マシュマロキッチン
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「マシュマロ作ってもうすぐ50年です。」林元良 83歳
 
林さんは、マシュマロキッチンで一番のベテランです。昭和5年生まれで、3年前に奥さんを亡くされましたが、お子さん3人、孫9人、ひ孫4人に囲まれいつも工場から持ち帰ったマシュマロを、子どもたちにプレゼントしているマシュマロおじいちゃんです。マシュマロキッチンには昭和40年から努めており、もうすぐ50年になります。私たちにとって、かけがえのない存在になっています。そんな思いで、インタビューをしてみました。
 
林さんの働くきっかけ
 
ここで働くことになったたキッカケですが、当時、傘づくりの職人をやっていました。しかし、会社が潰れてしまって、仕事を探していたんです。職安に通っていて、ふと目に止まった求人がありました。それが、八千代堂(マシュマロキッチン)でした。すぐに、先代の社長とお会いし、話すやいなや「すぐにきてくれ~」と言われ。そのまま入社しちゃったんです。当時の八千代堂(マシュマロキッチン)は、集団就職の時代で、岡山や鳥取から来ている人もいましたね。当時の人数も、いまのと同じくらいで10人位でやっていました。工場も、床がガタガタで下駄を履いてやっていたこともありましたし、工場の2階には住み込みの方も居て、今では考えられないですね~。最初は、ほうずいとういうお菓子をつくってたんですが、昭和40年頃にマシュマロに変えて、「鶴の卵」として販売してましたね。当時はすごく売れましたね。
 
しんどいこともあったかもしれんけどそれを忘れくるくらい楽しかった
 
先代の社長との思い出もたくさんあって、皆は、社長のことを怖い怖いと言ってたのですが、私は怒られたことなかったので、本当に可愛がってもらいましたよ。当時は、製造だけではなくて、社長の運転手もしたりしてましたので、一緒によく遊びに連れて行ってもらってましたね~。心斎橋までカラオケしにもよく行きましたよ。本当に楽しかったです。そらぁしんどいこともあったかもしれませんが、そんなこと忘れるくらい楽しいことがたくさんありましたよ。慰安旅行なんかもアチラコチラ行かせてもらいましたしね。お正月もお小遣いもらったり、なんせうちの家内と先代の奥さんとも気が合って、親戚みたいなおつきあいをさせてもらいましたよ。本当にええ社長でした。先代の社長は私よりも7つ年上で5人兄弟でしたかね。先代の社長から言われた心に残る言葉があって、「人間は壁にぶつかったら、ブチ破らなあかん!!」というてはりました、そんなパワフルな社長でしたね。
 
若社長もで~んと座って大きくなっていってほしい
 
今の社長も、小さい頃から知ってますよ。しょっちゅう工場にいてましたしね。よう台車で遊んでましたわ。先代社長も急になくなって、引き継ぐことになったんやけど、ようやってると関心してますよ。指導してる姿とかも、先代以上にやってると思います。マシュマロの質も昔よりも良くなっていっているし、若い社員の子らもええ子たちやし、パートさんも皆仲いいし。これからも楽しみです。社長もでーんと座って大きくなっていってほしいです。

これからも、可愛い孫、ひ孫の為に、もちろんお客さまもそうですが
できるとこまでマシュマロじいちゃんでおりますので
皆様応援の方宜しくお願い致します。

2014年2月 インタビュー
 
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