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SUEDE TEAMS

1968年、PUMAとadidasがストリートの覇権を争う中、誕生したモデル。
当時、スニーカーといえばレザーやキャンバス地が主流だったが、PUMAは全く新しいスニーカーを提案。
厚みのあるラバーソールとソフトで弾力性のあるスエードのアッパーを採用した「プーマスウェード」は、当時市場にあったどのシューズよりもソフトで丈夫、そしてストリートでの使用に耐えうるようデザインされていた。
このスウェードは、アメリカで最もクールで影響力のある人々のスニーカーとなるのに、それほど時間はかからなかった。
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1973年、PUMA SUEDEをストリートスタイルの定番として次のレベルへ押し上げたのは、NBAの大スター、ウォルト・"クライド"・フレイジャーである。
フレイジャーは、ニューヨーク・ニックスのコート上のスターであると同時に、コート外ではスポーツ界最大のスタイルアイコンだった。
毛皮のコート・カスタムスーツ・つば広ハットで、他の誰にも真似できない1970年代のニューヨークを表現。
プーマはフレージャーのシグネチャーモデルSUEDE"CLYDE"をリリース。
フレイジャーは、バスケットボール選手として初めて自分のシグネチャースニーカーを贈られた。
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1980年代に入り、プーマスウェードは新たなカルチャー・ムーブメントを生み出した。
1973年、ブロンクスでクール・ハークが初めて2台のターンテーブルを使ったインストゥルメンタル・ブレイクを披露し、ブレイクダンスが誕生。
ブラックカルチャーを起源とするプーマスウェードは、すでにニューヨークのストリートで人気のシューズとなっていたが、その厚いラバーソールと柔軟なアッパーは、偶然にもブレイクダンスにも最適なスニーカーとだった。
"NYC Breakers"や"Rock Steady Crew"など、ニューヨークで最も有名なブレイクダンスクルーがPUMAを履いている姿は、周囲に多大な影響を与えていた。
ヒップホップの中心地での"プーマスウェード"の登場は、スニーカーが社会と文化の最先端を行く決定的な靴であることをさらに証明するものとなった。

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