Grenfell


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ウィルフレッド・トンプソン・グレンフェル卿は世界で最も荒涼たる不毛の地の一つに信仰と医療をもたらせました。
彼の開拓医療ミッションは1892年にニューファウンドランドのラブラドール海岸に於いてその活動を開始しましたが、彼の英雄的な献身、北極海を巡る壮大な探検旅行、冒険に満ちた人生は、時と場所を超えて全ての人々に感動を呼び起こさざるを得ません。 ![]() |
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1892年のその日、ウィルフレッド・グレンフェル卿が、ランカシャー州バーンレイ市の公会堂に於いて、彼のラブラドールに於ける活動について語り始めた時、聴衆は静まり返って耳を傾けました。
使命感の赴くまま粗末なソリに乗って未踏の地を駆け、1892年に上陸して以来2ヶ月間に900人の患者の診療に当たり、助手の一団に感動と献身を呼び起こし、不毛の北極圏に散在する2,000人の漁民やエスキモー対する精神的医療的支援の必要性につき世界中の共感を呼び起こした医者が語り始めました。 グレンフェル卿の話がその地に於ける厳しい生活の現実に及んだ時、聴衆の一人は非常に強い印象を受けました。 その人こそ、ウィルフレッド・グレンフェル卿を講演に招いたバーンレイ市の工場主、ウォルター・ヘイソンスウェイト氏でありました。 同氏をその後の行動に駆り立てたのは、極地に於ける衣料に適する生地に関する卿の一寸した解説でありました。 『ラブラドールに於けるミッション活動に適した生地は』、グレンフェル卿は語りました。 『まず軽くなければなりません。何故なら移動するときは犬の群れについて徒歩で行くからです。また丈夫でなくてはなりません。何故なら野外では衣服に命を預けるからです。雨と雪から身を守るため防水性がなくてはなりません。体温の低下を防ぐため風を通さない事も重要です。しかし何よりももっと重要なのは身体の湿気を外に排出する機能であります。』 ヘイソンスゥエント氏はこれらの言葉を挑戦と受け止めました。 そして1年の研究を重ねた後、1923年に彼はグレンフェル卿が理想的と賞賛する生地を生み出すことに成功したのです。 卿はその手紙の中で次のように述べています。 『それは軽くて丈夫で美しい生地です。それは我々全てにとり大きな恩恵ですが、私はそれがもっと広く世間の人々に知られるべきであり、きっとそれが一般市場で大歓迎されるものと信じます。』 後日、この生地のネーミングを決めるに当たり、グレンフェル卿自ら『グレンフェル・クロス』と言う名前を薦めました。そしてその後の手紙に更に次のように述べています。 『我々はそれを常時着用しました。船に乗る時、飛行機に乗る時、ソリに乗る時、自動車に乗る時。それは酷使しても破れないので、危険な仕事に従事している人々には必ずそれを薦める事にしました。』 ![]() |
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グレンフェル・クロスの長所は2つの単純な事実から生み出されました。
第一にその糸は熟練の職人により最も繊度の細い綿より紡がれたものです。 第二にその生地は非常に緻密に織られ、1インチ四方に600本以上の糸が打ち込まれています。 この緻密な織り生地に、風を防ぎ、防水性に富み、長持ちする性質を与えました。 この生地が発明されて以来今日に至るまで、その基本的は織り方は変わっていませんが、現在ではそれに最新の防水と染色の技術が応用されています。 糸染めの技術が非常に幅広い範囲の色に、一層の深みと美しさを与えました。 最新の加工技術がグレンフェル衣料の防水性を更に完全なものにしました。 ![]() |
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グレンフェル・クロスは探検や冒険の分野で何百という偉大な業績達成に貢献してきました。
次の記載は代表的なものの一部です。 ・ 高地に於いて エベレスト、ナンダデビ − 山への挑戦があるところ、グレンフェル・クロスが力を発揮しました。 1933年、グレンフェル・テントが地球上で最も高地における居住を可能にしました。 そのテントに使われた生地はその時の衣料にも使用されました。 グレンフェル・クロスは1933年台初めより主だった登山隊と極地探検隊の殆どで使用されています。
