ブランド事典

ホリデー&ブラウン
Holiday&Brown

ヒストリー
   

ブラウン家は4世代にわたって高級メンズファッションに携わってきました。20世紀初頭には、バーリントン・アーケードをはじめロンドンの主要地区に7店舗のメンズブティックを所有していました。

1900年初めに、メンズファッションに情熱を持つオードリー・ブラウンが、ブラウン家の古くからの友人であったホリデー氏とともに会社を興したのがこのブランドの始まりです。当初の目的は、ネクタイ生地用のプリントシルクや職人による手作りの生地のコレクションを扱うことでした。当時はまだ自社内デザイナーを使うのが主流の時代に、フリーランスの外部デザイナーを採用し、その独創性は際立っていました。

1923年、事業が伸び始めた頃、ブラウンはアメリカ進出を決断します。そして、アメリカで大成功を収め、第二次世界大戦後の大変な時期に会社を支えてくれるほどの忠実な顧客がついてくれたのです。

1926年、ホリデー&ブラウン社が誕生します。生地デザインを専門に手掛け、それを専用工房で仕上げさせ、製造者に卸していました。その後工業化が進むにつれ、専門職人の数が減り、大きな数量をこなす一方で品質が劣っていく風潮にありましたが、ブラウンは、自分の顧客が望んでいるものは、そのシルクの品質に見合った、職人による手作りのネクタイを提供することだと理解していたのです。こうしてホリデー&ブラウンは、ショップがオーダーしたデザインで、全工程手作業でのネクタイ作りを始めました。今日でも1本1本ハンドメイドで作られています。

1945年には、ホリデー&ブラウン社の名は世界中で知られるようになり、洗練さの代名詞ともなったその名のおかげで、戦後の大経済危機も乗り越えることができました。 1956年、創業者のブスター&ブラウンが62歳で亡くなり、弟バジルがその息子コリンとともに会社を継ぎました。

そして彼らは、今なお多くの顧客を感嘆させるプリントシルクを提案することで、難しい激動の60年代を、この会社の特長でもある柔軟性をもって乗り越えてきました。今日、ホリデー&ブラウン社の伝統は、近年、当ブランドを購入したマンテーロ・セータ社に受け継がれています。


ホリディ&ブラウンのネクタイ

男性にとってネクタイは、単なるアクセサリーではなく、自分を表現する手段でもあります。ホリデー&ブラウン社のネクタイは、社会的地位の高さ、洗練されたエレガントさを表現するステータスシンボルとなっているのです。

ホリデー&ブラウン社は、1926年の創立から変わることなく、その製品の品質の高さ、職人技による手作りのブランドイメージを守り続けてきました。洗練さが生地作りから縫製まであらゆる細部に垣間見られるこだわり人のための一品です。

すべてのネクタイは、表地も裏地もシルク100%で出来ており、ネクタイを締めた後も生地の特性が保たれるよう一針一針手縫いで仕上げます。中詰めは天然繊維のウール100%です。シルクのバイヤスは正確に45度、手縫いステッチとともに、ネクタイに伸縮性を与え、何度使用しても型がくずれないのです。これらの製品には、Gum Twill、Real Ancient Madder、Tessuti Jacquardと、主に3種類のシルクが使用されています。

ホリデー&ブラウン社は、今日世界中でその名が知られており、アメリカから日本にいたるまで、最高のレベルのメンズブティックで販売されています。
ホリデイ&ブラウン/Holiday&Brown

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