神様というと、多くの日本人にとっては「うさんくさいもの」、という感覚がありますが、ここでいう神さまとは、人智を超えたこの世の神秘や、宇宙の秩序やルールの創造主をさしています。ですから、宗教の教義を造られた、イエス・キリストやお釈迦様のように、人間が悟りを開いた姿や教義、信仰をすすめているわけではありません。
人間はもともと未熟で不完全な生き物ですから、多くの人から信用されているような立派な人でも、一生を通じて、100パーセントの信頼に値する行いができる人はいないと思うのです。絶対に裏切らない人間など、この世に存在しないと思います。人間はときには、他人や神様を裏切る行為をしてしまいます。
裏切られ、傷つき、つらい気持ちを癒すために私たちは、今度こそは、と希望を抱いて心から信じられる人間を探し出そうとします。でも、なぜか今度は、逆のパターンになって、大事なだれかを裏切ってしまうのです。またしても信頼関係を失った私たちは、今度こそはと望みを抱きながら、再び裏切られてしまう。そんな茶番劇を繰り返し、泣いたり笑ったりしながら生きているのが人間です。
人間の運命とは、そうたやすくは変わりません。並大抵の努力で変えられるものではないのです。いくら逃れようと思っても、くつがえすことはとても難しく、もがいてももがいても、同じ場所でぐるぐると回っていただけ、ということに気づかされます。それはまるでメビウスの輪のようです。
人間が弱さや未完成さを克服しないかぎり、不実な行為はついてまわるのです。私たち日本人は人を信じることの大切さを教育されますが、人間が信じるに値する完全な存在にならないかぎり、いつの日か裏切られて失望を味わうことは避けられません。大切な人に裏切られたときの悲しみは、計り知れないものがあります。
そう考えたとき、ふと頭によぎったのは、信じるべき存在とは本当は人間ではなくて、実は神様なのではないか? という考えです。その話を日本人にしてみると「ふーん、神様ね、神様を信じるってどういうこと?」、次にインド人の意見を聞いてみると、「あたりまえじゃないか。人間は100パーセント信じちゃいけないよ。人間はいい人に見えても、いつ豹変するかわからないんだから……、だからみんな神様を信じているんだよ」という答えが返ってきたのです。
日本人の女性は占いが大好きです。それは信じるものが見つからず、迷ってしまっている証拠だと思うのです。そんな日本では、100パーセント信じられる占いをめざして、占い師たちは努力を重ねているのですが、占い師がめざしている絶対に信じられる存在とは、実は神様なのだと思います。
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