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ひな祭りの由来や歴史、雛人形を飾ることの意味とは

ひな祭りの由来については諸説ありますが、起源といわれる風習はいくつか存在していて、それらが混ざり合って誕生したのが日本固有の風習「ひな祭り」だといわれています。

このページでは、ひな祭りの元となったといわれる風習、行事、雛人形の歴史などを簡単にご紹介いたします。

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中国では、季節の節目節目で、無病息災、豊作、子孫繁栄などを願う節句行事があったそうです。

奈良時代になると、節句行事の風習が日本にも伝わり、広まったといわれています。 皆さんご存じの、5月5日「端午の節句」や、7月7日「七夕」なども節句の一種です。

端午の節句 子供の日のイメージ 七夕の節句のイメージ

そのうちの一つ、3月に行われていた「上巳の節句(桃の節句)」は、官民そろって水辺で沐浴をして禊を行い、身体の穢れを流すことで、祓除をする行事でしたが、時代は流れ、「水辺での春の遊び」や「庶民の農事の節目」へ変化していったそうです。

上巳の節句を行っていた川のイメージ
上巳の節句はこんな感じのきれいな水辺で行われていたんでしょうか?

ちなみに、沖縄県や鹿児島県の奄美群島では、旧暦のひな祭りの日に海浜に出かけて手足を海水で清めたり、ご馳走を用意して浜辺で宴会を行う「浜下り」という伝統行事があるそうですが、これが昔の中国で行っていた「上巳の節句」に近い行事かもしれませんね。

日本には、古来より土や紙、草などで作った人形(ひとがた)で体を撫で、身の穢れや厄を移すことで厄払いとする「身代わり信仰」がありました。

紙で作った人形(ひとがた)のイメージ
紙で作った人型(ひとがた)のイメージ

この身代わり信仰の一端が、厄を移した人形を川や海に流し、祓い清める「流し雛」で、平安時代に紫式部が書いた「源氏物語」の「須磨」にも記述がある、歴史の古い風習です。
現代でも一部の地域では、ひな祭りの時期に行われている行事なので、ご存じの方も多いかと思います。

川で流し雛を行う親子のイメージ
川で流し雛を行う親子のイメージ

また、昔は医療が未発達だった為、病気のことを「たたり」や「わざわい」と考えていたんだそうです。
懐妊すること自体も大変で、やっとの思いで誕生した子を、災厄から守るためのお守りとして、十字型の棒に頭をつけ産着を着せた「天児(あまがつ)」や、ハイハイをしている子供の姿のような「這子(ほうこ)」といった、身代わりの人形を作り、枕元などに置いていたそうです。

ちなみに、この天児や這子は女の子のためだけではなく、男の子が誕生した際にも同様に用意していたそうです。

おままごとをする女児のイメージ
平安時代の貴族の子供の間で流行していた、人形を使ったおままごとのような「ひいな遊び」がありました。

人形や婚礼調度品などを使っておままごとをしたり、供え物をしたりしていたそうです。

ひいな遊びに使われていた人形は、初めのうちは、紙や草、布等で作った簡素なものだったようですが、時代が進むと、人形や衣裳はだんだんと立派になり、嫁入り道具なども豪華で本格的なものになっていったそうです。

七段飾りのお雛様のイメージ
上記でご紹介した「上巳の節句」や「流し雛」「身代わり信仰」「ひいな遊び」等の風習が合わさり、ひな祭りの起源になったのではないかといわれていて、安土桃山時代以降、現代のような雛人形を飾るスタイルとして広まったそうです。

そして、時は流れ江戸時代になると、京都御所で盛大に雛祭りが催されたことや、3月3日の上巳の節句(桃の節句)が、公的な行事、祝日として定められたこともあり、身分の高い家庭だけでなく、庶民の間にも雛人形を飾る風習が広がりました。
当時はバブル期のように景気がよい世の中だったこともあり、豪華で派手で高級なものが好まれるようになり、だんだんとサイズも大きくなっていきました。
身分の高い家庭には、等身大のような大きさの雛人形が奉納されたりしていたそうです。
また、お人形の数やお道具などの種類が多くなっていったのもこの時期だといわれています。

