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ささやまビーファームのお話

いい物件を見つけた

丹波篠山市今田町の山

「この物件いいね」

ネットに載っている不動産サイトで、偶然みかけた建物に、私たち夫婦は釘付けになりました。

当時、大阪府池田市の賃貸マンションに住んでいて、いつかは田舎でのんびり暮らしたい。そう漠然と思っていたものの、日々の生活に忙殺されて、実現にはほど遠いと思っていました。

夢は夢。かなわなくても仕方ない。そう思っていたのですが、この物件はなぜか興味をそそられました。

篠山市今田町にあり、駅にも5分くらいで行けます。50坪ほどですが、家の前には畑もついており、また自動車も2台は余裕でおける広さの駐車場もあります。

価格的にもローンを組めば、手が届かないわけじゃない。
都会で便利な暮らしとは言っても、仕事から帰ってきたら、二人で居酒屋に行ったり、休みの日にはパチンコやゲームセンター。少し体を動かそうと、二人で自転車を買って、伊丹や尼崎まで足を延ばす程度。そしてまた、週があけたら二人とも仕事。

けっこうストレスもたまるから、ささいなことでも小さな喧嘩も絶えませんでした。これで子どもがいれば、少しは変わったかもしれませんが、夫婦二人の生活です。

今日と同じことが明日も起こる。これはこれで幸せなことなのかもしれませんが、都会の生活は、私たち夫婦にはどうしても合わず、かえって退屈に思えていたのです。

そういった「潮時」を感じていたこともあって、この物件を次の休みの日に見学に行くことになりました。

思い立ったが吉日

冬は寒い

丹波篠山市今田町の田園

不動産屋が案内してくれた家を見て、二人とも気に入りました。小さいながらもしっかりとした畑。まわりには民家も少なく、裏山があって。目の前には一面田んぼが広がっています。まさに、思い描いた田舎の姿。

「将来住むとしたら、こんなところがいいね」。

「できればすぐにでも契約を」と懇願する不動産屋をあとにして、帰り道の自動車でも話が盛り上がりました。

もちろん、すぐに家を買うなどと思ってもいなかったのですが、話しているうちに二人とも「決めるなら今ではないか」という気がしてきたのです。

ついに、道路をUターンして、今来た不動産屋に戻りました。

契約したいという私たちに、迎えてくれた満面の笑みは今でも忘れません。

再び帰り道、私たちは我に返ります。

夫の仕事はどうするのか。夫は、東大阪の金属加工の会社で働いていましたから、篠山からだと片道2時間半かかります。往復で5時間。私は三田市内に仕事場があったので、非常に近くなりますが。気の遠くなるような通勤時間ですが、辞めてしまえばローンも払えなくなります。

後先を考えないとは、まさにこのことですが、契約のハンコをついていますし、もはや動き出したものを止めようがありません。

「今のアパートも借りたまま案」「夫だけ東大阪に単身赴任案」いろいろ出ましたが、夫婦二人だけでいくつも家があっても仕方ないので、篠山から東大阪まで通うことに決めました。

さぞや、田舎暮らしはのんびりできるもの。そう思って始めた篠山暮らし。とんでもない。いろんな困難が待ち構えていたのです。

養蜂をしてみたい

篠山は、思った以上に田舎でした。生き物がたくさんいます。田んぼに水を張る季節にはカエルの大合唱。家に入ってきたカエルが、初めて寝顔に乗った時には、飛び上がりました。

鹿もキツネも見ます。イノシシは篠山の名物にもなっています。畑は、柵をしないとこれらの動物に荒らされます。冬はマイナス10℃を超えることさえあり、水道管もよく凍ります。近所づきあいも大変です。自治会に入り、さまざまな行事への参加は当然です。

篠山に来た頃、こういったことがとてもしんどくて。

でも次第に慣れるもので、最初は触ることさえできなかったカタツムリやミミズも気にならなくなり、土を触るのが楽しくなってきました。

初めて自分の畑で収穫した、無農薬の大きくなりすぎたキュウリや、ゴツゴツで硬いトマトは、それはそれは濃厚で「スーパーで買う野菜とここまで違うのか」と驚きました。

ご近所さんづきあいは、助け合いでもあります。
黒豆の枝豆の季節になると、玄関にたくさんの枝豆が置いてあったり、イノシシの肉をわけてもらったこともあります。

篠山特有の寒暖の激しさは、甘くて濃厚な農作物を作るのにはピッタリです。

良い悪いは表裏一体で、どうとらえるかが大切だと気付きました。そして、この田舎の木々が、後々自分たちの仕事になっていくとは、このころは考えてもいませんでした。

初めて養蜂家の見学に行ったときの様子

初めて採れた生ハチミツ

そんな、篠山生活に慣れてきたある日、 「養蜂をしてみたい」 と夫が切り出しました。篠山に移住して1年半で、東大阪の夫の職場は不景気で倒産。夫は介護の道を歩み、介護福祉士の資格も得た矢先のことでした。

もちろん、この時には「仕事をしながら趣味で養蜂をする」と言っていましたが、本当にしたいのは養蜂だったのでしょう。私も、夫の転身を望んでいたのかも知れません。  せっかく生まれてきたのだし、後悔しない人生を歩みたいですから。

事件発生

(サルにやられたー)

「あんたとこの養蜂箱が大変なことになっとるで!」

軽トラのおじさんからの通報を受け養蜂場に駆け付けると、養蜂箱は無残な姿になっていました。

猿のしわざです。

自然を相手にしていると、こういったトラブルはつきものです。そのたびに、せっかく積み上げてきたものが台無しになり、無力感に打ちのめされます。
また、天候や気温で採蜜の量も変わってきますし、天敵のオオスズメバチやダニが異常発生する年もあります。少し世話をサボると分蜂(蜂群が二つに分かれてしまうこと)して、半分どこかに飛んでいってしまいます。

ハチミツの収穫量はいざ採れるまで予想がつきません。だからこそ、大手が参入しにくいところがあるのでしょうし、やりがいがあります。

里山での仕事は、自然との戦いでもあり同時に協調でもあります。世話をかければかけるだけ、それに応えてくれる。一度した失敗は経験となり、次への財産となっていきます。

そして何より、ハチミツが収穫できた喜びは他に変えられません。

甘さと同時に、花粉や山の香りがフワッと広がります。パンやヨーグルトにかけて食べるともう至福。砂糖をスーパーで買わなくても、こんなに甘いものが自然から手に入れることができるのか。初めて、自分でとったハチミツを舐めた時の感動は今も忘れることができません。

里山に自生する花の蜜は最初は糖度が非常に低く、それをミツバチが集めて羽根で乾燥させて糖度を上げていきます。糖度が十分上がるとフタをしてハチミツが完成します。一匹のミツバチが一生の間に採るハチミツの量は、わずかティースプーンに1/3ほどです。

もちろん、そのハチミツはミツバチのもの。

私たちはミツバチが採りすぎた分だけいただくことにしています。ミツバチが自分で採ったハチミツで子孫を繁栄できるように。そして大自然を相手に仕事ができることに喜びと誇りをもって。

100%非加熱の自家製ハチミツ