昭和25年創業
3代続く都会の洋傘店
仲屋商店(幡ヶ谷六号通り商店街)
新宿副都心から程近い京王新線幡ヶ谷駅。喧騒の甲州街道から一本通りを入った商店街の一角で洋傘専門店の「仲屋商店」(東京都渋谷区幡ヶ谷2-7-9)は店を構える。洋傘の在庫は約5,000本。店頭や店内ショーケース、ディスプレイに、紳士傘、婦人傘、キッズ傘、さらには取引のある洋傘メーカーとタイアップで制作したオリジナルキャラ
クターの傘などが、所狭しと並ぶ。洋傘は小売のほか、都内数十店舗への卸売を展開。商品は、現在代表を務める仲憲一さんが、時にはメーカーに直接足を運んで吟味の上、仕入れる。
仲屋商店が創業したのは昭和25年。憲一さんの祖父にあたる仲寅吉さんが、傘作りの修業を積んだ後に、店を開いた。当時は戦後に起こった洋傘ブームの真っ只中。寅吉さんはその波に乗じ、職人を1 0 人ほど雇い、来る日も来る日も傘を作っては販売。事業は見事に当たり、傘は飛ぶように売れていった。一方で、寅吉さんは洋傘の組合の設立に協力し、公的な活動にも力を注ぐ。その
功績が認められ昭和48年には「都知事賞」を受賞。街の“名士”として一目置かれる存在となったのである。
2代目が先代の仲正尚さん。憲一さんの父である。正尚さんはビジネスをさらに広げ、卸売先を100店舗以上に拡大。憲一さんは「父は非常にお得意様を大事にする人だった。家の中で不機嫌でも、お得意様からの電話に出ると、途端に顔つきが和らぎ丁寧な言葉遣いで話す。そんな父の姿が私の幼少期の記憶として残っています」と、回想する。その他にも、店舗を会場とした洋傘の展示会を得意先を招いて開催。訪問客全員にお土産を渡すなど、その気遣いはとにかく徹底していたそうだ。
そして、3代目が憲一さんである。大学卒業後メーカーに就職し、その後転職して広告プロダクションに勤務したが、7年前に父の病気を機に店の仕事を手伝うようになる。しばらくは広告の仕事と二足の草鞋で進めていたが、3年前からは店一本に絞った。今は、取引先が減る中、どう店を切り盛りしていくか、試行錯誤の最中である。 「今までは卸売のウェイトが大きかったのですが、今後は小売も積極的に伸ばしていきます。オリジナル傘の制作の傘も考えていきたいですね。さらに、店頭での修理サービスにも力を入れていく。そうした取り組みによって、地域密着の店に再生できたらいい」(憲一さん)。
現在職人は2人。そのうちの1人である山岸宣昭さんは、先々代の頃から働く在籍50年の大ベテランだ。山岸さんは、「壊れたら捨てるのではもったいない。修理して長く使う楽しみを提供したい」と意気込む。洋傘の振興に汗を流した祖父と、客商売の真髄を極めた父。まだ30代の憲一さんの活躍のときは、きっとこの先にある。
◆傘の修理に励む職人の山岸宣昭さん◆
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