1846年
ローランドのリトルミル蒸留所の元経営者、ヘクター・ヘンダーソンが蒸留所を創設。場所はアイラ海峡に面した海岸で、対岸のジュラ島にはパップス山がそびえている。水源であるナムバン湖の水を現在でも利用している。
1854年
アイル・オブ・ジュラ蒸留所のオーナー、ノーマン・ブキャナンが蒸留所の所有者となる。
1863年
バロック・レイド社が蒸留所を買収。グラスゴーのウイスキー企業として、世界のスコッチウイスキー産業の発展に貢献した。
1879年
バロック・レイド社が蒸留所を改築。蒸気船で運ばれてきた荷物の運搬が楽になるよう、桟橋も設置。
1880年代
蒸留所の改築によって生産量が増加。ブレンド向きのウイスキーとして人気が高まり、1880年代後半には年間生産量が147,000ガロンとなる。
1915年
ロイド・ジョージ(アスキス内閣の閣僚)が、多くの蒸留所にとって不利となる規制法案を提出。
1920年
第一次世界大戦中に資金難となったバロック・レイド社が自己破産。資本家グループが蒸留所を買収し、カリラ・ディスティラリー社を設立。即座に蒸留所の改築、コスト削減を図る。
1927年
カリラ・ディスティラリー社の全株式がスコティッシュ・モルト・ディスティラリーズ社に売却されるまで、ロバートソン・アンド・バックスター社がカリラ蒸留所を運営。キンタイア岬周辺を航行する専用運搬船ピブロックを購入し、グラスゴーへウイスキーの運搬を始める。
1941年
第二次世界大戦中、蒸留所は閉鎖。戦時中は、全蒸留所に対する大麦の供給が厳しく制限される。
1945年
蒸留所が再稼動する。
1972年
総費用100万ポンドをかけて蒸留所を大幅に改築。その間生産が一時中止となる。蒸留所改築で蒸留所はすべて取り壊されたが、伝統的な製法を守るために、古い建物とスチルを再現。この年、運搬船ピブロックが現役引退。
1974年
蒸留所が再稼働する。
2001年
創設以来の製法を受け継いだ6つのスチルは、年間100万リットルの生産量を誇り、今なお伝統の味を守り続けている。これまで主にブレンド用として供給してきたが、この年から、シングルモルトウイスキーを限定販売し始める。
◆蒸留所の製法 ◆糖化(MASHING)
カリラ蒸留所で使用する大麦は、蒸留所から12マイル南にある町・ポートエレンでモルティングされます。他のアイラモルトと同様、カリラモルトも力強いスモーキーフレーバーが特徴。この風味を出すために、モルティング工程で適量のピートを炊くことが重要になります。
グリストは、ナムバン湖の水を使ったお湯に浸けます。マッシングを行うマッシュタンは頭部が銅製のもので、一度の仕込みは11トン以上、直径約5メートル半。浸水したグリストを、攪拌機で5時間半にわたって攪拌します。
◆発酵(FERENTATION)
ウォートにイースト菌を加えて発酵させる8基のウォッシュバックは木製。1基あたり54,000リットルの発酵を行うことができます。
発酵工程には約 55時間をかけ、アルコール度数8%のウォッシュを生成します。
◆蒸留(DISTILLATION)
3基のストレートヘッド型ウォッシュスチルで、それぞれ約18,000リットルのウォッシュを生成します。ウォッシュスチルを出た段階でアルコール度数は約22〜24%。冷却はコンデンサーによって素早く行います。
スピリッツスチルは3基。それぞれ12,000リットルのアルコールを再留します。ミドルカットされる約3時間の工程を、スチルマンが見守ります。
◆熟成(MATURATION) カリラは、スピリッツスチルを出た瞬間、つまりニューポットの時点で既に、独特な特徴ある風味を持っています。樽で熟成をしている間に、そのピート香に複雑で力強いフレーバーが絡み合います。
熟成によって、ピート香がやや軽めになり、ピリッとした味わいになります。長期間熟成した樽では、通常のアイラモルトとは違った、フルーティでシトラスな味が楽しめます。
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