厨房卸問屋名調

KitchenGoods Meicho

業務用厨房機器と調理道具の専門店

EC・ジャングル > Meicho Interview Alacarte > 
ギュービッグ 大山店 オーナー 中原 高志さん

Meicho Interview Alacarte

Vol.1

ギュービッグ 大山店 オーナー / 中原 高志さん

東京の副都心・池袋駅から2kmほど離れたところにあるギュービッグ大山店は、2001年にオープンした焼肉屋だ。ギュービッグ本店となる上板橋店に続いての2店舗目である。創業以来のコンセプトは、「安い価格でたくさん食べられる店」、「目でも楽しめる店」。

家族を結びつけた店を、
後世に受け継いでいく

ギュービッグ 大山店 オーナー / 中原 高志さん

2009年に創業者の父から大山店を受け継ぎ、経営者となった中原高志さんのギュービッグ歴は約16年。中学時代から働き始め、弱冠22歳で本店の経営を任された弟の中原裕次郎さんに至っては、ギュービッグ歴約25年。

それぞれの形で受け継いだ父のDNAに自身の色を加えながら、次世代へとバトンを渡していく―—。その途上にある中原高志さんの物語。

焼肉 ギュービッグ 大山店
マンゴーのように肉を切った「カルビボブ」は店の看板メニューの一つ。

実践で学んだ“修行時代”

父親らしい父は知らない。物心ついたときから父は、妻と切り盛りする焼肉屋「ギュービッグ」のマスターだった。

中原が弟と祖母と暮らす家は、店のある板橋区から電車で1時間近くかかる江戸川区にあった。しかし、そこに父が帰ってくることは月に数回程度。学校の授業参観に来るのも、父ではなく親戚だった。

長男として父の店を継がなければならないという使命感もなければ、店に愛着や特別な感情を抱いていたわけでもない。父からそう求められたこともない。それでも23歳のとき、中原は父と同じ仕事場で働くようになっていた。

地元の高校を卒業後、中原は仕入れた肉を飲食店などに卸す食肉卸会社に就職した。幸いしたのは、社長と自分を含め、社員が3人しかいない個人店だったこと。トラックでの配送の他、大きな肉の塊を捌いて小分けにしたり、スライスしたりするなど、ひととおりの仕事を学ぶことができたのだ。

包丁を扱う作業はそれなりの技術を要するにもかかわらず、入社後早々から先輩と同じ土俵に立たされた。まさに「実践から学べ」というスタンスを地でいくような会社だった。

「右も左もわからない最初はすごく辛かったけど、アットホームな雰囲気の職場で色々と親切に教えてもらえたのはありがたかったですね。肉という肉はほぼすべて取り扱っていたその会社で働いた2年間のうちに身につけた肉に関する知識や技術は、ここで働くようになってから大いに役立ったんです。

だから、うちの店でスタッフに教えるときも、初っ端から厨房に入れて、どんどん実践させます。そのほうが断然、覚えがよくなるからです」

今に役立っているのは、知識や技術だけではない。

「その業界には通じているので、肉の仕入れ価格などを業者と交渉するときには有利に働くことが多いですね。むこうの嘘も見抜けるので、今は駆け引きが必要ない、腹を割って話せる業者さんとしか付き合っていないんです」

尖っていた日々

食べるのが好きで、特に洋食が好きだったこと。10代の頃は、イタリア狂と言えるほどイタリア好きだったこと――。そんな理由で料理人を志すようになった中原には、食肉卸会社を退職後、イタリアンレストランで数ヶ月ほど働いていた時期がある。

戸惑ったのは、前職とのギャップだった。新人に与えられるのは、一日じゅうニンニクやトマトの皮むきをする、といった仕事ばかり。包丁を握れるまでにはどれだけの月日を要するのだろう……。これが俗に言う下積みか、と実感する日々は、大きな苦痛を伴うものだった。

「ギュービッグ2店舗目(大山店)を出店するから、そこで働かないか?」

父からそう声をかけられたことを機に、中原はイタリアンレストランを辞めた。店が稼働するまでの半年ほどの準備期間は、仕事のノウハウなどを盗むべく、銀座と九段下の焼肉屋で働いた。

「もともとサラリーマンになる気はなかったんです。何らかの仕事で独立したいという気持ちが強かったので、親父からもらったチャンスを活かしてがんばっていこう、と思ったんですよね。

