信楽焼 窯元めぐり

ろくろ坂③ 文五郎窯 ろくろ坂④ 嶋吉陶房 ろくろ坂⑥ 丸滋製陶
窯場坂⑬ 谷寛窯ギャラリー 陶ほうざん 窯場坂 番外編 山文製陶所 番外編 清右衛門陶房
番外編 信楽陶芸村    




2019年4月12日   ろくろ坂③ 文五郎窯
現在、文五郎窯は植木鉢の生産はほとんどストップ状態。食器が主体の窯元となりました。その商品ルームが文五郎倉庫の一角に開設されています。
その倉庫の前に飾られていました金彩の水鉢。立派なものです。
文五郎窯作の食器のショールームです。
美しく飾られている食器の数々。
目についたのは手洗い鉢です。
窓から竹藪が見えるショールームです。
工房では食器を作っておられる若い女性の職人さん。
タタラ製法というロクロを使わないやり方で食器を作っておられました。
発泡スチロール中を見せて頂きました。タタラ製法の出来上がり。乾燥しないように注意をしておられます。
こちらは足のようです。
これから上からフタを押さえ、乾燥させられるのですが、曲がらないように細心の注意をしておられます。



2019年8月19日   ろくろ坂⑥ 丸滋製陶
丸滋製陶さんといえば手洗い鉢、傘立等で代表される窯元です。
今回で2回目の見学です。前回見れなかった工房内を中心に見せて頂きました。
機械ろくろを回され、手洗い鉢の製作されているところでした。
石膏でできた型に小手で粘土を練り上げられている様子がよくわかります。
作り立ての手洗い鉢を乾燥させられる段階です。粘土から石膏が水分を吸収してその石膏が乾燥するのに夏ですとおおよそ3時間ぐらいとのこと。そうすると石膏の型から半乾きの手洗い鉢が抜けるのです。そして次に製作に廻すことが可能になります。
前回見せていただかなかった焼成の工房を見せていただきました。始めに目にしたのは乾燥させた粘土の手洗い鉢に釉薬であるうわ薬を吹きつけておられるところでした。
こちらは大きなガス釜です。昔は登窯そして重油窯であったのですが、やはり生産性からガス釜になったのでしょうか。
工房内のあちらこちらに焼成された傘立、手洗い鉢が置かれています。
ガス釜に入れられる各製品の組み立てです。
下段の大きな空間には「傘立」を置かれるとのこと。
順番に陶板を積み重さねされるのですが、置き場所はこのところのようです。フクロウの傘立が置かれているということは前回の窯で焼かれたものと思われます。
慣れているとはいえ慎重に陶板を組み立てられている様子です。
工房の外側の屋根下には近々に焼かれたフクロウの傘立がこのようにところ狭しと積まれているのでした。