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グレンフェル・クロスは第二次世界大戦で抜群の戦功を挙げました。 それは、英国空軍とカナダ空軍の正規飛行服に使用され、多くの命がグレンフェル・クロスから作られた MAE WEST のライフジャケットで助かりました。 そして英国陸軍北極圏師団の兵士達は特別にデザインされたグレンフェル・ミットで手を守りました。 軍隊との関係は平時にも継続され、その後カナダ陸軍の全ての将校に対しグレンフェル・レインコートが供給されました。 |
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現在の商業航空への道を築いた30年代の飛行先駆者達は生命の危険に身を晒さざるを得ませんでした。 そのため彼らの多くがグレンフェル・クロスの飛行服を身につけました。 1931年バード提督が南極上空を飛行した時、グレンフェル・クロスを着用し、こう書いています。 『グレンフェル・クロスは特に我々の目的の為には最適の素材である。』 太平洋を横断した チャールス・キンクフォードスミス卿、大西洋を渡ったジムとアン・モリソン、最初にエヴェレストを空から征服した登山隊、大西洋を初めて横断した女性飛行家アメリア・エアハートなど、同時代の他の多くの偉大な飛行家達も同じ意見を持っていました。 その後グレンフェル・クロスは、戦時平時を問わず数知れず大空を駆けました。 そして今日ではそれはエアースポーツの分野で理想的な素材である事を証明しつつあります。 当然の事ながらそれは1960年オリンピックの英国グライダーチームにも採用されました。 |
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グレンフェル・クロスは陸上と水上で最も速い男達に着用されました。
ジョージ・イーストン大尉が1938年に時速367マイルを達成した時にもそれは使用されました。 戦後のモータースポーツの多くのスター達と同様、スターリング・モスも長年に亙ってグレンフェル・クロスに身を固めてレースに出場しました。 特に、グレンフェル・クロスがマルコム・キャンベル卿と彼の子息ドナルド・キャンベルが達成した陸上と水上のスピード記録に関係していた事は有名です。 マルコム・キャンベル卿は、1931年のデイトナビーチにおける時速246マイルの達成と、1935年のボーンビルに於ける時速301マイルの達成に際しグレンフェル・レーシングスーツを着用しました。 ドナルド・キャンベルは1年の間に陸上と水上で世界一速い男となりました。 1964年オーストラリアのアイ湖サルトフラッツで時速429マイルの陸上新記録を達成し、その同じ年に今度は西オーストラリアのダンブルヤング湖で彼自身が持つ水上世界記録を塗り替えて時速276マイルの記録を達成しました。 彼の最も速い水上記録は1967年1月4日ランカシャーのコニストン湖で達成された時速328マイルですが、これが彼を死に至らしめ、最後の記録となりました。 彼は祖国の為にベストを尽くす事を決意した勇敢な英国人として長く記憶に留められる事でしょう。 ![]() |
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数多くの試験と試練を経て、歴史上の偉業を達成したグレンフェル・クロスは、各種アウトドアスポーツの要求に確実に応える事が出来るものです。
登山家の身を守った素材はゴルファーの身体をも守ります。 事実多くのライダーカップ・チームにその効果をもたらせました。 エベレストで機能を発揮した生地はスキースロープでも当然選ばれるものです。 事実それは1952年、56年、60年の英国とノルウェイのオリンピック スキーチームに採用されました。 ![]() |
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グレンフェル・クロスには最も美しいアウターウェア用の生地としての根強い需要があります。
他の特長に加え、緻密な織りからくるその外見は表面にまたとない美しさを与えます。 それはデザインナーが要求するいかなるラインをも作り出し保持するものです。 生地そのもののみならず、グレンフェルカラーの素晴らしさは、探検や冒険から生み出されたものです。 その生い立ちから、グレンフェルカラーは白一色の雪の原野で遠くから見分けられるよう特長のあるものであることが必要条件でした。 また、衣服の手入れが全く不可能な極めて過酷な条件下で、退色せず元のまま色調を保つことにも応えてきたのです。 ![]() |
2005年10月23日掲載 |
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