町の中心から少しはずれた住宅街にあるのが、グレンスコシア蒸留所である。1930年代以降、スプリングバンクとともにキャンベルタウン・モルトの栄光を守り通してきた、もう一方の蒸留所である。ただし経営は順調ではなく、苦難の連続であった。

蒸留所が創業したのは1832年。創業者はぃ元のガルブレイス家だったが、1919年にウエストハイランド・モルトディスティラーズ社の所有となった。しかし直後に不況の嵐が吹き荒れ、24年い倒産。蒸留所はその後同社の役員だったタンカン・真っ赤ラムが引き継いだが、28年に真っ赤ラム詩人が倒産してしまった。マッカラムは30年にクロスヒル湖に身を投げ自殺した。職人達は今でもダンカンの幽霊をみることがあるという。

この時に作られたのがパブソングとして有名な「キャンベルタウン・ロッホ(湾)の唄」である。


グレンスコシア蒸留所はその後、カナダのハイラム・ウォーカー社やギブソン・インターナショナル社などの所有となったが経営は安定せず、何度も閉鎖と再操業を繰り返している。コンスタントに生産を行うようになったのは2000年からで、現在はロッホ・ローモンド社が所有し、年間10万リットルほどを生産している。

これおは蒸留所のキャパシティの8分の1ほどで、スタッフも3名のみ。仕込みも週3回ほどしか行わない。

ここもスプリングバンクに負けず、劣らず旧式の設備ばかりで、まるで半世紀前にタイムスリップしたかのよう。粉砕機もマッシュタンも100年以上前のもので、更にウォッシュバックはコールテン銅という、特殊な合金でできでいる。これは錆や腐食に強い金属だが、こんな物を発酵槽に用いているのはグレンスコシアだけだろう。

ポットスティルはストレートヘッド型で初留、再留釜、それぞれ1基づつと 規模は小さい。仕込水はクロスヒル湖の水と、建物の地下80フィート(約24メートル)から汲み上げた地下水を利用している。2000年からスプ リング蒸留所の職人たちが蒸留所をリースして、不定期ではあるが、操業を再開している。