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文・著作権 鈴木勝好(洋傘タイムズ)

Y O U G A S A * T I M E S * O N L I N E
◆◆◆明治時代の心意気◆◆◆



 ≪ 明治創業時期における洋傘製造業者の心意気 ≫

 事業等の状況が芳しくなく、踊り場状態から脱して、上昇への一歩を踏み出そうと
決意する時などに、よく「初心に還って」とか「原点に戻って」とかいわれる。


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 日本の洋傘産業史を振り返ってみると、洋傘は明治維新の文明開化の下で大いに流
行を見た。しかし、それらは殆どが舶来品(輸入)によって賄われていた。その需要
盛んなるを見て、早くも国内での生産を手掛ける者も出たが、主たる材料(特にフ
レーム)を輸入物に頼らざる得なかったことから、生産量が伸びず、価格も割高で
あった。


 ちなみに明治5(1872)〜6年頃に輸入された洋傘は41万円余。同年、東京で製造
されたと考えられる西洋傘(蝙蝠傘)は合計17,470本、15,130円であった。(明治5
年『東京府志料』による)
単純平均単価にすると舶来品が68銭、国内産品が87銭ほどになる。


 しかし、国内製造の気運が盛んとなり、それからわずか数年にして、国内向けのみ
ならず、輸出が輸入をはるかに上回るまでに発達を遂げるに至ったのである。その基
本には、フレームの開発研究があった。


 洋傘骨の開祖として河野寅吉(1858〜1915)の名が挙げられ、東京・亀戸天満宮境
内に彼の顕彰碑が建てられている。が、彼に先駆けるとも目される人物がいる。明治
13(1880)年5月22日付『東京横浜毎日新聞』に次のような生地が掲載されている。


 〔蝙蝠傘溝骨の製造は余程六ヶしきよしにて、蝙蝠傘製造家は皆之を輸入に仰ぎ来
たりしが、此程上州高崎の原熊吉と云へる人の発明にて製造したる溝骨は、その質毫
も舶来品に譲らずと云ふ〕。



これを前置きとして、冒頭に立ち返り、明治期の洋傘製造者の心意気に触れてみた
い。



 以下は、明治18(1885)年創業した古谷正平(東京市神田区小川町9)が同40
(1907)年に勧業博覧会に出品すべく、その審査資料としてまとめた『解説書』から
の抜粋である。同書には出品目録とその製造法、製品の特徴、斯業の遠隔等が述べら
れている。



 ―――弊店は明治18年の創業に属す。爾来、茲に二十有余年の星霜を経過し、以て
今日に至る。比間における斯業の研究と経験とは、能く今日の成績を彰はしたる所以
にして、更に進んで時世の進運に伴なう事業の発展を企画せしには、社会文明の運勢
に乗じて研精大に努むると共に、発明工風(夫)に富むの考案莫かるべからず。



 ―――抑も(そもそも)斯品の初めて我邦に輸入せられて之が流行を見るに至りし
は明治7・8年の頃に属す。斯品を其当時非常の高価を示し、為に中流以上の社会に非
らざれば携帯する能はざりしなり。



 ―――西洋傘は端なく蝙蝠傘と呼ぶに至り、社会の全般を通して流行し、晴雨に拘
わらず使用携帯の便なる実に一日も欠くべからざる用品となれり。
 
 茲において於て斯品の需要は倍々増加するも、之が製造法は未だ発達せざりし結果
は輸入品の勢力を減退せしめざるの不運を見るは、独り斯界の不振を慨するに止まら
ずして、国力発展の道に叶いしものと云うべからず。
 本店は此の現状に察する処あり。自ら斯業の木鐸となりて尽瘁し(力を尽くし、倒
れるばかりの苦労をすること)、以って国益の増進を企画する急務なる事を覚悟し、
茲に愈々職責を完うするの効果を奏したるは本店が大に光栄とする所なり。



 ―――本店は最も製法の技術に熟練なる職工を督励して之れに当たらしむ。最も製
品に重きを置くは鉄骨にして、此の製法は数種ありと雖も(いえども)其原料は未だ
内地に産出を見る事を得ず、之を海外に仰ぎ、主として英国より輸入せし者(物)に
係り、之れに本店が独特の技術を以って製出せしものなり。



 ―――製造方法に斬新の意匠を凝らし、世の嗜好に投ずるの機敏なるは又以て天職
に忠実なるの致す所なりと謂うべし。



 ―――本店製の品は総て優美高尚にして虚飾を避け、実用に適する様付属品に至る
まで精良なる品を選択し、堅牢持久に注意し、其の確実なるを証するため、無限責任
を負って無償修繕を為すの条件付にて販売しつつあり。

  (本文は方カナ使い)



 ※同店製品は、東宮妃殿下をはじめ各宮殿下からのご用命を毎年拝していた由。





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抜粋文には出てきませんが、優良な国産品を作ることにより、輸入品の攻勢を防いだ
ことや、海外の流行情報なども参考にして製作デザインに工夫を創作したことなども
述べられています。
斯業のみならず国益にも一言するなどその意気や佳し!
 要するに研究開発に努力し、良質な品を作り、顧客のニーズに迎えられるものを適
正な価格で提供するという基本が、明治創業期から今日にも通じるテーマであること
を知らされる思いがします


                             2002.12.19







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