後から聞いた話では、親父はもし僕が料理の修行をするためにイタリアに行くのなら、その留学費用は用意するつもりだったらしくって。でもすぐに辞めちゃったから、「仕事を続けられない奴」という烙印を押されかけていたみたいです(笑)」

節電対策機器の営業販売、コンビニ店員、ホスト、引っ越し作業員、警備員……。ギュービッグに腰を据えるまで様々な職種を経験した中原だが、長く続いた職場は決まって、新人であってもどんどん仕事をまわしてくれるところだった。一方、雑用ばかりやらされるようなところは、長く続いたためしがない。

「肉の卸会社でも、仕事の飲み込みはわりと早かったと思います。野心の塊のようなところがある僕は、何の仕事であれ上に立ちたいタイプだったんです。(笑)アルバイトであれ、バイトスタッフの中では一番裁量のある立場になるために仕事に励みます。仕事だけはしっかりしたい、という思いは、昔からあったんですよね」

コンビニでアルバイトをしていたときには、先輩たちをごぼう抜きにして、10代ながらにオーナーの右腕のような地位に抜擢されたこともある。その例にとどまらず、長く働いた職場ではたいてい、それなりの地位まで上り詰めることができた。

「年下だから、という理由でナメられるのが嫌だったのもありますけど、そういうところの根性は備わっていたんです」

重要視している「接客」

焼肉 ギュービッグ 大山店それから15年以上。尖っていた若者もいまや自分の城を持つ経営者となり、オリジナリティある店づくりに努めている。

「おいしいものを出すのは前提として、いちばん大事なのは接客だと思っています。店員の言葉遣いが悪かったり、表情が暗かったりすれば、食べもののおいしさを損ねてしまう一方、とてもいい接客をされて、すごく気持ちよく食べられたら、そのものの味以上においしく感じられたりすると思うんです。

なかでも最重要視しているのが笑顔です。笑顔を作るのではなく自然に笑うという意味で、スタッフにも「まず笑いなさい」と指導しています。最高の手本はデイズニーランド。飲食店で同じようにやると過剰かもしれないけれど、常に笑顔でいたり、何でも気がついたりと、お客さんを気持ちよくさせることに徹する姿は、ほんとにすごいな……といいつつも、この10年間で一度くらいしか行ってないんですけどね。(笑)

食べものの味は、店の雰囲気やそのときの気分によっても大きく左右されるもの。トイレやテーブルセットの清潔感も気持ちよさに関わってくるものだから、その掃除ひとつとっても、おろそかにはしたくない。

だから、アルバイトか社員かを問わず、接客については同じように指導していますし、5、6年働いている子に注意することもあります。といっても、ここで働いていれば一流の接客を身につけられるよ、と言うつもりはありません。注意する内容の多くは、「足を引きずって歩かない」、「姿勢を良くする」といった普通のこと。大学生などのアルバイトスタッフを指導する上でも、仕事に対する姿勢なりマナーなり、社会に出ても必要になるものを教えるように心がけています。

僕は賄いを食べる時の箸の持ち方のような細かいところまで注意するので、「ここで厳しく言われたことを全部できるようになれば、社会に出たときには一歩リードできるよ」とは自信を持って言えますね。昔働いていたスタッフから「この店で働いた経験があると、他の職場で働くのが肉体的にも精神的にもすごく楽です」と言われたこともあります。

それだけに、僕が店にいないときとかに来たお客さんから「いい接客だね」「あの子いいね」と褒めていただけるとすごくうれしい。その喜びは、肉の味を褒められたときよりも勝っているかもしれません。

消費者としても接客にはすごくうるさい僕自身、いくらおいしくても、接客が悪かった店には二度と行きませんから。若気の至りだったけど昔は、接客態度が悪い店員に怒鳴ったこともあります。

僕がされて嫌だったことはこの店ではしませんし、スタッフにもさせません。たとえそれが科学的根拠に基づいてよしとされているやり方であっても、僕にとって心地よくないものを取り入れることはないですね。

とにかく、みんなが気持ちよく来て、気持ちよく帰れるような当たり前のことができればいいなと。目指しているのは、静かに落ち着いて食べられるお店です。それでかどうか、「友達と行くときは賑やかで威勢のいい弟の店(上板橋店)、家族と行くときは大山店」と使い分けているお客さんもたくさんいらっしゃるんです」

ページの先頭へ