/ 広瀬歴史記念館・広瀬公園

幕末明治期に後の住友グループや大阪経済界発展の礎を築いた広瀬宰平の旧邸宅跡

日本の近代産業を育成した広瀬宰平の足跡を通して、新居浜市の生い立ちと日本の近代化の歩みをたどる施設です。この施設は、展示館と明治時代に建築された旧広瀬邸の二つから構成されています。展示館では、別子銅山を通じて、日本の近代化に貢献した住友家初代総理事広瀬宰平の活躍をみることができます。旧広瀬邸の母屋は明治10年、新座敷と庭園は明治22年に造られました。旧広瀬邸は伝統的な日本建築の様式をもちながらも、開国により西洋から輸入されたマントルピース、トイレ、板ガラス、避雷針といった新しい文化が見事に調和されています。平成15年5月、国の重要文化財に指定されました。

住所・交通アクセス

住所 〒792-0046 新居浜市上原二丁目10番42号
交通アクセス 新居浜駅から車で15分 / 松山自動車道・新居浜ICから車で10分

展示館

展示室入口にある現代の望煙楼と称した象徴空間では、南北に赤石連峰と燧灘の眺望を満喫することができます。 そして、別子鉱山鉄道の切通を再現したジオ ラマを抜けると、宰平の人生がいくつかのテーマ毎に映像や実物資料、パネルを用いて紹介されています。 叔父に伴われ9歳にして初めて別子銅山に赴いて以来、その経営維持に奔走し、採鉱・製錬や陸運の近代化を推進するなど、わが国殖産興業に尽力した宰平の姿がここにあります。 また、広瀬文化として、年2回特別企画展を開催しています。

旧広瀬邸(近代和風住宅のさきがけ)と庭園

母屋は明治10年に、新座敷と庭園は明治22年に建築・造園され、母屋二階の望煙楼と名付けられた部屋からは新居浜市を一望することができます。 邸宅は 伝統的な日本建築様式を持ちながらも開国により西洋から輸入されたマントルピース、洋式便器、板ガラス、避雷針といった新しい文化が取り入れられており、 そのふたつが見事に調和しています。 そこに、西洋の進んだ技術により別子銅山を近代化した広瀬宰平の「遠大なる計画」と「進取の気性」の思いを垣間見るこ とができます。旧広瀬邸は、「別子銅山を支えた実業家の先駆的な近代和風住宅」として、平成15年に国の重要文化財に指定されました。

広瀬公園

広瀬公園は、別子銅山の近代化によりわが国の近代産業を育成し、住友グループの基礎を確立した広瀬宰平の旧邸・庭園を公園としたものです。