樂天軒について

百二十年の伝統を受け継ぐ
「樂天軒本店」

■天津甘栗専門店の草分けとして創業。
当時の甘栗といえば、たまに中国の商人が少量の栗を焼いて売っていた程度の珍しい存在でしたが、明治後半から大正初めにかけて天津甘栗を商う会社が東京に3店、大阪に1店誕生しました。
日本で本格的に天津甘栗の販売を始めたのはこの4社が最初であり、樂天軒の前身となる商店が関西初の店として創業しました。

■創業者 藤田留吉が露天販売からのスタート。
大阪の食品業で生計をたてていた藤田留吉は、現在の黒門市場付近で甘栗を専門に扱う商店を創業。最初は籐のカゴに焼いた栗を入れて、小さな露店のような形でスタートしたそうです。
大正3年(1914年)には千日前楽天地に店舗を構えるほどに成長し、その出店をきっかけに屋号を「樂天軒」と改めました。後に暖簾分けを行うようになり現在の「樂天軒本店」として登記するに至ります。
甘栗はまだ当時の世間では馴染みの薄い食べ物でしたが、後の世界万国博覧会をきっかけに大きく知名度が上がり、さらなる発展への転機となりました。

■天津甘栗の代名詞とも言える「赤い紙袋」
樂天軒の焼いた甘栗は創業者の考案で、栗の絵が描かれた赤い紙袋に入れて販売されました。東京では栗を入れるのは巾着型で、赤く四角い紙袋は大阪特有の名物となり模倣する店が後を絶たず、昭和64年(1989年)にデザインを一新しました。そして従来デザインの紙袋は催事販売用として今も皆様にご愛顧いただいております。
また、厚手の紙袋を使うことは見栄えだけでなく、熱々の栗を入れた際に発生する水蒸気を吸収し、甘栗のべとつきを和らげる働きもあります。商品をお客様に手渡すまで決して手を抜くことはない、創業者の品質と味へのこだわりが込められています。