信楽焼 古信楽 鑑賞のために

「信楽焼歴史図録
しがらき
やきものむかし話
伝統の信楽焼・資料集」
信楽古陶愛好会発行


貴重な資料であり、よく解説されておられるので、上記の内容を御紹介したいと思います。(2019/11/11)








1. 陶土と土味
信楽地区の地質は、主として花崗岩、半花崗岩から成っており、窯業原料として粘土質原料と長石質原料を産する。
信楽粘土として採掘されている鉱床地帯は地質学上、古琵琶湖層群と呼ばれる古代琵琶湖の湖底堆積物が分布した地点で、その成因は、花崗岩の風化生成物の堆積した物と考えられている。
粘土は大別すると、木節質粘土と蛙目(がいろめ)質粘土、実土(みづち)粘土とに別けられる。木節粘土は、母岩の位置から遠くへ水流等によって流され、水簸された状態となって沈積したもので、木が混じって埋もれ、それが長年の間に腐って粘土質に混じわり、自然水簸によって粒子が微細となっている。従って可塑性に富み、やきもの造りに最も好適な粘土である。木節粘土に含まれている小さい木片は、焼成すると燃え、そこに空洞ができ、そこに空気が入りこむので、白色釉を施して焼成すると御本手(ごほんで)が出来やすいのも特徴である。この木節粘土に含まれる木片(炭化しているもの)を宇仁(うに)と呼んでいる。木節粘土を焼き上げると、その土肌は純白に近く細密である。
蛙目粘土は、花崗岩の風化によってできた粘土質が、雨水等により少し移動した漂積粘土で、カオリン鉱物と石英(珪砂)粒子がそのまま粘土中に多量に含有している粗粒子粘土で、木節粘土より有機物は少く、耐火度は高い。従って焼き締まりにくく荒い土肌となる。蛙目粘土を用いて焼いた品物には宇仁の焼失した跡がない。古信楽の壷は、南松尾、窯ヶ谷、御用の木(五位ノ木)などの古窯では木節粘土を用いていたようである。実土はこれらに比べて可塑性や耐火度が劣る。砂の少ない細かい土であるが、可塑性が乏しいため成形すると水切れして造りにくい。古代の須恵器はこの実土を使っている。信楽の宮町地区の古窯ではこの実土を使っていることから考えると、須恵器の流れを汲んでいるのは宮町地区から出発し、次第に西へと、黄瀬、漆原、勅旨地区に普及して行った形跡が、今残る陶片でわかるような気がする。
陶土は、古代において採掘した原土をそのまま足もみ等をして用いた。古信楽壷に見られる粗い小石をそのまま含んだ胎土をみても明らかである。従って、須恵器造りの実土は別としても、木節土や蛙目土をそのまま用いて品物を造ろうとすれば、どうしても肉厚に造らざるを得ないだろうから、古信楽の壷や甕、擂鉢などは全て部厚いものになっている。その重量感が、実は古信楽の特徴とも言えるのである。
粘土に鉄分の多く混った土を用いて造った品物は、焼いた土味は茶色に近い発色をしている。逆に木節土や蛙目土の発色は、後述する火色(ひいろ)を現出して、信楽特有の土味を表現している。
古信楽独特の土味は、小石をかんだままの信楽の土山そのままの感じ、素朴な侘び寂びの情感を表わして、つきない魅力をつくっている。縄文式土器、弥生式土器、土師器と受け継がれてきた肌色の土味。それを陶器に置きかえて、言うに言われぬ枯淡な味、日本人好みのするやきものとして、信楽のやきものはそのたぐいまれなる土味を発揮しているのである。いうなれば、風雪に耐え明るく生きてきた日本人の重々しい中にもあたたかさをもった人間味を、表現しているかのようである。







2. 火色
火色とは、焼成することによって、器物の表面、肌、土の色が、ほの赤く或いは薄い柿色のような発色を呈するその表面の色をいう。主として、素地土に含まれたる鉄分の再酸化によって発色する。その要素は土質、焼成時の湿気(水分)、塩分、灰分などの作用による。窯の中の炎の流れや周囲の抵抗、窯中の湿めりや水分、焚き方などと諸条件によって様々に変化し、その発色も赤色、薄赤色、赤黄色、白黄色、褐色、赤褐色、灰色等と、まったく予測できない色あいを呈する。窯あじと言われる変化をみせるのである。その最も珍重される発色は、ほんのりと頬を赤く染めた乙女のような人肌を感じさせる温かい火色、それをそっと濡らせば、更にボーッと赤くなる、何とも言えない愛らしさ。人に好かれる明るさ温かさが、他のどの窯場にも類のない健康的な趣きが、信楽独特の焼き味として、火色のもつ魅力は、人々の心をとらえて放さない。
火色は、土そのものの焼き肌を鑑賞するものであるから、いうなれば素肌の美とでも言えようか。勿論無釉で、裸焼きと称するものである。裸焼きは日本六古窯と称される古窯、つまり瀬戸、常滑、越前、丹波、備前(それに信楽)などは全て裸焼きではあるが、備前や常滑などの胎土は、鉄分の多い有色であって、炻器といわれるものであるのに対し、信楽の土は白味がある。だから火色が生きてくる。俗に「抜け」と呼んでいる景色が出来るのも特徴である。つまり、火色が全面にあり乍ら、部分的に白い箇所がヌケたように出来るのである。これは焼成時の炎の流れが、障害物、又は壷同士によってさえ切られ、部分的に火色とならない所が出来るのである。何とも表現のしようのない味、ポツンと抜けている空白は、人の目を惹きつけずにはおかない。味がある。信楽焼の温かい焼き味、火色のもつ魅力は、そのたぐいまれなる土によって生かされているのである。







