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奈良・平安時代 |
行基、最澄、空海らが中国に留学した際に持ち帰ったのが最初です。 当時のお茶は高級品だったので宮廷内に少しずつ広がっていきました。 |
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鎌倉時代 |
栄西禅師が中国からお茶の種を持ち帰り、各地の寺院を中心に栽培が広がりました。 栄西からお茶の種をもらった明恵上人が、京都栂尾高山寺に植えたことから宇治茶が始まりました。 栄西は「喫茶養生記」を書きました。また中国で身につけた抹茶法による製造法が広がりました。抹茶は主に薬として用いられました。 |
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南北朝時代 |
この頃になると武士の間でもお茶が親しまれるようになりました。 全国各地で茶栽培が盛んになりました。 |
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室町・安土桃山時代 |
武士の間で茶会が頻繁に開かれるようになり、茶の湯が流行し始めました。 市民階級へも茶が広がり、村田珠光や武野紹鴎らが茶の名人といわれました。 信長や秀吉らにも茶が愛され、千利休とともに「侘び茶」が完成されました。 |
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江戸時代 |
徳川家康によってお茶壷道中が始まり、各地のお茶が江戸に集まりました。 1738年に京都宇治の永谷宗円によって煎茶の製茶法が作られ、1835年には山本徳翁によって玉露が発明されました。 この頃から庶民の間でも煎茶が飲まれ、お茶を親しむようになりました。 現在まで続いています。 |
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