北海道素材にこだわった「旭川発 北海道のかりんとう屋」


北かり かりんとう道場 〜 かりんとうの歴史〜

 

■ かりんとうの先祖は奈良時代生まれ

かりんとうの先祖を調べて行くと、さかのぼること奈良時代(710〜784年)。この時代に
遣唐使によって唐から伝えられた唐菓子が「かりんとうのご先祖様」らしいです。。もち米、うるち米、麦、大豆などの粉をこね、油で揚げたものだったらしく九州、四国方面に多く伝わったそうです。

■ 砂糖は薬だった!?

その後、京都では 遣唐使によって伝わった唐菓子が、高級菓子として発達。 ですが、
当時、日本には精糖技術が伝わっていなかった為、砂糖は大変貴重なものだったらしく
として使われ、一般庶民は口にする事ができない大変貴重品だったそうです。

お菓子の甘味には甘葛(あまづら)と呼ばれる「つる草」の液汁を使用したそうです。
この甘葛はあの清少納言も口にしていたらしく、「枕草子」に 「削り氷にあまづら入れて」と登場するんですよ。今でいう、かき氷なのでしょうかね? それにしても、「今では、ごく普通に口にする砂糖が薬だった」なんて、ちょっと想像できます?

■ ついに、かりんとうの誕生!

 徳川3代将軍家光から5代将軍綱吉の頃 (1623〜1709年)までに、京都の高級菓子が 江戸に伝わってきて、一時は江戸も京菓子ブームに沸いたそうですが、黙ってみている江戸っ子ではなかったようです。
「京菓子が何様ってんでぇー!上等でぇー、淡白で庶民的なお菓子をつくってやらぁー」 という感じで生まれたのが「かりんとう」でした。小麦粉をこね、板状にして油で揚げており、まさに今のかりんとうそのもの。でも、「かりんとう」という名前はついていなかったそうです その後、明治8年(1875年)に浅草仲見世の飯田屋が棒状のものに黒砂糖をつけて売り出したものが人気商品となり、下町一帯に広まったのでした。

■ もう一つのかりんとう誕生話

 関西方面には縄状によったもの、板型のかりんとうがあるらしいのですが、これはどうも江戸から生まれたかりんとうとは素性が違うようです…。 一説によると、安土桃山時代
(1580年頃:あの織田信長が大活躍していた頃です)に中国人によって、長崎に伝えられたものが九州、中国、四国、関西とだんだんと広まってきたそうです。すると、信長や秀吉は戦場で”ものども、茶の時間と致す。ここへ、かりんとうを持って参れ!” なんてやっていたのかな?(^。^)


■ かりんとうは「黒砂糖」が定番な理由

 江戸時代末期では、白砂糖は高級菓子(京菓子)にしか使うことを認められず、かりんとうのような駄菓子には白砂糖の使用が禁止されていたので、黒砂糖を使うしかなかったようです。今では、ちょっと想像しがたいですが、本当に白砂糖は高級品だったのです。

■ 「かりんとう」の名前の由来

1:「花林の木の色に似ているから、花林糖と名づけられた」
2:「食べたときにでる”カリカリ”という音から、かりん糖と名づけた」

こんな2つの説があるらしいです。


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