原著者より親愛なる日本の読書の皆さんへ

本当に必要なもの、それは塩・水・酸素・日光!

今回日本で出版していただくこととなった内容は、トルコ国内で発刊した第5版をもとに翻訳していただきました。2007 年の初版から時を経て、私自身の塩と水に関する経験や知識も進化してきましたが、その過程において様々な方から多くの質問をいただく場面がありましたので、これを要約してみようと思います。

今までに寄せられた問題は大きく分けると3つあります。
最大の疑問は社会の組織化の過程で生まれた価値観にあり、「ユージェルさん、水と塩は科学的といえますか?」と聞かれる方がいらっしゃいます。
この疑問は無限に発展させることが可能ですが、「呼吸をすることは全ての生物にとって必要な生命活動です。」という文章が学術的と言えるのであれば、「生物は水なしに、そして塩なしに存在できませんし、健康的な生活を送ることもできません。」という文章も同じくらい学術的であると言えるでしょう。これは知っているだけでなく、理解する必要があります。その理解のためには知識の欠片を結びつけながら、これを実際に自ら活用することが大事です。他者の考えに対する依存が大きければ大きいほど、個人の自由な発想と意思は失われていきます。
他者や職業に対して、社会の地位のみに左右されながら信頼を寄せる人に限って、水と塩の学術性を疑います。水と塩の学術性を理解するためには、大げさな研究も費用も必要ありません。
バカンスに出かけるときに家のお花が乾燥しないようにご近所に預けるという私たちの行動がそれを証明しています。しかし、自分自身の身体の乾燥に対しては何故か解決を他人に任せています。そして多種多様な薬を服用することで身体の乾燥を防ごうとしている人たちが大勢いるのです。今日、多くの人の血液に潤いを与えるために薬が処方されているのは事実です。しかし、考えてみてください。物質を潤すために、水以外の何が必要だといういうのでしょうか?
この簡単な質問の答えを出せない状況こそが社会全体を暗い迷宮に迷い込ませている根源だと思います。

第2の疑問は塩水療法を実践してみた方からの疑問です。実践したことによって浮かんだ最大の疑問もまた、現代学問が社会に与えた「ひとつの薬で全ての問題を解決する論理」によって生まれます。人々は水と塩を薬のように考え、摂取した瞬間に痛みが消えることを期待しています。誰もが3日ほどは忍耐強く待ちますが、3日以内に効果がでないと耐え切れずやめてしまいます。塩水療法は3日で効果を見せるような解決法ではありません。長年続いた乾燥と、その影響で体が受けた被害は短時間には改善されないということを胸に刻む必要があるのです。

第2部は、この忍耐ができない人々のために書きました。そして塩水療法の実際の際に起こりがちな間違いを明らかにしました。しかし心配しないでください。塩水療法に大きな間違いは起こりえません。塩水を飲むことはサラダを食べることと同じ感覚で行われるべきです。
大切なことは身体が発する言葉を理解してあげることです。その言葉とは「痛み」です。痛みを感じる箇所は何かしらの異常が起こっている可能性があります。その異常には二つの可能性があります。一つ目は周りの環境が生きづらい環境であること、二つ目は生命の存続に必要な物質を摂取する際に、十分に摂取していないか、間違ったものを摂取しているということです。本当に必要な物質とは、水、塩、酸素、そして日光なのです。

  第3は「ヒマラヤ岩塩といっても、どのヒマラヤ岩塩を使えばよいか?」という疑問に答えたいと思っています。というのも、塩の経済的利益を考える売り手が金稼ぎの感覚だけで仕事をしたために、市場に偽物や粗悪品が出回ってしまいました。ヒマラヤ岩塩というと1種類しかないと思われる方が多くいらっしゃいますが、ヒマラヤ岩塩にはたくさんの種類があるのです。
イスラムの世界では昔、商いは預言者たちが行うものでした。しかし現在は、悪魔が商いを行っているかのようです。そうでもなければ塩を染色してヒマラヤ岩塩として売るというようなことを思いつく人はいなかったでしょう。品質の良い食品と売り手を捜しだすのは現代では至難の業となっているのです。
本物の塩と偽物の塩の差は一目瞭然であり、品質のよいヒマラヤ産クリスタル岩塩は無色透明で輝きがあり、口に含むと後味に甘味さえ感じさせるまろやかさがあります。