ぶらり窯元めぐり 第14回信楽窯元散策路

2019年4月6日 ろくろ坂⑥ 丸滋製陶

この丸滋製陶さんでは手洗鉢を生産しておられました。
石膏で作られた型枠に粘土を整形していく「機械ろくろ」といわれる製造法で手洗鉢を生産しておられます。


機械ろくろは回転しているのですが、粘土をきめ細かく押し込んで枠からはずした外観がきれいに仕上がるように丁寧な作業をされています。


その作業が終わりますと、コテにて内側を整形されています。粘土を押し込みながら、厚さを決めておられます。


整形が終わり、不必要な粘土を拭き取られ、仕上げておられます。


商品が違うのですが粘土が粘土が乾くまで干して置かれ、その後石膏枠から外されます。


石膏枠から外した手洗鉢。ろくろで回転させながら外観を仕上げておられます。


何といっても手洗い鉢、口周りも丁寧に仕上げておられます。向こう側では内側を仕上げておられるのでしょうか。


工房の奥では傘立てを製作しておられます。


このレリーフはどこかで見たような、フクロウでは。この丸滋製陶さんの製品だったのです。


フクロウが更に浮き上がってきました。


なる程ですねえ。フクロウのレリーフができ上がってきました。


最後に目をくり抜いておられる工程です。


やはり竜に目を入れるのと同じく、魂を入れておられるような。


出来上がったフクロウの傘立の勢揃い。後は乾燥を待つばかりでは。


二階が丸滋製陶のショールーム。製作工程を見せていただきました手洗鉢が並べられています。


先程のフクロウさん達もここに並べられています。
本日は工場見学ありがとうございました。





2019年8月19日   窯場坂⑬ 谷寛窯ギャラリー 陶ほうざん
今回も2回目の見学です。やはり歴史ある窯だけにこのギャラリーを見学させていただくと学ぶことが少なくありません。
「おでむかえ」の狸さんです。
そして「のれん」古いたたずまいをみせてくれるほうざんさんです。
入って正面にはこの窯で焼かれた壷が飾られています。
次いでその昔焼かれていた海鼠釉の植木鉢が置かれています。登窯で焼かれていた時代の一品かと思われます。
今日のお目当ての一つである「緋色」を見せていただきたいことが見学の一つでもありました。
信楽焼きでよく「緋色」といわれるのですが、その緋色とはなかなか説明がつかないのですねえ。この茶器がその昔に登窯で薪で焼かれていた頃の無釉の焼き物、信楽焼を代表する焼き物であったのです。粘土の鉄分の酸化によって起こる現象です。
そして信楽焼火鉢。明治に入り信楽焼きでは火鉢が大量に生産されます。その生産を裏付けたのがこの海鼠釉の開発だったのです。そしてその当時、熱によって畳等が焦げるといわれ、断熱に使用された当て木が「台付火鉢」といい、この火鉢の古さを物語っています。
そして「コゲ」お願いして見せていただきました花入れ。安土桃山時代を思い起こされる古色の花入れの一品です。下段は薪が焼かれ、その「オキ」が積もって焦げる現象なのですがオキと聞いて懐かしい思いがいたしました。もう40~50年以上前の話し、その頃には当方の実家では「五右衛門風呂」の使用、「オキ」いうことが常に聞こえていました。 今日はほうざんさんで「緋色」と「コゲ」を勉強させていただきました。
この陶板は「緋色」と灰釉の現象を展示されていました。




ぶらり窯元めぐり 第14回信楽窯元散策路

2019年4月6日 窯場坂⑬ 谷寛窯ギャラリー 陶ほうざん

登窯、穴窯時代の窯元は立地条件の良い山の斜面を利用されていましたので、今日お訪ねする「ほうざん」さんも奥まったところに窯を築かれていました。


入口を入りますと、正面飾りがされておりおもてなしの心を感じさせられるほうざんさんです。


台付の火鉢が飾られていました。二度掛けの生子火鉢。台が付いているところから頃は明治時代では。ほうざん窯さんも昔は火鉢を焼いていた頃の文化財です。


信楽焼といえば主たる生産が植木鉢であった頃、この大きな生子懸崖鉢もほうざんさん作かと。そしてその当時の窯の様子がわかるポスターが張られています。この頃は登窯から、生産効率の良い重油窯へと時代は変わっていた頃ではと思われます。


その重油窯の窯の入口にはギャラリーになっており、ほうざんさんで製作された食器類が並べられています。そしてパネルと合わせて立体的に構成されています。


今は使われなくなった重油窯。(というよりもこの窯は作ったけれども一度も使われたことが無いと後が聞きましたのです)その窯内部もおしゃれな展示場に様変わり。すばらしい時代の作品といえるかもしれません。