その後、景気が悪くなると贅沢を禁じる「奢侈禁止令(しゃしきんしれい)」が発布され、「雛は八寸(高さ約24cm)以下、雛諸道具は蒔絵は不可」という制限が出来たせいで、大型の雛人形の製作が禁止されたものの、この規制を逆手に取ってサイズは小さくても、手の込んだ細工を施した雛人形が流行したそうです。
着物の柄や色などを制限されたことに対しても、遠くから見ると無地に見える極小柄の着物、江戸小紋などからも伺える、禁止されても知恵をしぼって楽しみを見出す姿勢がなんとも粋ですよね。

昭和頃になるとには、七段の十五人飾りが流行しましたが、現代ではどちらの両親とも同居しない核家族化が進んで、住宅事情なども変化していくなかで、コンパクトな段飾りや収納飾り、親王飾りやケース飾りなどが主流となりました。

また、近年ではかわいらしいお顔が人気の、木目込み人形が注目されるようになりました。
そのほかにも、ちりめん細工の雛人形や、積み木のような木製の雛人形まなど、様々なタイプが登場しています。

雛人形は、受け継がれてきた伝統と歴史、子を想う親心を大切にしながらも、時代やニーズに合わせ進化を続けています。

家族のイメージ
雛人形を飾るのはどういう意味がこめられているんでしょうか。
諸説あるようですが、主にふたつの意味があるといわれています。

一つは、「わが子が健やかに成長できますように」という意味。
医学が発展していない時代、懐妊する事や、出産そのものも非常に大変なことで、生まれた子が無事に大人まで成長するのは「あたりまえのこと」でありませんでした。
昔は病気にかかることを「たたり」や「わざわい」と考え、恐れていたんだそうです。
そのような時代ですから、「たたり」や「わざわい」から、わが子を守って欲しい一心で、身代わりになるお守りの人形として、雛人形を飾り、御供え物をして、無病息災を祈っていたのです。

もう一つは「幸せな結婚ができますように」という意味。
雛人形の飾りは結婚式の様子を模したものです。
雛人形の主役のお人形、お殿様は「天皇陛下」、お姫様は「皇后陛下」を表していて、天皇と皇后のような幸せな結婚ができますように、という願いも込められています。

ひな祭りに行う風習や雛人形の形は時代とともに変化してきましたが、子供の健康や幸せを願う親の心は、いつの時代でも変わらないものです。
ひな祭りをするようになった由来や、雛人形を飾る意味などを思い浮かべながら飾っていただくと、子供を守ってくれる我が家の雛人形に、より愛着が涌くのではないでしょうか。

また、お子様が大きくなり、由来や意味などをお話しながら一緒に飾りつけが出来るようになれば、毎年雛人形を飾り付けるのが待ち遠しくなることと思います。

少し話は戻って「五節句」について。

現代に伝わる節句は5つで、「五節句」と呼ばれています。
日本でも昔はたくさんの節句行事があったということですが、そのうちの5つを江戸幕府が公的な行事、祝日として定めました。
現代では「祝日」なのは、端午の節句(5月5日)のみとなっていますが、五節句の風習や行事は引き継がれていますよ。

五節句は下記のように「奇数の重なる日」が選ばれていています。

・1月7日 人日 じんじつ (七草の節句)
・3月3日 上巳 じょうみ (桃の節句)
・5月5日 端午 たんご (菖蒲の節句)
・7月7日 七夕 たなばた(笹竹の節句)
・9月9日 重陽 ちょうよう(菊の節句)

中国では「奇数は縁起が良い」と考えられているため、「奇数が重なるめでたい日」を、五節句として定めたんだとか。
ちなみに、1月だけ「1月1日」ではなく「1月7日」なのは、公的な行事、祝日として定める際に、1月1日(元日)が、すでに祝日だったからなんだそうです。

桃の節句には雛人形を飾り「ちらし寿司」や「ハマグリ料理」、端午の節句には五月人形や鯉のぼりを飾り「ちまき」や「柏餅」など、五節句にはそれぞれ「節句料理」といわる料理がありますが、元日に食べる「おせち料理」が、実は「節句料理」で、1月7日に食べる「七草粥」は、日本独自のもので、厳密には「節句料理」ではないんだそうですよ。


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