百年の眠りから目覚めた幻の知花花織



【 知花花織とは 】
知花花織(ちばなはなおり)とは、沖縄本島の旧コザ市と旧美里村が合併した現在の沖縄市発祥の織物。過去二度の大戦で、全ての織物が焼失してしまったことやアメリカ統治、日本本土復帰など、激動の時代を迎えた沖縄で、織物技術の継承が進まず、完全に途絶えてしまった幻の花織り。100年後、一人の男の手によって復元された知花花織は、現在、指定文化財に指定され、各方面での活躍がめざましい。





二度の大戦で...

沖縄は琉球王国時代より、多彩で気品に溢れた多くの工芸品を生み出していますが、その中でも特に染織に関しては、宝庫と呼ばれるほど多くの技法が現存します。

ただ、知花花織においては、第一次、第二次と二度の大戦で、ほとんどの花織りが焼かれてしまったことや、その後のアメリカ統治、日本本土復帰など、激動の時代を迎えた沖縄において、織物技術の継承がうまく進まなかったことなど、さまざまな困難があった。

壊滅危機にある知花花織の染織技法を途絶えさすまいと、先人のあらゆる努力もむなしく、知花花織の歴史は、ついに、完全に途絶えてしまったのです。

沖縄は染織の宝庫
織り手そのものの感性

今に残る過去の知花花織は、かなり自由奔放なデザインが特徴で、織り始めから終わりまで、同じ模様の連続ではなく、思うがままに模様を変化させながら織られいますが、それには理由があるのです。

沖縄の染織のほとんどが、琉球王府への租税として、厳しい制度の下で創られていたため、織子の自由な感性で織られるということはありませんでした。

しかし「知花花織」は、そのような貢布としての制約はなく、村の祭りの衣装や晴れ着として、織り手そのものの感性が、そのまま反映されていたのです。

庶民に愛される織物ゆえの夢とロマンにみちあふれた花織が、完全に途絶えたことが残念でなりません。





立ち上がった一人の男

写真

知花花織発祥の地である旧美里村(現沖縄市)出身の幸喜 新(コウキ シン)氏。
以外にも、知花花織との出会いは、一枚の新聞記事。当時、美里花織(みさとはなおり)と称された織物が紹介されていて、幸喜氏の生まれ育った美里の地名が付された織物の存在に強い衝撃を受け、後の琉球大学大学院で修士論文の研究テーマ「旧美里村における経浮花織技法の調査・研究および復元」で、本格的に、知花花織の研究が幕をあけることとなる。

美里花織(みさとはなおり)とは、どのような織物なのか。美里とは沖縄市の美里地域を指したものなのかなど、手がかりの少ない中のスタートだったと言う。



家宝として守られてきた知花花織との出会い

知花花織の歴史が途絶えて100年の月日が経過した今。
花織技術を知っている人も現存していない状況の中、
完全に途絶えた歴史を復活させるのは容易ではない。

それでも、僅かな情報の中からスタートし、信頼関係を築きながらの涙ぐましい努力。繰り返しの地道な聞き取り調査を行った結果、戦時中、家宝として守られてきた知花花織を見せてもらうまでにたどり着いたそうです。

100年以上の時を経て、目の当たりにする知花花織の技術力の高さと美しさに、強い衝撃を受けた事を、今でも鮮明に覚えているそうです。

知花花織の技術力の高さ

「無」から「有」に変えたいと願う瞬間
織機

また、知花花織を身にまとい五穀豊穣を願う祭祀(知花ウスデーク)との出会いも忘れられない。戦中戦後を通し、一時途絶えていたウスデークは、知花の女性達により、戦後いち早く復活したそうですが、さまざまな障害を乗り越えることが出来ず、その後、完全に途絶えてしまったようです。

知花花織の復元とウスデークの復活。単なる一個人の研究で終わることなく、地域のために貢献できることとして、たとえ一人でもこの仕事をスタートさせたい。それは「無から有に変えたいと願う瞬間だった。」と幸喜新氏は言う。
その後、沖縄市市長をはじめ、多くの支援者の尽力により、ついに、100年の眠りから目覚めさせることに成功した。




五の四までも

いつの世までも永遠にあなたへの愛は変わらない




職人の真剣勝負

1日の生産量わずか数十センチ

1694本の緯糸を1本1本手作業で綜絖に通される

いくつもの工程を経て、織り上げられる同花織りは、1694本の緯糸を1本1本手作業で綜絖に通される。

織り機に準備するまでに「約2週間」を費やし、織れる量は「1日にわずか数十センチ」と地道な作業の繰り返しにより、ようやく形として表れる織物の仕事は、相当な根気や忍耐が必要とされる。

タンタンと快調に聞こえる機の音ですが、1通たりとも気が抜けない、職人の真剣勝負なのです。

100年の眠りから目覚めた幻の花織、受け継ぐ職人の技(匠)をご堪能下さい。





歴史を刻む沖縄のおばぁ

臼太鼓(ウスデーク)


【 知花花織の今 】
現在、知花花織の復元は、「知花花織復元作業所」にて行われており、デザイン、琉球藍の染色技術と管理、色糸の染色、絣括り、製織など、技術の錬磨と研鑽に情熱を注いでいる。 また、自由な感性で織られた知花花織は、他地域の織物と比べ、独自性に富み、貴重な民族文化財とされ、沖縄市指定文化財に指定されるまでに評価される。今後も、各方面での活躍が期待されています。