◆作家プロフィール
日本画家山田一郎氏、洋画家猪熊玄一郎氏に師事し教導を受け、後に京雛人形の創作に入る。京都西陣の帯地を始めて雛人形のお衣装に使用するなど、斬新かつ華麗な作品を精力的に発表。着実な地位と支持を得て、京雛人形界きっての生産能力を誇る。
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◆作家プロフィール
先代桂甫の一人っ子として雛人形の中で生まれ人形と共に育つ。
伝統の技と作風を正確に受継ぎ人形制作一筋に今日に至る。手造りの名工芸作り出す作品に、特に有職雛は、古代装束を熟練した手づくりでつくりあげ、京都業界最高作者として期待され賞賛さえている。
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◆作家プロフィール
若きときより京都に出て、京人形最高の技を誇るとされた人形師平安一浦に師事する。京人形ならではの素材を活かした着せ付けを学び、侘び寂びのはんなりとした仕上げの極意を習得する。
独立後、素材の美しさを充分に活かした優美で高貴な作風と、洗練された独自の感性が高く評価され、京人形の名匠として全国的にも人気度が高い京人形作家となる。
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◆作家プロフィール
京雛づくりの名匠、初代大橋弌峰を父に持つ、磨き抜かれた技を代目大橋弌峰へと伝授しました。繊細な気品、見つめるほどに心を曵きつける深い魅力があります。
巧みな技を新しい分野に生かした作品づくりも高い評価を受けています。
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◆作家プロフィール
先代蓬左佳峰の長男として名古屋に生まれる
色彩、構図、デザインなどを学生時代に磨き独自の感性を確立。父のもとで習得した技を合わせて造られるその作品は『伝統産業優秀技術者表彰』『名古屋市長賞』多くの賞を受賞している。名古屋における伝統工芸士認定第一号にも選ばれ、時代のエコロジーを取り入れる作品など、新時代への創作も意欲的である。
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◆作家プロフィール
京都市に生まれる
人形作りに携わる環境に生まれたため、幼い頃より雛人形に慣れ親しんでいた。
昭和五十三年より、本格的に人形製作の道に入る。
古都の色や形に強いこだわりを見せるその作品には、京雛ならではの趣が感じられる。
京に住む職人達が作りあげ、伝え残してきた人形の中にある完成度の高さを常に追求する。常に独創性の有る作品を作り出す事に努めるその姿勢は、人形が単なる色合わせによるものではなく、時代に裏付けされた深い味わいを醸し出す物である事を表現しているようである。
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◆作家プロフィール
愛知県蒲郡市に生まれる
18歳より先代の元で人形作りを勉強、精進し、女性ならではの繊細な色彩感覚と斬新なアイディアで業界のリーダー的存在となる。後に有職工房「ひいな」を設立。雛人形工芸士に認定される。1993年より東京高島屋において毎年、創作実演を行う。
女流作家ならではの繊細な感性と現代のモダンを融合させた清楚で華麗な雛人形を積極的に創り続ける。
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◆作家プロフィール
昭和60年(1985年)8月から18年間、静岡市の雛人形製造・販売会社にて修行し、雛人形の知識、技術を身に着け、平成15年(2003年)9月1日独立開業しました。
感性豊かな美しい色の組合せや品格と華やかさ、伝統とモダンのバランスが絶妙な雛人形は年齢、性別問わず人気です。
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◆作家プロフィール
鹿児島県出身
百貨店主催の催事にて、人形職人・【東之湖】の創作実演を目にしたことがきっかけで、束帯衣裳に魅了される。
