マルニ木工創業ストーリー

マルニ木工の始まりは昭和3年5月22日。

創業者である山中武夫氏は、広島県の宮島で木を用いた伝統工芸がまるで手品のように自在に形を変えていく「木の不思議さ」に魅了され、マルニ木工の前身である昭和曲木工場を設立。当時としては技術難度の高い「木材の曲げ技術」を確立したのです。

その後それまで手工業の域を出なかった日本の家具工業に対して「工芸の工業化」をモットーに、当時ほとんど行われていなかった「職人の手によらない分業による家具の工業生産」を目指しました。

昭和8年6月19日。
昭和曲木工場は当時ライバルであった沼田木工所と合併。

株式会社マルニ木工の誕生です。
2つの輪が繋がった当時の社章には、ライバルであった昭和曲木工場と沼田木工所が「手を握りあって、力強く前進していこう」という強い願いが込められていました。

社章が示す輪は「和」を意味し、メーカーであるマルニ木工とお客様との絆を深め、関係を大切にしていくということも意味しています。

そして戦後、木材の人工乾燥技術の研究開発を始め、高度な木工加工表現のため新技術を開発導入。「技術のマルニ」と評される礎を築きました。一品生産の高級品だった彫刻入り家具の工業化に成功し、1968年に開発した「ベルサイユ」は日本の洋家具史上最大のヒットとして今も知られ、日本の代表的ブランドになると同時に、伝統的な美しさを生み出す良質な家具メーカーとして成長したのです。

「みやじま」の誕生

1960年代のロングライフ製品を復刻生産する「60VISION(ロクマルビジョン)」に参加して立ち上げた新ブランド「マルニ60(ロクマル)」。

復刻第一弾となったのが、1960年(昭和35年)発売当初からロングセラー商品として人気を博したリビングソファ「No.79」(後にアームの形が広島県宮島にある厳島神社の大鳥居をモチーフにしたことから「みやじま」に呼び名を変更)

みやじまの誕生を語るには、ある男性の話が欠かせません。
1959年、アメリカのミッションファニチャー社は日本との取引相手を求めていました。日本に派遣されたグッドマン氏は、東京を中心に各地のメーカーを打診したものの、彼の満足する企業は見つけられず失望して帰国しようと考えていたのです。

しかし、帰国の直前に広島にあるマルニ木工の存在を知り、広島本社を訪ねたところ予想以上の工場の大きさと技術に驚き、マルニ木工との取引が始まりました。

その当時彼が持ち込んだ「DA-1」と呼ばれるノックダウン(組み立て)式のアームチェアこそが、当時No.79と呼ばれていた「みやじま」。現在のオークフレームチェアの原点となったのです。
当時の造形はそのままに、座り心地や使い勝手を改良し2006年に新たな息吹が吹き込まれた「オークフレームチェア」シリーズ。

「天然木の風合いをいかしたナチュラルな塗装」「美しいアームトップの仕上げ」「外からボルトが見えないデザイン」等、熟練の職人の技術で美しく、機能的なデザインに仕上げられたオークフレームチェア。

グッドマン氏によって持ち込まれた「DA-1」の遺伝子も引継ぎ、4本のボルトをとめるだけで女性でも簡単に組み立てが出来る「ノックダウン式」の姿も変わりません。

「60VISION(ロクマルビジョン)」とは?

1960年代、日本にマーケティングという概念が今のように浸透する以前、日本のメーカーは消費者のニーズを伺うよりも、自分たちが作り提案したい「世界に通用するスタンダード」を情熱を込めてつくっていました。

品質はもちろん、デザインで人々の生活を豊かにしようと意識の高いものづくり企業が多く誕生し、実際にSonyやHONDAなど世界的な評価を受ける高品質でユニークでデザイン性の高いものづくりの時代でした。

この頃に誕生した製品にはシンプルで品質が良く、普遍的なものが多くあります。しかしこれらは戦後復興から高度経済成長期ヘと突入する時代の激流の中で、また消費の多様化により次々と生み出される「新商品」に埋もれ、やがて役目を終えるようにほとんどが廃盤となっていきました。

創業者から3代目の今、ものづくり低迷期のその原因は「原点」を捨てた低価格大量生産競争。これからの時代にものづくりを続けるために「原点」の見直しがブランディングに必須と考え、しっかりとした「企業原点」と「原点商品」を持った会社と一緒に販売しながら、企業の魅力を伝えていく活動として「60VISION」は発案。

1960年代に生まれた素晴らしい商品達を、その商品に込められた企業のものづくりへの思いとともに掘り起こす「ロングライフデザイン」のブランドです。

代わり続ける時代だからこそ、変わらない価値、変わらないデザインと生活する。
日本の本物をつくった企業だけが集まれる仕組み、それが「60VISION」なのです。

1990年代以降の市場経済変化に対応するうちに、ともすれば「美しい家具を」という思いが風化してしまいかねないことに強い危機感を抱いていたマルニ木工。

創業以来、木製洋家具作り一筋に進んできたメーカーであり、それだけに「木」を知り尽くしたマルニ木工が作るべきものとは何か。そこで始めたのが原点回帰の取り組みでした。

「60VISION」に参加し立ち上げた新ブランド「マルニ60(ロクマル)」の復刻第一弾となったのが、1961年発売開始から1977年までロングセラー商品として人気を博したリビングソファ[No.79」。オークフレームチェアの原点です。

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