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LACOSTE伝説 |
伝説の誕生 1927年にムスクテール(※)と呼ばれたチームの一員として デビスカップで初めてアメリカチームを破り優勝した事により ルネ・ラコステはテニス界の伝説的プレーヤーとして第一歩を踏み出した。 また、フレンチオープンで3度の優勝、英国ウィンブルドンでも2度の優勝、 フォレストヒルのUSオープンでは2度の優勝をしている。 |
![]() ルネ・ラコステ |
![]() 左から、アンリ・コルシェ、ジャン・ボルタ ピエール・ギルウ(キャプテン)、ルネ・ラコステ ジャック・ブルニョン。 |
※ムスクテール ルネ・ラコステ、ジャン・ボロタ、ジャック・ブルニョン・アンリ・コルシェの 4人で構成されたテニスフランス代表チーム。 4人のメンバーは次々とタイトルを獲得し、 観客は彼らに通称名をつけるようになった。 ジャン・ボルタは“跳ねるパスク人” アンリ・コルシェは“マジシャン” ジャック・ブルニョンは“トト”という愛称で呼べれていたが、ルネ・ラコステは コート上の恐るべきプレーヤーとされてはいたものの、あだ名はまだ無かった。 集中力の強さと冷静な振舞いで、観客と対戦相手に強い印象を残していた。 1927年のデビスカップでの歴史的優勝によって 初めて4人にムスクテール(四銃士)というあだ名がつけられた。 |
![]() ロベール・ジュルジュによる Crocodile(ワニ)のオリジナルデッザン |
“Crocodile(ワニ)”の発端 真実のCrocodile(ワニ)伝説は1927年にさかのぼります。 ルネ・ラコステは自分の通称名がどの様にして 世界中に知られるシンボルになったかを語る事が好きでした。 “デビスカップで出会ったフランスチームのキャプテンとの賭けがきっかけで、 アメリカのメディアは私の事を“Crocodile(ワニ)”と呼ぶようになったんだよ。 |
そのキャプテンは私がこの大切な試合に勝ったらワニ革のスーツケースを買ってくれると約束したんだ。 獲物は決して逃さない。テニスコート上で私のしつこさを上手く言い表したい様で、 それからアメリカではこのあだ名が定着したんだね。その後、友人のロベール・ジョルジュがデザインした Crocodile(ワニ)を私の着ていたブレザーに刺繍してくれたんだ。” |
発明家としてのルネ・ラコステ
テニスチャンピオンのルネ・ラコステは発明家としての才能も持ち合わせていた。 20年代には、ラケットをよりしっかりと握る為に自分のラケットの グリップ(当時は木製)にテープ(絆創膏)を巻きつける事を思いついた。 このアイディアはあっという間に知れ渡りすぐに どこのテニスコートでも見られる様になった。 |
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妻・シモーヌ・ティオン・ド・ラ・ショールーム ゴルフの英国オープンで優勝し、その後13回に渡って フランスチャンピオンとなったシモーヌ・ティオン・ド・ラ・ショールーム。 彼女はオープン早々ウェールズ公やチャーリー・チャップリン等の有名人を招待した 名高いシャンタコゴルフ場の創立者、ルネ・ティオン・ド・ラ・ショールームの愛娘で 1930年にルネ・ラコステと結婚しマダム・ラコステとなった。 |
娘・カトリーヌ・ラコステ
シモーヌとルネ・ラコステの娘カトリーヌは母親の跡を追い ゴルフで素晴らしいキャリアを積んだ。 19歳にしてゴルフ世界大会で団体優勝をし、その後もタイトルを獲得していった。 全米ゴルフオープンでも優勝。 このタイトルを獲得した初めての外国人で、当時は最年少で最初のフランス人だった。 アメリカでチャンピオンとなり、イギリスの大会でも優勝。 彼女はフランスチャンピオンのタイトルも4度獲得している。 |
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LACOSTE Hat & Cap Collection
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Lacosteのスタイルは真正さ、自然、品質、エレガンスにこだわりを持っています。 1933年の創立以来ラコステ・ブランドの特徴の一つであり、 コットンの素材選びから織糸のより方まで製造工程すべてに反映されています。 優れた品質の衣服、サングラス、フレグランス、時計、シューズ等多くのプロダクトでも徹底されています。 このスタイルとスピリッツはラコステ・ブランドが生まれた当時と全く変わりません。 一時的な流行ではなく優雅さとくつろぎ、快適な使い心地を追求しています。 身に付ける人の幸福と成長をもたらすブランドになること、それがラコステの掲げる目標であり それがアイデンティティーのもとになっているのではないでしょうか。 |