その窯の出入口にはかわいいねずみさんでしょうか?おもてなしをしてくれています。


窯を利用した、棚には緋色した植木鉢の数々が並べられいます。


この上面から撮影しますと植木鉢であることがよくわかります。


このトーン我ながらすばらしい写真技術。といってもカメラが勝手に合わしてくれているのですが。左側に見える階段が2階へ案内してくれています。


その昔、緋色といい、すばらしい植木鉢を作られていたのでしょうか?いまは見ることもない作品ばかりです。





2019年12月25日 信楽焼 窯元めぐり 番外編 窯場坂 山文製陶所(その1)

NHK朝ドラ「スカーレット」にて信楽焼が舞台となり、ドラマの中で火鉢製作は話題の一つとなりました。


現在、信楽焼で火鉢を生産しておられる唯一窯がこの山文製陶所さん。


それまでの鎌倉時代、おそらくは室町時代より焼き続けられてきた窯が並びこの窯場坂は静かな焼き物の里でした。毎年開かれる「窯場めぐり」で好事家が訪れる以外、閑散とした通りでした。


ところが時代は今、NHK朝ドラ「スカーレット」の波及波及効果は絶大なもの。ドラマが始まるや、この山文製陶所さんには連日100人余りが方々が訪れられたとか。訪れる見学者の方々がわかるように看板は立てられ、一目でわかる火鉢も演出。いやがうえにも観光化してしまった信楽焼の町です。


「スカーレット」で舞台となった「丸熊陶業」のロケ地。案内板がわかりやすく案内してくれています。
起伏に富んだ地形は、信楽焼の歴史そのもの。鎌倉時代より昭和30年代まで穴窯、登窯で焼成され、常に山の斜面を利用してきたからです。山文製陶所で行われた「スカーレット」のロケはその昔の窯跡。案内はそちらへ誘導してくれています。


その山文製陶所の工房の裏側を通るのですが、山文さんサービス精神でしょうか、NHKから借りられたのか、ロケの様子がわかるように、ロケ現場写真が貼られているのでした。


そのロケの様子です。


以前には見られなかった火鉢も積まれ、見学される方々のサービスも満点です。奥の煙突は「ほうざん」さんという窯元。なかなかすてきなギャラリーが展開されています。


荒縄でくくられた火鉢。火鉢はその昔鉄道輸送。その貨車に積み込まれ全国各地へ送られた時代。パッキンは荒縄だったのです。そしてその時代こそNHK「スカーレット」の時代背景でもあったわけです。


その時代の火鉢がよく残されていたものです。その長年積まれていた登窯時代の火鉢が時代考証の上でおおいに役立ったようです。


山文さん、丁寧に解説されています。


現在生産されている一色生子に近い火鉢です。


本格的な二度掛け生子火鉢、或は多彩は釉薬を使ったモダンな火鉢は登窯時代そのものです。


休憩所が設けられており、その壁面にはNHKから借用された撮影ロケの写真が、見学する方々の心をなごまされているのでは?


写真には庭に粘土で整形され、天日干しされている火鉢の原型が並んでいます。


この窯である丸熊商店のスタッフの方々です。地元の方々もエキストラで出演されているとか。


いろいろなロケの場面です。


リヤカーで運ばれていくその昔の火鉢。リヤカーそのものがレトロな時代物。


山文製陶所さんがその昔、作られていた前掛。電話番号が3ケタだけの古き良き時代の前掛。お得意様にくばられていたのでしょうか。


「スカーレット」のポスターといい荒縄でくくられた古い火鉢といい、信楽焼の見学にこられた方々は納得されているのでは。


その昔に登窯で焼かれていた和風の火鉢がおもてなしに使われていました。


こちらには生子火鉢の3個結び。なつかしい今では見ることのできない「むしろ」がパッキンに使われています。今回「スカーレット」のロケに使われたかと思いますが、もう二度と見られないのは間違いありません。


庭にはまだまだ昭和の作の火鉢を始め、今では見ることの稀な二度掛けの大きな生子の植木鉢が置かれています。枯草の中に昔は使われていた立ちざや(立匣鉢)が横たわっているのが見えるでしょうか。


