餅かな〜♪

■ 童謡『こいのぼり』の歌詞にお母さん鯉がないのはどうして?

こんなご質問を頂きました。
「こいのぼり」の歌を子どもと歌っていたのですが、「大きい真鯉はお父さん」の後、「小さい緋鯉は子どもたち」となっていますよね?子どもに「お母さんごいは何?」と聞かれ答えられませんでした・・・。

真鯉と緋鯉しか歌には出てきませんよね。これは、

1)歌が作られた時には鯉のぼりは2種類しかなかった。
2)端午の節句は男の子のお節句とされていた。

の二つの要因からなんです。
本物の「鯉」には、青や緑の鯉っていないですよね。江戸時代に町人達の大胆な発想で創られた鯉のぼりなんですが、さすがに実在しない色の鯉のぼりを創るまでには至らなかったようです。

実は、いろいろな色の鯉のぼりが登場したのは意外と歴史が浅くて、昭和39年に始めて、若手鯉のぼり職人達の発想によって五色の鯉のぼりが作られたのです。
そうです、オリンピックの五輪からアイデアを頂いたのですよ。

童謡の歌詞の中には「お母さん」も出てきませんし、「子供たち」も男の子供たちを指しているそうです。
この歌が作られた時代は、今と違って男女の区別がはっきりとわかれていた時代ですからね。

まるまる太った大きくて黒い鯉はまさにお父さんのようです。
緋色がかかった美しい鯉はまるで子供たちのように輝いています。
まさに言いえて妙の素晴らしくも勇ましいお歌ですよね。

確かにお歌にはお母さんが出てきませんけど、今では女性も堂々と参加して、ちゃんとお父さんを見守るように大空にはためいています。

「男の子のお節句のお歌だからお母さんは出てこないけど、お母さんも子供たちと同じ色で、子供たちをしっかり守っているんだよ!」って教えてあげて下さいね♪

■ 子供の守り神!鍾馗さまの由来♪

お子様が厄病や災害にあうことなく健やかに育ちますようにとの願いを込めて端午の節句に飾る鍾馗幟や鍾馗人形。当工房でも、鍾馗幟や鍾馗人形は大変人気があるんですよ♪

鍾馗幟旗シリーズ

幸一光作 鍾馗人形ケース飾り(P90126)

幸一光作 鍾馗人形ケース飾り(P90128)

その鍾馗の由来についてご紹介させていただきます。

≪ 鍾馗さまって? ≫
容姿は人並みはずれて大きく、大きな眼、濃いひげ、黒冠をつけて長靴を履き、右手には剣を持っています。威厳のある凛々しいお顔立ちです。

≪ 鍾馗の誕生 ≫
伝説によると、唐の玄宗天皇が熱病にかかって苦しんでいる時夢に現れて病魔を祓ったのが鍾馗さまでした。皇帝は、その姿を絵師に描かせて邪気祓いの神にしたのが始まりといわれています。

≪ 現在では? ≫
日本に伝わり江戸時代中期以後、端午の節句にの幟に鍾馗さまの絵を描いたり、日本画の画題となりました。また、それがきっかけとなり、日本でも数多くの鍾馗人形が作られるようになったともいわれています。

鍾馗伝説にヒントを得た謡曲「鍾馗」という曲があります。鍾馗さまの怖い顔で邪気を祓ってもらうので怖いお顔ほど手間がかかり、お値段も高いそうです。現在では、幸一光さんが造られるような可愛らしい鍾馗さまが人気があるみたいですね。可愛くても、とっても強そうなお顔が特徴です。これなら若いママさんでも、お部屋に飾っていただけますね♪

お外に飾る鍾馗幟旗は、お顔が怖いものが人気があり、室内に飾る鍾馗人形は、可愛いものが人気があります。

■ 家紋を入れる際、男親と女親どちらの家紋を入れるの?

家紋はどのようにするのが正解といった決まりはありません。
ただし、風習や慣習でおおよそのアウトラインが決まっているのです。
今回はお節句で家紋を入れるという前提でお話いたしますね。
基本的にこの場合は『お名前を継いでいる方の家紋』を入れます。男親の方のお名前を継いでいるのでしたら「男親の方の家紋」で良いと思います。逆でしたらもちろん逆になります。
買ったのがどちらかといった問題ではなく、あくまでも赤ちゃん(お子さん)を中心に考えます。
どうしてもと言う場合、ご両家の家紋を入れる事もあります。武者幟や鯉のぼりの吹流しにご両家の家紋を入れる事はよくあります。その場合、男親の方が黒い家紋で、女親の方が赤い家紋を染め入れます。

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