※クリスタル岩塩の原石は無色透明ですが、細かく砕くと50%以上は白くなります。白くなったものの透明性は水にぬらすことで確認できます。

塩を食べていない羊は売り物にならない 羊飼いの知恵に学ぶ

現代医学は発達を続けながら、「おばあちゃんの知恵袋」として庶民に受け継がれてきた知恵を蔑み、無視しています。
私の塩と水の話を聞いて感動を受けた一人の方がこう言いました。「実際に僕の父親はスジュク(トルコのサラミソーセージ)を作るときに、塩を食べていない羊の腸は使わなかったんだ。そういう羊の腸は簡単に破れてしまうからね。」そう、これを現代医学の言葉で言い換えれば「腸疾患」。これが進行すれば「腸ガン」とも呼ばれます。
イスタンブールのブックフェアでキルギス人の学者と話をしているときにも、次のような話になりました。「私たちキルギス人の男は、子供の頃に必ず羊の裁き方が教えられます。そして、裁いた羊が塩を食べていたかどうかは一目でわかるのです。」私は「どうやってわかるのですか?」と聞くと、「第一に塩を食べていない羊の皮を剥ぐことは、とても困難です。簡単には剥がれません。第2にそのような羊の皮では毛皮はできません。とても破けやすいのです。第3に羊の肩甲骨をナイフで叩いたときに、塩を食べていない羊の骨はすぐに割れます。この羊が十分に塩を食べていなかったことがわかり、解体は非常に困難な作業になるのです。」と説明してくれました。
彼が説明してくれたのは「骨粗しょう症」の事です。キルギスの羊飼いは骨の劣化が塩不足によって生じることを知っています。しかし、現代医学を学んだ医者はこれを知らず、ただ骨の劣化症状が「骨粗しょう症」だという名前を知っているにすぎないのです。彼らはその原因を知らず、その原因をキルギスの羊飼いから教わるほど謙虚でもないのです。

最大の問題点はここにあります。キルギスの羊飼いは羊の骨を丈夫にすることは知りながら人間の骨粗しょう症が塩不足で発症することを知らないでしょうし、ソーセージ職人は腸の疾患の原因が塩不足だということを知らないでしょう。羊飼いが、その妻が骨粗しょう症を患った時、彼女の天然の塩を食べさせようと思いつくことは滅多にないでしょう。その代わりに彼女の手をとって病院に連れていくのです。
カースト制度のような身分社会が構築されてしまった社会においては、貧しい羊飼いがもつ正しい知識の代わりに、社会的地位が高いとされている医師の「過ち」を受け入れるようになってしまっているのです。
現代における人々の水と塩に対する見解に見られる最大の過ちはここにあります。社会に存在するこのカースト的な思考を180度変えて、社会の知識をもう一度見直すときがきているのです。
実際にはキルギス人の羊飼いもソーセージ職人も塩を食べているはずです。しかし、彼らは精製された塩が本当の塩でないという事実を知らないでしょう。現代医学の範疇の常識(塩は高血圧の原因であるという)にとらわれた多くの方々に向けて、真実を、自分たちが昔から知っている知識や目にしたもの、感じていることを何の疑いもなく、この本に書くことができました。
私たちがこの本の中で提案した水と塩の治療法が正しいか否かを確認するためには、3から4週間程度、計画的に塩水を飲むだけで十分です。塩水は何が真実であるのかを短時間であなたに証明してくれます。

海水の治癒作用 手術室に行く前に海へ行け!

今まで挙げた例は、人間の体にとって水と塩がいかに重要であるかをよく示していますが、胎児が母体の中で羊水という塩水に守られていることを知るだけでも正しい道を見つけるヒントとなります。
羊水は赤ちゃんが成長するにつれて交換されます。得に5ヶ月から6ヶ月目の頃には2日に1度新しい羊水になります。仮に母親が羊水を交換するに足るだけの水と塩を摂っていないとすると、赤ちゃんはこれらを母体から直接吸収します。妊娠中のめまいや胃もたれ、糖尿や血圧の上昇は、母体の水分が足りないことによって生じるのです。この状態においてもっとも効果的で簡単な治療法は、母親に塩水を飲ませることです。しかし、医師は別の道を選ばせようとします。そう、母体を早く赤ちゃんから開放させるために帝王切開で出産することを薦めるのです。
たまたま見ていた健康番組で、医学博士がスタジオに呼ばれ、視聴者からの質問に答えていました。ひとりの女性が「私は妊娠中なのですが、妊娠してからというもの腰を曲げずにはいられないのです」と相談すると、博士は「一度、私たちの病院にいらしてください。手術が必要か、そうでないかを調べなければなりません。」と答えました。この博士が理由もわかっていない問題に対して、なぜ手術を持ち出すのか全く理解できませんでした。 二人目の女性は「私も妊娠するとすぐに腰痛が始まりました。でも海に行った時は、なぜか痛みがなくなったのです。これは何故でしょう?」と聞きました。博士は「それは海とは何の関係もありません。でも何故でしょうね。調べてみる必要がありますね。」と答えたのです。もちろん調べる必要があるでしょう!もしも本当に海水が妊婦さんたちの腰痛を治しているとしたら、これはどういうことを意味しているのか分かりますか?腰痛を抱える人は手術室ではなく海に行くべきなのです。しかし、そうなれば医師たちの仕事はどうなってしまうのでしょう。
なぜ妊娠中の女性が腰痛に悩まされるかというと、それは赤ちゃんが羊水を必要としているために水と塩を母体から吸収しているからです。料理をしているとき、水が蒸発してしまったお料理をそのまま火にかければ焦げてしまいます。水が乾ききってしまったお母さんも同じ状態にあって、腰に痛みを感じるのです。そうです!読者の皆様、読み間違いではありません。海水には治癒作用があるのです。なぜならば海水は塩水であり、海に行くと体はスポンジのように海水から水と塩を吸収します。そのため腰痛も消えてなくなるのです。さて、あのテレビに出ていた博士には別の仕事を探してあげる必要がありますね・・・。

私たちを殺すのは、ガンそのものではなくガン治療である!

