STETSON(ステットソン)

STETSON(ステットソン)とは

帽子愛好家に限らず、誰もが知るアメリカのアイコンSTETSON(ステットソン)。1865年、ジョン・B・ステットソンによって設立されたSTETSON(ステットソン)は、アメリカの伝統に深く根ざした、上質な帽子を作り続けています。ステットソン・ジャパンもまたこの精神を引き継ぎ、本国ステットソンのライセンス提供を受け、日本人の頭にフィットする日本製のハンチング、布帛ハットを世に送り出しています。


STETSON(ステットソン)ブランド紹介

STETSON(ステットソン)とは

STETSON(ステットソン)とは

STETSON(ステットソン)

1865年、ジョン・B・ステットソンによって設立されたSTETSON(ステットソン)は、西洋の開拓精神から生まれ、今や帽子愛好家に限らず、誰もが知るアメリカのアイコンに成長しました。

STETSON(ステットソン)は、アメリカの伝統に深く根ざした、上質な帽子を作り続けています。年を重ねるにつれ良さが引き立つ製品を評価する文化こそ、STETSON(ステットソン)の信条です。STETSON(ステットソン)は、150年以上前のジョン・B・ステットソンが用いた技術を使って、今も帽子を手づくりしています。そしてこのアプローチこそ、ハリウッドスターをはじめ、多くの顧客に支持される鍵となっています。

ステットソン・ジャパンもまたこの精神を引き継ぎ、本国ステットソンのライセンス提供を受け、日本人の頭にフィットする日本製のハンチング、布帛ハットを世に送り出しています。
ステットソン・ジャパンの帽子は、そのかぶり心地の良さ、使う側の視点に立ったデザイン性から、本国ステットソンにも高く評価されています。

STETSON(ステットソン)の歴史

1865-1869 ステットソン誕生
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1865年、ジョン・B・ステットソンはフィラデルフィアで帽子の製造販売を始めます。当日フィラデルフィアには帽子工場が多数あり、競争は熾烈でした。ステットソンは新しい流行を創り出そうと一心に製品の差別化に取り組みますが、大きな成果は得られませんでした。

1870-1875 製帽工場の設立
STETSON(ステットソン)
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『ボス・オブ・ザ・プレインズ』をリリースしてわずか1年後の1870年、ステットソンはフィラデルフィアの郊外に建物を購入。やがてアメリカ最大の帽子工場へと成長し、数々の革新的な事業を推進します。1872年に創刊したカタログも、当時の販売手法としては革新的でした。

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同時にこの時期に、ステットソンは従業員の福利厚生を大切にするという経営理念を打ち立てます。ステットソンは、従業員のために生命保険制度、クリスマスボーナス制度などを導入。さらに、好条件に引き寄せられて集まった職人を対象に、市民権取得を支援する教育プログラムも提供しました。

1876-1900 19世紀の黄昏
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アメリカが建国100年を祝う頃、ステットソン社は多数の賞を獲得し、各界から高い評価を得るとともに、大企業として地位を確立し、国際的にも注目される存在となります。

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海外からの最初の注文は、日本から375ドル15セント、イギリスから51ドル50セントでした。1877年のことです。

1901-1919 事業の発展
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時代は20世紀へ。創業者のステットソンは、自身も想像していなかった成功へと会社を導いていきます。ステットソンは、伝統と革新を融合したマーケティング手法を取り入れ、時代を先取りします。ステットソン社の名は世界に広がり、ステットソン社製の帽子はアメリカン・クオリティの代名詞とまでいわれるようになります。しかし、創業者のジョンには、あまり時間が残されていませんでした。

STETSON(ステットソン)

初期に販売されたストローハットは、主にカンカン帽のスタイルでした。ステットソンのカンカン帽は、大学を中心に人気を博します。普通は黒のシルク・リボンを使うところ、大学のスクールカラーに合わせ、カラフルなグログラン・テープを施しました。

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初期に販売されたストローハットは、主にカンカン帽のスタイルでした。ステットソンのカンカン帽は、大学を中心に人気を博します。普通は黒のシルク・リボンを使うところ、大学のスクールカラーに合わせ、カラフルなグログラン・テープを施しました。

1901-1919 事業の発展
STETSON(ステットソン)

創業者亡きあとのステットソンも、ジャズ・エイジの波に乗り、新しいファッショナブルな帽子を作りつづけます。ステットソンの帽子は、流行に敏感なハリウッドのスターや政治家、セレブ達に愛用されるようになります。

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1929年4月17日、ワシントンDCのグリフィス・スタジアムでの野球開幕式に臨むハーバート・フーバー大統領。


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ステットソンのブランド・アンバサダーとなったハリウッドスターのトム・ミックスは、行く先々でステットソンの帽子を披露し、プレゼントしました。その功績に感謝し、今も彼の名を冠した製品を作り続けています。

1930-1939 困難な時代、新たな好機
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アメリカに大打撃を与えた大恐慌時代、ステットソンはイノベーションを続けることで乗り切っていきます。国全体が苦境に立つ中、実用的なニーズと大きな希望に応えられるよう製品ラインナップを拡充を図り、生産を拡大します。

