吉田茂先生が最初に城西館にご宿泊されたのは昭和21年12月。
先生が総理大臣になられ久しぶりに高知へ帰郷した時であった。それがご縁で選挙活動のたび城西館にご宿泊していただいた。
終戦後すぐのこの時代、城西館もだいぶ戦争で焼けてしまい残っていた部屋はわずか。まだ暖房もなく選挙活動からお帰りの先生が風邪をひいては困ると、焼跡の割れた皿などの中から3つ湯たんぽを探し出し何度も洗ってお湯を入れ先生のお膝や足元を温めた。
など城西館の先代と吉田茂先生の数々のエピソードが残っております。
昭和29年頃、吉田茂元首相がお発ちの日、もう手袋もオーバーも召された時、城西館の会長が欅(けやき)の大きな厚い板をかかえて飛んできて、吉田茂元首相にご揮毫をお願いした。吉田茂元首相は無言のままオーバーと手袋をお脱ぎになり筆にたっぷり墨をふくませ一気に「城西館」とお書きになり
「どうだ!うまいだろう!」
と自賛なさった後なごやかな顔で、
「私が一人ぽっかり来た時も玄関払いなどしないで泊めて下さいよ」
と先生はおっしゃったと言う。
普段は箱におさめて大事に保管され城西館の末代までの家宝となっている。現在の城西館の看板は吉田茂元首相の看板をベースに造りなおした物。
ある日、孫に手を引かれ老人が
「一度吉田さんを拝みとうて来ました。何とかお取次ぎを頼みます。」
と訪ねて来た。
吉田茂前首相は遊説で留守の旨を伝えると、それから3日間老人は孫と訪ねて来たが、その都度留守だった。そのことを吉田先生にご報告すると、色紙に墨痕鮮やかに染筆され
「老人が見えたらあげて下さい。そして吉田がありがとう、お身体を大事に‥とね」
とおっしゃったそうです。
普段なかなか筆を執られない先生が進んでご染筆。老人は涙を流して喜んだという。
昭和41年5月23日、先代の主人が勲四等瑞宝章を頂戴した帰り、吉田茂元首相の大磯邸へご挨拶に伺った先代ご夫婦に、吉田茂元首相は食事まで用意してお待ち下さり、先代に 「あなたは叙勲されなかったのかね。それはどうも政府の手抜かりだ。」 などとおっしゃり秘書に命じて吉田茂元首相が我が国最高の勲章“大勲位”を受けられた時の胸の勲章をつけられた晴の日の写真を持って来させ、筆を執られその右肩に“城西館女主人殿”とお書きになりいたずらっぽく笑われたという。
当時先代は後から書かれた自叙伝にこう語っている。 「私には、国のどんなご褒美にましても吉田様のこのご厚意が身にしみたのでございます。」
お酒はウイスキーがお好きでスコッチウイスキーを必ず持参していた。 ある日、吉田茂元首相の側近中の側近、安斎正助氏がスコッチウイスキーを忘れてきてしまった。 その為に町中探してやっと大丸に1本だけあり事なきをえたエピソードがある。 写真は吉田茂元首相が飲み残されたスコッチウイスキーの瓶。 酒をよく飲んだが、醜態を見せることなく、機嫌がいいと話好きになった。