その中に二度掛けの生子火鉢の失敗作が見られるのでした。薪で焼かれていた時代ですので、焼成温度は経験と感。高温焼成の生子釉であっても高温になりすぎるとこのようになってしまったようです。


今では使われなくなったつぎざや(継匣鉢)がいつの間にか野ざらし状態に置かれてしまっています。


「むしろ」も懐かしい思いです。何十年も昔の話し、その当時農家の庭先で秋になりますと収穫した稲、豆を始めとする雑穀類をこのむしろで天日干しに使われていました。


今は見学に訪れる方々のおもてなしとなっている生子火鉢。「スカーレット」のロケではこの火鉢も道具として使われたとか。よく見ますと色々な形があります。


丸火鉢、八角火鉢、十二角火鉢、それに雷文が入った火鉢といろいろあります。色も二度掛けの生子本来は海鼠釉と書くのですが。それとコバルト釉の大鉢とそれだけ売れたということでしょうか。


この形状は瓜をデザイン化したものなのでしょうか。機会があればおたずねしたいと思います。



2019年12月25日 信楽焼 窯元めぐり 番外編 窯場坂 山文製陶所(その2)

撮影で使用された丸熊陶業の看板。今は取り払われこの工房前に。見学の方々には「これこれ」といっていただけるのでは。まあ、永久保存看板ですねえ。


機械ろくろで形成された乾燥中の火鉢の原形。そして後はその石膏の型。


工房の入り口には「スカーレット」で放映された火鉢の製作現場、俳優も何んでもやらなければなりません。


そのロケで使用された火鉢の型が入った機械ろくろです。ここで俳優さん実演されさぞ大変なことであったろうと思われます。


その機械ろくろで製作されたばかりの火鉢の整形されたところです。型から抜かれたばかりと思われます。


この山文さんでロケされたことがよくわかります。


でき上がったばかりの火鉢の原型です。


この庭で整形された火鉢の原型が天日干しされたところです。山文さんの職人さん「イッキに60個作ったことは始めて。大変でした」とのお話し。ロケそのものが前代未聞。さぞ大変なことであったろうとおもわれます。あいにくの小雨模様の天気が少し残念でした。
話しは変わりますが、地元信楽産の「真砂土」を敷かれています。


この真砂の山土、古信楽といわれる鎌倉時代から江戸時代の焼き物で、粘土を荒土のままの状態で焼かれた壺等はこの長石、珪石が薪の炎との化学反応により、味わい深い信楽焼ができ上がった由縁です。


にわか仕立てのギャラリーオープン。従来「窯元めぐり」ではオープンされていなかった山文製陶所、押し寄せる見学の方々にやはりサービスしなければなしません。それにて工房の一隅をこの工房の作品を並べられることになったのでは。植木鉢と花入れ、鉢カバー等でしょうか。