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「ファッションは恐慌に負けはしない」との信念から、1930年、ステットソンは婦人帽子の専門部隊「ミリナリー」を発足します。


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ハリウッド映画が、人々を厳しい現実から華やかなロマンの世界へ誘ったように、ステットソンも、ゴージャスながら手の届くお洒落を発信します。


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高級ラインの『ロイヤル・ステットソン』が誕生したのもこの時期でした。

1940-1949 40年代
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第二次世界大戦に際し、ステットソンは積極的に国に協力します。軍人向けに大量の帽子を生産し、従業員から志願兵を募り、労働力と資材を国に供出しました。

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第二次世界大戦が終結すると、輝きとファッションを求めるアメリカの繁栄を描くステットソンの広告が戻ってきます。

1950-1959 50年代
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ステットソンは戦後のオプティミズムの波に乗り『世界一高価な帽子』を製作。そのPRのために世界ツアーへと繰り出します。アメリカでは人々が平和と好景気を享受しており、その様子が当時の広告にもよく表れています。

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『世界一高価な帽子』は、ビーバーフェルトの帽体にスターリング・シルバーを編んだバンドが巻かれ、純金のロングホーン牛の飾りがついたゴージャスな意匠でした。写真は、『世界一高価な帽子』が東京の銀座をパレードする様子です。


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クラシックな『マッド・メン』広告は、上昇志向の強い男性のニーズに応えるためのものでした。戦後の好景気が描写されたパーク・アベニューの風景です。

1960-1969 100周年を迎えたステットソン
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1965年、創立100周年を祝い、記念冊子が製作されました。キャッチフレーズは「Born in America, Worn 'Round the World(アメリカで生まれ、世界中で愛される)」


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1964年にテキサス人のジョンソンが大統領選で勝利すると、帽子業界では大統領がかぶる帽子のスタイルを売り込む熾烈な戦いが始まります。そこでステットソンは、ジョンソンが愛用したスタイルを『オープン・ロード』と命名し、大きな成果を挙げることになります。

1970-1979 大転換期
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帽子は日常生活で必須の装身具ではなくなり、多くの帽子会社が廃業へと追い込まれます。ステットソンもフィラデルフィア工場の生産を停止。ミズーリ州セントジョゼフ工場で生産を継続し、景気の良い西部市場を主なターゲットとします。

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1978年放映開始のドラマ『ダラス』は、世界中で絶大な人気を博し、共産主義衰退の一助となったという説が出るほど、テキサスの石油王の野心的なイメージを強烈に焼き付けます。


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西武は依然としてステットソンの最重要市場です。アメリカ西部で生まれた帽子は、ファッションやトレンドが移り変わる中でも、創立200年に向けてブランドを支え続けています。写真は1976年のカタログ。

1980-1999 20世紀の終盤
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ステットソンは製造・販売からライセンス・ビジネスへと方向転換を図り、自らをライフスタイル・ブランドと位置付けて、フレグランスやアイウェアへと商品ラインナップを拡大します。

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ステットソンのライセンス商品は、創業当時から今日に至るまで、人々に強く支持されています。これは、アメリカ人が持つ、ステットソンのネームバリューの強さを証明しています。


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ステットソンはアイコニックな帽子メーカーでありつづけています。人々はステットソンから魅力的な帽子が登場するのを心待ちにしています。

2000-2014 21世紀の幕開け
STETSON(ステットソン)

ステットソンは、ライフスタイル・ブランドとして、アパレル、フットウェア、ホームグッズを展開。ヨーロッパでライセンス契約が結ばれています。また『ヒップスター』ファッションの始まりとともに、ドレスハットが復活します。

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ステットソンは、サウスウェスト・ミュージック・フェスティバルで、南部のコンテンポラリー・カルチャーを応援しています。こうした活動もあり、若々しくカジュアルでファッショナブルな装身具として帽子は劇的な復活を遂げます。


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設立当初から、ヨーロッパはステットソンにとって重要な市場でした。1990年代後半にヨーロッパの会社と提携を結び、21世紀にはフルライセンス契約へと発展。ステットソンはブランドのアメリカン・ルーツを伝えつつ、市場からの多様なファッションやトレンドのニーズに応えています。

2015- 今日と明日と
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ステットソンは、すべての人を、時空を超えた旅にいざないます。多様性と統一性を保ちながらも、革新的で適応性を求めるステットソンは、伝統に対して最大限の敬意を表しています。私たちは語り部として、この会社の伝統を次世代に引き継いでいきます。

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150周年を祝う新機軸。NASCARRの有力チーム『リチャード・チルドレス・レーシングチーム』とトップドライバーであるオースティン・ディロンとのコラボレーションは、ステットソンにとって2015年のハイライトのひとつです。


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ステットソンは、ファッショナブルなウェスタン・スピリッツを、これまで同様、これからも体現していきます。
メンズ・フィットネス2014年11月号より。

動画で見るSTETSON(ステットソン)