遡ること150年前 江戸後期に錫屋をスタート

今から約150年前の江戸後期に、大阪心斎橋に錫屋を開業。金、銀に並ぶ貴重品であった錫は宮中でのうつわや有力神社の神酒徳利、榊立などの神仏具としてごく一部の特権階級のみ使用されてきました。その後、茶筒、急須、徳利など一般にも普及しました。



純度は97%の大阪錫器


大阪錫器の錫の純度は97%と非常に高く、そうする事で硬くなり強度が強いためろくろで削る事ができます。




伝統工芸に認定された
受継がれた技


錫でできた酒器や茶器をろくろで削る制作工程は大阪錫器のみ。ろくろ作業がある事で、昭和58年には伝統的工芸品に認定。




錫を贅沢を使用した厚みのある
やわらかな口当たりの飲み口

加熱する、冷却する。どちらをするのも周りから熱を移動させなければいけません。 陶器に比べ1.8倍の速さで熱を移動し、50倍の速さで全体に伝える錫は燗や冷酒の器として最適です。

二重構造になっている上燗コップ、持っても熱くなく、冷めにくいのも特長です。 そして、この二重構造の角度には実は深いこだわりがあります。 普通のぐい飲みで最後の一滴まで飲もうとするとどうしても顎を上にくいっとして飲む姿勢になってしまいますよね。 こちらの上燗コップは、会話を楽しみながら、相手の目を見ながら最後の一滴まで飲むことができるよう 計算された角度になっています。所作も美しく、お酒を飲む場の雰囲気も和みます。



大阪浪華錫器の歴史

大阪における錫器造りの起源は、延宝7年(1679年)『難波雀』に「錫引き、堺い筋」とその記録があり、江戸中期には、心斎橋・天神橋・天王寺など流通の良い上方(大阪)で生産され、やがて産地から産業へと拡大されました。 錫屋の老舗〝錫半〟(1996年閉店)が正徳4年(1714年)に心斎橋で開業。その後多くの大阪の錫器製造業者が集合し、特産品としての地位を確立しました。

最盛期の昭和前半には大阪全体で250余名もの職人が競うようにその腕を振るったといわれています。 第2次大戦の勃発とともに、職人の招集が相次いだり、戦時統制により材料の入手が困難になるなど大きな打撃をうけました。 それでも、昭和58年(1983年)3月、錫器の伝統性・技術・技法等について審議の結果、当時の通産大臣(現 経済産業大臣)より伝統的工芸品『大阪浪華錫器』として指定・承認されました。 日々の研鑚を忘れることなく先人たちの優れた技術や知恵を受け継ぐ品を作り続けています。

昭和24年創業の大阪錫器

「現代の名工」今井達昌(伝統工芸士)を代表とし、国家資格を持つ3名の伝統工芸士、15名の男女が従事しています。 大阪錫器の技術は、江戸時代後期に京都から大阪に普及した京錫の流れをくむ初代伊兵衛(錫伊)に発し、代々大阪で隆盛を極めました。

昭和24年、今井弥一郎によって「大阪錫器株式会社」が設立されると、 今日まで伝統工芸の技術と育成が伝承されました。 時代を経ると共に、技術・技法は洗練され、一部は現在生活にマッチした形へと変化しましたが、そのモノづくりの技と精神は今も引き継がれています。