独学で平安時代の宮廷装束や色彩学を研究する。トレンドカラーと伝統色を組み合わせ、伝統の中にも新しい感覚を取り入れた、私なりのひな人形をつくっていけたら幸いです。『人形を通して若い世代に日本文化の美しい伝統を伝えていきたい。』と考えている女性人形師。
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◆作家プロフィール
東京に生まれる
独学で人形制作を学び、伝統的な甲冑づくりを守る一方で、より身近に、より親しみやすく、より多くのみなさまに飾っていただけるようにと節句という枠にとらわれない新しい人形づくりを展開し、壹三人形を誕生させました。
表情豊かで、凛としながら柔らかみのあるお顔が特徴の壹三人形は 細部に至るまで全て、壹三自身の手で作られています。手描き・手仕上げにこだわる逸品として高く評価されています。
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「黄櫨染」とは染色の一種。
黄色みを帯びた茶色。黄櫨(はぜ)きおうという木の芯部を使った使った草木染め。
黄櫨(はぜ)煎じ、蘇芳(すおう)を加えて、石灰を媒染剤にして染める染色法です。黄色の中に赤色を混ぜた色で今の黄土色に近い色のことである。
今から約千二百年前に嵯峨天皇が「天皇の色」とした染めで、 天皇陛下が即位の礼などで召された装束に使われたといわれます。
天皇が重要な儀式の際に着用する束帯装束の袍『黄櫨染御袍(こうろぜんのごほう)』
この名前は染めてある色名からである。
天皇以外は着用を許されない 絶対禁色(きんじき)として現代の世でも受け継がれています。
黄⇒黄櫨(はぜ)きおうという木の根っこを使った草木染め。この木には虫がつかないので「自分に厄がこない」ともいわれる縁起の良いといわれる木です。
表題にある禁色(きんじき)とは、天皇を頂点とした国家体制の確立を目指す中で、下位の者が身に着ける事を禁じられた色、衣服をさします。
青、赤、黄丹、支子、深紫、深緋、深蘇芳そして黄櫨染、塵(麹塵)が禁色であり、その中でも黄櫨染は天皇のみが着用を許された絶対禁色。そしてその正確な染色法も一般には知られていませんでした。
櫨の木に含まれる黄色と蘇芳色の赤を掛け合わせた、今で言う黄土色に似た色の生地に天子専用の文様である桐竹鳳凰麒麟文様を織り出した御袍は、現代においても「即位礼正殿の儀」等の皇室における最重要の儀式においても着用されています。
太陽光に照らされ、光の当たり具合によって変化して見える黄櫨染。
御殿から出た天皇陛下が太陽の光に照らされ、色の変わり行く黄櫨染を身にまとったその御姿は、人々の目にさぞ神々しく見えたことでしょう。
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有職とは?
有職とは元来『有識』で学識豊かという意味を持つ語でありましたが、有識が博識のほか、規範、法式など広い意味で使われるようになり、『識』の字が『職』に変えられ用いられることになりました。
具体的には、儀式、典礼、行事、官職、位階、殿舎、調度、輿車、服装、遊宴などに関する法式あるいは知識を指すものとなりました。
有職の生まれた時代背景は?
日本は古くから先進外国文化の影響を受け、ことに飛鳥、奈良時代に、大陸の質量ともに優れた文化が伝えられ、朝廷、貴族階級によって積極的に受容され摂取されました。
しかし当時の貴族階級も、文化の基盤となる日本人としての生活意識まで大陸風になってしまったわけではありませんでした。平安時代になって、唐王朝の混乱、滅亡もあって中国と正式な国交が途絶えると、貴族はそれまでのような大陸風への傾斜を是正し、日本の風土に適応し伝統的な生活様式に戻るように心がけました。いわゆる文化の和様化を行ったのです。
ここに先進国の影響を受けた日本で初めてと言える日本独自の文化様式が生まれました、それを有職と名付け、いまでも世界に誇れる日本の伝統と成りました。
有職雛は?
平安時代から受け継がれた貴族の衣裳の型や文様や形式を雛人形に再現したお雛様で最も格式の高い人形と言えるものです。中でも有職文様は、日本的でありながら世界的普遍性を持つ希有なデザインです。
華やかでありながら上品で控えめという『みやび』の文様であり、有職雛には不可欠な文様です。