傘立ても。


こちらは睡蓮鉢。つくばいにも使用できるように「ひしゃく」が置かれています。


工房では職人さんが傘立ての製作中。


山文さんで現在生産されている製品が並べられています。


火鉢の小型、たばこ用の手あぶりでしょうか。昔はキセルで「きざみたばこ」灰皿といったところでしょうか。


「スカーレット」にちなんで緋色の手あぶりも作られています。


見学に来られた方々用に名刺変わりでしょうか。


生子の手あぶりもレトロなレターケースの上に。何か様になっています。


こちらも現在生産中の花瓶、睡蓮鉢等が見られます。


このつくばいは電動仕掛け。何か雲がたなびいているような。


こちらは陶器のハリネズミ。


受皿付きの植木鉢では。室内観賞用に考えられている作品。現代流でいうならインドアグリーン用です。


帰り道、ロケの跡がそのまま見られるように。


以前には無かった火鉢が積まれ、ロケの跡であることがよくわかります。


そしてこんな案内板も。


現在、山文製陶所の工房です。その工房内を通らずにロケの跡が見られます。


ロケで使われている火鉢もこのように並べられ、見学に来られる方々のおもてなしになっているのでは。


さすが年末ともなり、天候も重なって見学に訪ねる方々の歩く姿も見られません。







ぶらり窯元めぐり 第14回信楽窯元散策路

2019年4月6日 信楽焼 窯元めぐり ろくろ坂④ 嶋吉陶房

このろくろ坂といわれる通りに面してお店嶋吉陶房さんです。


店内はこちらで焼かれた食器を始めとした作品が並べられていました。


やはり目につくのが植木鉢。穴窯で見られる窯変を表現した作品でしょうか。そこには多肉植物。卓も焼き物では。


こちらもハルオチアと呼ばれる多肉植物を植えられたニューデザインの植木鉢が見られました。


工房も兼ねておられ、これは素焼きでは? これから上薬がかけられるのでは。


ストックを兼ねておられるのか植木鉢が重ねられて置かれていました。


軒下には登窯時代に焼かれたと思われる重厚な作りのコバルト海鼠の睡蓮鉢が置かれていました。


その登窯時代に使用されていた「たちざや」が並べられていました。登窯そのものは別の場所にあったのではと思われます。


ろくろ坂沿いにお店を開いておられる嶋吉陶房さん。ここからがろくろ坂の登口といったところでしょうか。







ぶらり窯元めぐり 第14回信楽窯元散策路

2019年4月6日 番外編 清右衛門陶房

以前に一度通った信楽町内の旧道。そこに「一升徳利」が並んだところがあったなあと思い立寄らせていただきました。


そのお店は「清右衛門陶房」さんでは。ショールームには登窯時代の代表的な焼き物が展示してあります。


物置小屋だったのか、その回りに棚を設けられ、今では作られるどころか、見る機会も無いと一升徳利が並べられているのです。


知られた年代からいっても登窯であることは間違いないと思われます。ふたがついた白釉の徳利、おそらくは時代が新しいのでは?そう考えますと焼き締めの徳利はそれこそ大昔から作られていたのでは考えられます。 今では焼き締めといえば窯変と思わせる焼き物ですが、そん昔は窯変が出た焼き物は2等品扱いだったのでは。そしてその焼き締めの一升徳利こそがその当時の最高技術だったのではと思われるのです。なぜならお酒が浸み出して来ないからです。元々は信楽焼粘土は長石のたくさん混じった粘土で焼かれ、それが信楽焼の味であったわけです。
そのようにいろいろ考えますとこの一升徳利の棚、手近に見られる文化財でもあったわけです。




ぶらり窯元めぐり 第14回信楽窯元散策路

2019年4月6日 番外編 信楽陶芸村

ここ信楽焼陶芸村、信楽焼たぬきのたくさんのおもてなしです。


今は焼かれいませんが登窯の窯跡を観光化され、名所とされています。


手前の一番下の部屋を「火袋」(或は大口とも呼ぶ)ここが始めに薪をくべ、焼き始めるところです。


戦後の火鉢全盛の頃に焼かれたのでしょうか。火鉢が鉄道輸送用に稲ワラと縄で今流でいうならパッキングしてあります。昔は100%自然素材、環境にやさしかったと思われます。右側の大壺、生子釉(正しくは海鼠釉)もこの窯で焼かれていた名残りなのでしょうか。


登窯、それまでの穴窯の生産を連棟式に効率よく焼ける、当時としては画期的な大量生産方式が導入され、次々と上の各室へ火を入れて行かれた焼成法。
当時の焼き方が再現されている貴重な文化財です。


一つ一つの窯が連なっているので連房式と呼ばれている登窯です。


今はその窯の中で大きな室はこのように活用され、これも観光化に一役かっているのでは。


当時の登窯の解説がありましたので、御参考までにと思いました。

                     記 2020年9月10日











PAGE TOP