「ねば塾のはじまり」
ねば塾は1978年12月、長野県佐久市にて初代代表笠原愼一が当時施設指導主任として勤務していた障がい者福祉施設から2名の利用者を引き取り障がい者の社会的自立を目指し産声を上げました。『社会に出て働きたい』と望む心身にハンディを持つ彼等は、福祉施設のような行政からの補助金による保護保障を望むのでなく【自ら働き その収入で暮らす】と言う当たり前の暮らしを求めていました。
そんな彼等と「障がい者」「健常者」という概念を捨て『共に働く場所』としてねば塾は設立されました。
現在では、健常者17名、障がい者17名の合わせて34人が同じ職場で一緒に働いています。
「石鹸作りは職人仕事」 昔の石鹸屋の言葉です。
原料ひとつとらえても、同じ仕入先の油も、採取場所、採取時期、絞り方、保存期間などによりかなりの「差」があります。その状態を見ぬき仕上げるために、「経験と勘」が必要となります。 ねば塾で使用している「製粉機」は何と、昭和20年代のものです。30数年前、廃業した石鹸屋さんから頂いた物を使い続けていますが、見事にシンプルな機械で、故障も自分等で簡単に修理できる構造です。機械がシンプルな分、操作する人が上手く操る必要がありますが、ねば塾には「粉引き職人」がおります。知的ハンデイを持っていますが、30数年この機械を担当し、今では、「機械の音、振動」で状態を把握し使いこなしています。
また、透明石鹸のカット作業においても活躍をしてくれているスタッフがいます。障がいの特性の1つに“強いこだわり”というものがあり、他のスタッフに任せるとどうしても大きさが揃わずにロスも多くなってしまう作業も、同じ大きさにきれいに揃えたいという彼に任せると見事に均一なサイズでカットしてくれるのです。ほかにも、石鹸の袋入れが得意で1日に1200個こなすスタッフや、大きな体格を生かし力仕事はお任せのスタッフなど、多彩で多様な能力に支えられ、ねば塾の製品は作られています。
社会一般にはハンディと捉えられてしまう特性も持ち場が変われば“能力”になるということを実感しています。私たちは試行錯誤をし、たくさんの失敗を繰り返しながら日々宝探しみたいなことをしています。 もちろん、失敗が100ある中でその宝物を見つけられるのは1かもしれませんが、人それぞれがもつ可能性や特性を見つけて、本人にとっても生きがいややりがいになってくれることはとても嬉しいことだと思っています。
ハンデイがあっても「自信と誇りを持った製品」を作り出す、本物の職人集団に全員が成長してきております。
ねば塾はこれからもハンディの有無に関わらず、持てる力を出し合い、知恵を絞り汗を絞り、甘えのない品質の良い石鹸作りに取り組み、福祉的補助金を受けなくとも経済的に自立をすることにより完全社会参加を実践してまいります。
ハンディのある仲間達の働く場だけでなく、安心して生活ができる場としてグループホーム『蛍雪庵』『なるせ庵』『たかせ庵』を運営しております。 山や川に囲まれた自然豊かな場所にあり、とても賑やかで楽しい毎日を過ごしています。