3. ビードロ釉
登り窯、穴窯等、薪を燃料として焼成すると、器物の表面に、その薪の灰が古廃して付着し、それが熔け、更にその灰釉が媒体となって胎土中の長石が熔け出して、自然にガラス質の青緑色、黄緑色、黄色のよどみをつくる。これをビードロと呼んでいる。ビードロは別名、自然釉ともいう。信楽、伊賀、丹波などで特に珍重されている自然釉である。
ビードロは単純な包調でなく、暗い部分や明るい部分、つまり濃淡があり、或いは斑文状に変化したり、玉垂れと称する釉の下方への流れ、また胎土中の長珪石が吹き出て混じったものや、焦げと称する熔岩のような付着物が混じったり、様々に変化している。
ビードロは一度に広範囲に出来るものではなく、灰の一粒一粒が熔けて重なり合って出来るのもので、灰の付着が少ないもの、つまり焼成時間が短いか、或いは薪の蓄積する場所より遠く離れているものなどは、ビードロが少量になるかつかない。ビードロが少量のものは、それが斑点状に(霧吹きで吹いたか、種をバラまいたように)なっている。これを俗に「胡麻」又は、「ナタネ」と呼んでいる。ビードロは、胡麻の寄り集まりということである。
 

 



「胡麻ダレ」というのは、ビードロが一本の線になって下方へ熔け流れている部分をさし、「胡麻の玉ダレ」とは、それが巾広く流れていることをさし、「胡麻禿げ」又は「カセ胡麻」というのは、胡麻が光沢なく禿げたような、灰そのもののようにカセていることをいう。一般に、ビードロの発色部分を中心にして、「景色」と呼ぶ。「景色がよい」のはビードロの発色が良いことを第一にしている。特に登り窯焼成の品物にはビードロに豪華なものが出来る。しかしその周囲の、いわゆる火色の部分が光沢が強く出る。その光沢を好まない人が多くなってきているようである。そこで穴窯焼成の自然釉が脚光を浴びてきたのである。ビードロ釉では登り窯に一歩譲っても、穴窯の火色は荒涼とした土肌で、けばけばしさもなく落ち着いた感じで、侘び寂びの風情をかもし出している。むしろビードロがなくても、火色の変化、或いは火色と焦げみのみの焼き味を好き者は好むようになってきたようである。







4. 焦げ(灰被り)(灰冠り)
登り窯など薪を燃料として焼成する窯で、品物を薪の灰が蓄積する場所(火の前という)に面して置いて焼成すると、品物の裾部の、灰に埋まる部分が、黒褐色をした熔岩のような発色を呈する。これを「焦げ」という。別名、灰かぶりともいう。穴窯では焦げがつきにくいが、登り窯では火の前、火伏の位置に置いた品物は殆んど焦げが得られる。従って、そこに置いて焼成する品物を総称して「焦げもん(物)」と言ったりする。
信楽の雅陶として、茶道に使われる茶碗、水指、掛花入、壷、その他の謂ゆる茶陶は、侘び、寂びの趣きを珍重しているが、特に焦げのもつ錆びた色合いは、侘び寂びの風情をかもし出す一要素とされるに充分である。
信楽焼伝統の窯あじとは、「火色」「ビードロ」「焦げ」にあると言える。この三拍子揃ったものを、本当に「景色がよいもの」と言えるのである。火色、ビードロは、どちらかと言えば華やかな自然釉であるのに対し、焦げは渋さと落ち着きで全体を引き締める、侘び寂びの主役ではなかろうか。







5. 石はぜ(石爆)(あられ)
素地土に含まれている(又は意識的に混入されている)珪石(石英)、長石の砂、小石が、焼成によって焼きはぜて、素地の表面から吹き出す感じで白い小砂を点在させていることをいう。長石の方が熔けやすく、小石が丸味を帯び、又は熔けてガラス状になっているが、珪砂は耐火度が高いために、そのままの形で残っている。その白さが、赤味を帯びた土肌とは対照的に自然にしかも無規律に表面を覆っている。あるものは、土肌を割って荒々しい勢いで突出しているものもある。 古信楽壷は、山土そのままを使って造り上げたために、山肌そのままが壷となったような感じを覚える。従って小石もそのまま露出しており、これこそ「自然そのもののやきものの姿」とでも言えようか。 江戸時代になると、大茶壷を造る必要上、意識的に胎土に篩った砂石を混ぜるようになった。これは、巨大な壷を比較的軽く造る必要から、陶土の耐火度を高めて薄造りでも腰を強くするためと、乾燥しやすいために考え出したものらしい。特に紋左衛門作の大壷は殆んど石はぜの壷になっている。 また、石はぜの壷は肌ざわりが荒いためにその上から並白釉、飴釉などの水ぐすりを施して焼成すると、うわぐすりが荒い表面をカバーして、光沢のある滑らかな表面になる。特に長石砂のみを胎土に意識的に混入して、水ぐすりを施し焼成すると、石はぜに光沢と丸味があって、小砂を散りばめた斑点もようの施釉茶壷となる。これを「あられ茶壷」、といい、明治、大正時代には、このあられ茶壷が大量に焼かれている。名工、道平は、あられ茶壷の上へ、更に萩釉を流し掛けしたものを考えだし、見事な装飾的な茶壷を焼いていた。現在、穴窯や登り窯のみでなく、あらゆる窯に於て、古信楽風のやきものを焼く場合には、陶土に意識的に長砕石の砂を混入して使用している場合が多い。





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