高品質な国産洋傘は外国人に人気の土産物
『オカダヤ』
「英語? カタコトしか話せないわよ。でも、身振り手振りで一生懸命説明すれば伝わるものだし、
それで買っていってくれるから大丈夫」。
東京の観光の名所である浅草・浅草寺。参道の入口にあたる雷門から寺の境内まで89店舗が軒を
連ねる有名な仲見世商店街の終点近くに、洋傘店「オカダヤ」(台東区浅草1‐37‐1仲見世西側5号
TEL:3841‐8566)は店を構える。
海外からの観光客の東京見物ルートに十中八九組み込まれるという場所柄もあり、来店する客の3
分の2は外国人。笑顔を絶やさない四代目店主・菊地洋子さんのボディランゲージを駆使した接客で
商品棚に陳列されたTシャツなどの土産物や和傘、そして、洋傘が売れていく。
オカダヤの創業は明治の初め。
当初はかんざしや小間物を扱っていたが、昭和に入り時代の波を受けて洋品店に鞍替え。
さらに、洋服の不良品や売れ残りの問題に悩まされていた菊地さんの父親にあたる三代目が、浅草の
傘職人が作る品質の高い洋傘に目を付け、店頭に並べ始める。「子どもの頃、職人や問屋を回る父に
付いて行ったけど、持ち家がみんな大きくてビックリした。
当時の浅草は洋傘産業が花咲いていた絶頂期だった」と、菊地さんは回想する。
そして、昭和30年頃には洋服の取り扱いをやめ、洋傘やショールがメインの店に。
45年ごろからは菊地さんも勤め先の銀行を辞めて店先に立つようになり、家族一丸となって店を盛り
立てていった。ちょうど来店する客の中に外国人観光客が目立ち始めた頃である。
その後、昭和50年代後半から、店を訪れる外国人にある異変が起こる。主に、台湾、ロシアから来日
した観光客に、洋傘を10本、20本とまとめ買いしていくケースが、月に4、5回も見られるようになった
のだ。
「日本の洋傘は軽くて丈夫で品質が良いと、お土産として人気のようだった。
JUPAマークに関心を示す人も多く、説明すると安心して買っていった。オカダヤの名前も外国人の
で口コミで伝わり、次々と観光客が訪れるようになり、商品の補充が間に合わないほどだった」(菊地さん)
今ではそうした飛ぶように売れる現象はないものの、未だに外国人がお土産に買っていくことが少なくない。
購入客の国籍も多彩になり、フランス人やイタリア人などファッションの本場から来た観光客にまで広がっ
ている。
それだけ日本の洋傘の品質やデザインが認められているということ」と、菊地さんは嬉しそうに
目を細める。
今後の目標は、「探している洋傘が必ず見つかる店にすること」。
そのために、客には洋傘を売るだけでなく、要望もリサーチし、仕入れ時に役立てている。
そうして客の声を踏まえて並べられたものが、“メイド・イン・ジャパン”の洋傘として、今日も世界各国の
人々の物欲を満たしているのである。
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