F.F.シューベルト(フランツ・フランソワ) Schubert, Franz Francois

生没年 1808-1878 ドイツフランス
辞書順 NML作曲家番号 19466
  • 商品番号:8.573000

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    カマー(1797-1879)
    フランソワ・シューベルト(1808-1878)

    二重奏曲集 詳細ページ
    [ハイヒホルン/ヒュルスホフ]

    KUMMER, F.A. / SCHUBERT, F. François: Duos for Violin and Cello (Eichhorn, Hülshoff)

    発売日:2016年07月27日 NMLアルバム番号:8.573000

    CD価格:1,900円(税込)

    マイニンゲンで生まれ、ドレスデンで活躍したチェロ奏者、教育者フレデリック・カマー(1797-1879)。ドレスデンの宮廷オーボエ奏者として招聘された彼の父から最初の音楽の手ほどきを受け、オーボエを学びましたが、チェロの名教師ドッツァウアーに出会い、チェロに魅せられます。その後、1814年にドレスデン宮廷楽団に、最初はオーボエ奏者として入団、20歳の時にチェロ奏者として同歌劇場管弦楽団に入団。1852年には首席チェロ奏者の地位を得て、1864年に引退するまでその任にあたりました。また、友人のヴァイオリニスト、フランソワ・シューベルト(1808-1878 フランツ・シューベルトとは血縁関係なし)とデュオを結成、ヨーロッパ各地を演奏旅行し、自分たちが作った曲で多くの聴衆を魅了しました。 彼らのレパートリーには、当時流行していた「オペラの名旋律を主題にし変奏をほどこしたもの」が多く、ここに収録されている曲も、どれもが高度なアンサンブルと技巧が要求された華やかなものばかりです。

  • 商品番号:BIDD85062

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    発売日:2025年06月27日

    CD価格:2,175円(税込)

    20世紀の最初の四半期に華々しく活躍し、ヴォーン・ウィリアムズの名曲「揚げひばり」誕生に貢献したマリー・ホール(1884-1956)を聴く1枚。9歳の時に、優れた演奏家で作曲家でもあったエミール・ソーレを感嘆させたというホールですが、家庭に経済的余裕が無く進学を断念。個人教授のレッスン料を稼ぐため、路上などありとあらゆる場所で演奏したと後に述懐しています。 エルガーや、「G線上のアリア」で知られるウィルヘルミらの指導を受けた彼女は、17歳でヤン・クーベリックを感心させて推薦を得、プラハ音楽院で名教師として知られたオタカール・シェフチークに師事、翌年のデビュー・リサイタルではカーテンコールが25回にも及んだと伝えられます。その翌年にはロンドンでヘンリー・ウッド指揮クイーンズ・ホール管弦楽団とパガニーニのヴァイオリン協奏曲第1番、チャイコフスキーのヴァイオリン協奏曲、ヴィエニャフスキのファウスト幻想曲を披露してセンセーショナルな成功を収めました。 1908年6月に演奏会で居合わせたヴォーン・ウィリアムズの目に留まり、後に彼は「揚げひばり」を作曲して彼女に献呈。ピアノ伴奏版もオーケストラ版もホールのソロで初演されました。1912年12月にはエルガーのヴァイオリン協奏曲を作曲者の指揮で演奏して大きな評判となり、ここに収められた録音に結実します。ただしSPレコードの収録時間の制約から「短縮版」による演奏で、第1楽章と第2楽章が各4分、第3楽章が7分半に切り詰められています。 ここに復刻されたのは1904年から24年にかけての演奏。さすがに音質面での制約はありますが、リースやパガニーニの無窮動や常動曲に聴く軽快に弾むような弓捌きは聴いていて楽しく、サン=サーンスの「白鳥」冒頭のポルタメント、ラフのカヴァティーナにおけるヴィブラートの使い方などに当時のスタイルを聴くことが出来ます。ドヴォルザークのユモレスクはゆるやかなテンポでメランコリックに奏でられて印象的。バッハ、ヘンデル、ルクレールの作品はバロック音楽の演奏史における貴重なドキュメントでもあります。

  • 商品番号:BIDD85045

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    発売日:2024年04月05日

    CD価格:2,175円(税込)

    名演の誉れ高いミトロプーロスとのベルクの協奏曲や、若きバーンスタインとの共演、更に第2次大戦中の貴重な録音を含むシゲティのAFRS音源を復刻。 1939年にアメリカに移住したシゲティは米コロンビアに多くの録音を行いましたが、第2次大戦中の1942年8月から44年11月の間はアメリカ音楽家連盟(American Federation of Musicians)が市販用の録音のストライキを行ったため、シゲティにもコロンビア録音がありません。トラック1から7はこの空白期間を埋める貴重な音源です。 AFRS(Armed Forces Radio Service)は国外で暮らすアメリカ人向けに1940年代初めに米軍が開設した短波放送局。同局の放送用の録音は上記のストライキの対象外となったため、ジャンルを問わず多くの音楽家・団体が参加しました。このディスクはシゲティがAFRSのために行った録音のすべてを収めています。 AFRS音源の中でミトロプーロスとのベルクはこれまでにもCDが出ており、ファンの間では名演として知られて来たもの。今では20世紀の傑作の一つに数えられる同曲も1945年当時は知名度が低く、この曲を非常に高く評価していたシゲティとミトロプーロスは演奏会のプログラムに載せるためにオーケストラとその理事会を説得するため共闘したと伝えられます。これは同曲がアメリカで初めて放送された時の演奏という点でも貴重な記録です。 (曲目・内容欄に続く)