私は昭和44(1969)年に父信夫から柿茶製造販売のこの会社を引き継ぎましたが、柿の葉の栽培には問題がいろいろとありました。
当時、柿茶にする柿の葉は、県内の栽培農家を回り、個別に交渉して葉っぱを譲っていただいていましたが、一定の量を集めるのにずいぶん苦労していました。何しろ柿の葉を採ると実がなりませんから、柿農家の人たちはしぶるわけです。これは農家側の問題ですが、私どもには別の問題がありました。それは肥料や農薬の使用の有無がそれぞれの農家で異なることです。
私どもがいくら無農薬で無肥料栽培の柿の葉を求めても、柿の葉を譲っていただく農家が増えれば増えるほどそれは難しく、また確かめようもありませんでした。
製造が始まってまもなくの頃、柿茶は大きな木箱で出荷していました。父の思いがいっぱい詰まった木箱を積んだオート三輪車と、柿茶づくりを手伝ってくれていた近所の奥さんたち。木箱に腕をかけているのが父・信夫。(昭和28年撮影) |
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そこで私は意を決して、無農薬、無肥料で柿の葉を栽培してくれる農家探しを始めました。今から30数年前のことです。
その結果、やっと出会ったのが現在の栽培農家であり、柿畑です。それは徳島県の山奥にありました。こうして四国山地の里山で私どもの柿茶の原料となる柿の葉栽培が始まりました。そして今では農家の方が自慢するほど農薬は使わず、肥料は年に3回ほど刈る下草のみという栽培をしっかりと守ってくれています。 次のページへ
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