カリラはゲール語でアイラ海峡(サウンド・オブ・アイラ)を意味します。アイラ島とジュラ島を分かつ、この海峡周辺はスコットランドの西海岸で最も美しい場所のひとつと言われています。ナムバン湖の真水を仕込み水としてふんだんに使えることから、1846年、アイラ海峡に面したこの場所に蒸留所が建てられました。
1974年に建て替えが行われたものの、カリラ独自の品質を保つため、オリジナルの設計図に忠実に建物と6つのスチルを再現。ナムバン湖の水は現在でも使われ、伝統的なモルトウイスキーの製法は、今も維持されています。

■ ポットスチル数:6
■ 樽の種類:リフィルカスク(バーボン)
■ ハウススタイル:芳醇、ピーティ、パワフル



1846年
ローランドのリトルミル蒸留所の元経営者、ヘクター・ヘンダーソンが蒸留所を創設。場所はアイラ海峡に面した海岸で、対岸のジュラ島にはパップス山がそびえている。水源であるナムバン湖の水を現在でも利用している。

1854年
アイル・オブ・ジュラ蒸留所のオーナー、ノーマン・ブキャナンが蒸留所の所有者となる。

1863年
バロック・レイド社が蒸留所を買収。グラスゴーのウイスキー企業として、世界のスコッチウイスキー産業の発展に貢献した。

1879年
バロック・レイド社が蒸留所を改築。蒸気船で運ばれてきた荷物の運搬が楽になるよう、桟橋も設置。

1880年代
蒸留所の改築によって生産量が増加。ブレンド向きのウイスキーとして人気が高まり、1880年代後半には年間生産量が147,000ガロンとなる。

1915年
ロイド・ジョージ(アスキス内閣の閣僚)が、多くの蒸留所にとって不利となる規制法案を提出。

1920年
第一次世界大戦中に資金難となったバロック・レイド社が自己破産。資本家グループが蒸留所を買収し、カリラ・ディスティラリー社を設立。即座に蒸留所の改築、コスト削減を図る。

1927年
カリラ・ディスティラリー社の全株式がスコティッシュ・モルト・ディスティラリーズ社に売却されるまで、ロバートソン・アンド・バックスター社がカリラ蒸留所を運営。キンタイア岬周辺を航行する専用運搬船ピブロックを購入し、グラスゴーへウイスキーの運搬を始める。

1941年
第二次世界大戦中、蒸留所は閉鎖。戦時中は、全蒸留所に対する大麦の供給が厳しく制限される。

1945年
蒸留所が再稼動する。

1972年
総費用100万ポンドをかけて蒸留所を大幅に改築。その間生産が一時中止となる。蒸留所改築で蒸留所はすべて取り壊されたが、伝統的な製法を守るために、古い建物とスチルを再現。この年、運搬船ピブロックが現役引退。

1974年
蒸留所が再稼働する。

2001年
創設以来の製法を受け継いだ6つのスチルは、年間100万リットルの生産量を誇り、今なお伝統の味を守り続けている。これまで主にブレンド用として供給してきたが、この年から、シングルモルトウイスキーを限定販売し始める。


◆蒸留所の製法
◆糖化(MASHING)
カリラ蒸留所で使用する大麦は、蒸留所から12マイル南にある町・ポートエレンでモルティングされます。他のアイラモルトと同様、カリラモルトも力強いスモーキーフレーバーが特徴。この風味を出すために、モルティング工程で適量のピートを炊くことが重要になります。

グリストは、ナムバン湖の水を使ったお湯に浸けます。マッシングを行うマッシュタンは頭部が銅製のもので、一度の仕込みは11トン以上、直径約5メートル半。浸水したグリストを、攪拌機で5時間半にわたって攪拌します。


◆発酵(FERENTATION)
ウォートにイースト菌を加えて発酵させる8基のウォッシュバックは木製。1基あたり54,000リットルの発酵を行うことができます。

発酵工程には約 55時間をかけ、アルコール度数8%のウォッシュを生成します。


◆蒸留(DISTILLATION)
3基のストレートヘッド型ウォッシュスチルで、それぞれ約18,000リットルのウォッシュを生成します。ウォッシュスチルを出た段階でアルコール度数は約22〜24%。冷却はコンデンサーによって素早く行います。

スピリッツスチルは3基。それぞれ12,000リットルのアルコールを再留します。ミドルカットされる約3時間の工程を、スチルマンが見守ります。


◆熟成(MATURATION)
カリラは、スピリッツスチルを出た瞬間、つまりニューポットの時点で既に、独特な特徴ある風味を持っています。樽で熟成をしている間に、そのピート香に複雑で力強いフレーバーが絡み合います。

熟成によって、ピート香がやや軽めになり、ピリッとした味わいになります。長期間熟成した樽では、通常のアイラモルトとは違った、フルーティでシトラスな味が楽しめます。