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古代の製塩法は海藻から

塩焼(もしおやき)

 縄文時代の古代人は、雑食ではあったが自然のまま手を加えず食べていたので 塩分は動物の臓器を食べることで充分だったようです。 弥生時代に入り、農耕が始まって米を食べるようになると、塩分が不足してくるために、製塩の必要性がでてきたのです。

 万葉集には海藻を焼いて塩をつくる藻塩焼の歌がかなりみられます。

 須磨(兵庫県)は当時の産地として名高く、須磨の海人の藻塩焼がしばしば 詠まれています。 しかし、このころは須磨に限らず他の地方でも行われていました。

 「藻塩草」(もしおぐさ)という言葉があります。 古代、塩をつくるために海藻を使いましたが、その海藻のことをいいます。

 「藻塩草には、ホンダワラやアマモが使われました。 藻塩草をとって浜辺に積み重ねます。  それに、海水を何度も上からかけては乾かします。  これを焼いて塩灰をつくり、釜に入れ、淡水を加えて、その上澄みを煮詰めてつくります。

 このとき使用する釜は口径の広い、底の浅い盆のような平釜で、初期には土器 、のちに奈良朝になって鉄釜となりました。

 海水でぬれた海藻はなかなか乾かず、また燃えにくいため、この方法は重労働 で骨の折れる仕事の割に、あまり質の良い塩が得られなかったため、平安朝にはすたれ、新しい塩田法が考案された後はその方法すら記録されていません。

 (万葉集から2首)

♪須磨の海女の塩焼衣の馴れなばか一日も君を忘れて思わん
♪志賀の海女の火気(けぶり)焼き立てて焼く塩の辛き恋をもわれはするかも


塩焼神事

 宮城県塩釜市の塩釜神社には、藻塩焼神事とよばれる行事があります。 7月4日に藻(ホンダワラ)を刈り取る藻刈神事が行われます。

 翌5日には神社の大釜を掃除し、新しい海水に入れ替える水替神事が、そして 6日には、4日に刈り取った海藻に前日の海水をかけ、煮詰めて塩をつくる、 藻塩焼神事が行われます。

この藻塩焼神事は古代の製塩法をそのまま伝えるものではありませんが、海藻 を使っての塩づくりを知るためのてがかりとなっています。