三笠ホテルの歴史

「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれていた

<三笠ホテル外観>

 1906(明治39)年、実業家、山本直良によって創業された純西洋風建築のホテル。有島武郎や近衛文磨、大隈重信、渋沢栄一ら多くの文化人財界人らが利用したことで知られ、「軽井沢の鹿鳴館」とも呼ばれた。

1970(昭和45)年に営業を終了したが、1980(昭和55)年に国の重要文化財に指定。軽井沢の鹿鳴館と呼ばれ多くの政治家、財界人、文化人に親しまれた三笠ホテル。三笠ホテルの栄華は避暑地軽井沢を象徴するものとされ現在でも語り継がれている。

 

多いの文化人や著名人に親しまれた

<写真/土屋写真館>

 左から山本直良夫人、近衛文麿公爵、黒田長和男爵夫人、黒田長和男爵、山本直良、徳川義親侯爵、毛利子爵夫人、有島武郎、里見弴、徳川慶久公夫人、近衛文麿夫人、西尾忠方子爵。

 

国の有形重要文化財へ

<館内の階段>

 避暑地として見出されてから20年後の明治38年(1905年)、のちに「軽井沢の鹿鳴館」と呼ばれるそのホテルは開業した。

創業者は作家・有島武郎の義弟で実業家の山本直良である。現代で言えば全部屋スイートルームの三笠ホテルは多くの紳士淑女で賑わった。当時の宿泊名簿には住友吉左衛門(住友家当主)、大隈重信、渋沢栄一、団琢磨…財界人や名士らの名が連なっている。米軍の接収から開放された戦後には、宿泊客や別荘客にも集っていた三笠ホテルであったが、時代とともに昭和45年(1970年)に廃業。その後、国の有形重要文化財に指定された。

 

 



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