ガンについても本章に書きました。この本を読んでくださった皆様は、私たちを死に近づけるのはガンではなく、ガン治療であるということを理解してくださっていると思います。新鮮な野菜と果実を中心とした食生活に、十分な水を飲み、品質の良い塩を摂っている人、まして毎日塩水を飲み、年に数回は内臓の洗浄を行っている人はガンになることなどありえませんし、ガンで亡くなることもありません。この知識はとても単純で昔から伝わるものです。さらに莫大な費用がかかるものでもありません。誰にも経済的利益をもたらさず、そのため誰も気にかけたり、統計をとろうともしないのです。
内臓において重要な役割を果たすのが「沈黙の臓器」として知られる肝臓です。肝臓の問題は胃や腸の問題としてあらわれます。つまり胃や腸の問題の根本的原因は肝臓にあるとも言えるわけです。現代においては、成人のほとんどは脂肪肝と呼ばれる脂肪の塊か、胆石とよばれる石を抱えています。これらは小さなものからオリーブの実ほどの大きさのものまであります。胆嚢だけでなく、肝臓においても発生するこれらの脂肪の蓄積は肝臓の胆管をふさいでしまいます。脂肪がたまると胆汁が十二指腸に排出されなくなり、黄疸が形成されます。この状態はウィルスや最近にとって非常に住みやすい環境となってしまうのです。そのため、浄化されていない胆汁が血液に混入してしまいます。これは体内の酸素および栄養素の循環の妨げとなり、血液中の胆汁が増えると目が黄色くなったり、脱毛の原因にもなるのです。
十分な量の塩水を飲まないと、胆汁の生成は増えます。余分は胆汁は体の問題を増長させてしまうのです。一部の人において塩水療法を始めたことによって下がった血圧が、再び上がってしまう原因は脂肪肝にあるのです。

肝臓と胆嚢を洗浄するために、昔から知られている簡単な方法があります。有能な人の知恵を借りることで脂肪肝から開放されることが可能となるでしょう。ここではその方法は説明いたしません。なぜならば、これだけで本が一冊かけるほどの題材であるからです。方法だけを紹介することは無責任な行動となってしまいます。仕組みを理解せずに行われる作業は期待していない結果につながります。そのため、これについては経験のある人の助けを借りながら、脂肪肝を克服することをお勧めします。

水を飲む前に、水に愛を伝えなさい

日本の読者の皆様、この本を読んでいただき本当にありがとうございました。
2011年、日本を津波が襲い原子力発電所の重大な事故がありました。この問題は日本人だけでなく、世界中の人々のリスクを再認識させる出来事でした。原子力は世界中に散らばり、企業はそのリスクを利益に変えています。また、世界中で使われる携帯電話、無線電話、電子レンジがもつリスクを多くの人々は気づかずにいます。
生命は、生物にふさわしい周りの環境の中でのみ存続するわけですが、その周りの環境が日に日に厳しいものへと変異しているのが現代社会の実情です。
この中において、「塩と水」は大きな役割と力を発揮するはずですが、自らが毎日口にする食物とそれを取り巻く環境に意識を払い、その環境を他人任せにしないことが今、私たちには求められています。
自然界では結晶がエネルギーを集めます。これらの結晶のうち二つは特に太陽光エネルギーを集めます。その二つとは水と塩です。生物はエネルギーの集合体であり、水と塩から成っています。そう、水と塩で構成されているのです。なんとすばらしいペアなのでしょう。そう思いませんか?歩くことができ、話すことができ、怒ることができ、愛することができる塩水を想像したことがありますか?そう、それはまさに人間なのです。

心があるのは私たち人間だけでしょうか!?私たちを構成している水や塩に心はないでしょうか?私たちに知能があって、水や塩にはないのでしょうか?私たちは水にも塩にも心や知能のようなものがあると信じています。

預言者ムハンマドが美しい言葉を残しています。
「水を飲む前に相手に愛を伝えなさい、彼はあなたを分かってくれます。」
そう、人に水をお渡しする前に愛をこめましょう。そうすることで、水をより神聖なものにすることができます。味も美味しくなることでしょう。なぜならば水は私たちの愛を汲み取り、飲む人にさらなるエネルギーを運んでくれるのです。

塩も同じではないでしょうか?

ここでは皆様に問いかけをして筆をおくこととしましょう。いつのときも、ずべてを語ることは正しいとは限りません。真の芸術とは、静寂を支配することなのです。

「私の目に宿る光が消えてしまわないように
水を一杯くれないか

私の心に宿る愛が消えてしまわないように
水を一杯くれないか

水を一杯くれないか
私の目に宿る光が失われないように
私の唇にある笑みが失われないように
私の中の自由と平和が失われないように
水を一杯くれないか

私は、あなたの隣にいるから美しくいられるのだ
あなたも私の隣にいるから
そして私は、愛が深まるほど美しくなるのだ」

ユージェル アイデミール
2011年9月6日 ドイツ ガイルドルフにて