他地区よりも抜きんでているわけとは?
津軽の地域でワイン用ぶどうづくりが始まったのは1980年代ごろ。日本国内でワインの産地をつくりたいというサントリーの思いから始まった。そこで選ばれたのが青森県津軽地方の弘前市だった。
「弘前市は世界の銘醸地になりうるポテンシャルを持っている土地です」
と渡辺さんが語った。
「ひとつは気候、土地がいい。風土に向き合う『人』がいる。そういう人がいることが大事」
青森県は全国でも、4〜10月の降水量が少ない県のひとつ。その中でも、津軽の気候というのは、非常にワイン用ぶどう栽培に向いているという。また、土地にも非常に恵まれており、岩木山が噴火した際に積もった土壌が中心となっている。渡辺さんの経験から火山灰土壌で栽培されたワイン用ぶどうは豊かなゆったりした味わいを感じることができるという。
そして何よりも大切なのは『人』。気候と向き合っていく栽培者が大切とのこと。弘前市はりんごの生産量が日本一で知られる地域であり、その歴史は明治時代までさかのぼる。
「風土に代々向き合う人がいる、そういう人がいるということが大事。
りんごとワイン用ぶどうは違うが、果樹であるりんごを栽培している素地があるということはワイン用ぶどうづくりのアドバンテージになる」
津軽には気候と向き合う人がいること、果樹栽培が根付いている環境が当たり前になっている。このことを渡辺さんはすごいことだとおっしゃった。
「他の地域から見ると当たり前ではないことが、当たり前のようにこの地に溶け込んでいる。 もちろん、りんご産地としてとても素晴らしい地域なんだけど、ワイン用ぶどうも発展の余地がある。ワイン用ぶどう栽培には30年の歴史があることから、これから世界の銘醸地に肩を並べるような産地にしていきたい。その可能性が十分ある。だから弘前市を選びました」
サントリーのコンセプトは
「フロムファーム〜水と、土と、人と〜」
全ては畑から始まり、畑は水と土と人でつくられる。弘前市にはそういった情熱や愛情を持って土地と向き合う人々がいる。
弘前市のワイン用ぶどうづくりのパイオニア・太田さんにお話を伺った。
「若い頃は東京でサラリーマンをしており、東京で骨を埋める気でした」
そんな中、農家をしていた父親が亡くなり農家を継ぐことになった。
30歳の時に農協の理事となってからは、様々な土地のりんごを食べる機会があった。
「そこで当時の担当者や仲卸の関係者から全国のりんごの中で岩木町(現在は合併し、弘前市)のりんごが一番おいしいと言われてりんごは岩木町なんだと思いました」
サラリーマン時代からワインには興味があったという太田さん。ある日、サントリーが青森県津軽地方でワイン用ぶどう農園を増やすという話が太田さんの元に届いた。
「弘前市のりんごが日本でトップだったら、ぶどうでもトップをとれるんじゃないか」
そう思った太田さんはワイン用ぶどうづくりに参加した。当時30人ほど集まった農家の中で現在まで続けているのは太田さん含め2人に。
「辞めるのはいつでもいいからと思って続けていたら、気づけば39年になりました」
風土と向き合いぶどうづくりを続けた結果、「サントリージャパンプレミアム津軽産ソーヴィニヨン・ブラン」が国内のワインコンクールで3年連続金賞を受賞するなど、高い評価を得た。太田さんは「りんごが私を支えてくれた」と教えてくれた。
津軽はりんごで果樹栽培の素地があった。
そのりんごが全国で評価されていたからこそ、今の津軽ワインに繋がる。
最後に太田さんは夢を教えてくれた。
「私の夢は日本のトップというよりも、地の利を活かした世界トップのワイン用ぶどうをつくることです」
〜水と、土と、人と〜」を
行動原理とするワイン用ぶどう栽培のこだわりとは
太田さん
「自然のあるがままにぶどうをつくっているだけ。ここの土地や風土を生かす。変な小細工はしません。病気には特に神経を使っていますが、あとは、自然体でつくっています」
ワイン用ぶどうづくりの行動原理は至ってシンプル。
「フロムファーム〜水と、土と、人と〜」だ。
凝縮した味わいを持つ本当に美味しいワイン用ぶどうをつくるために、「この土地の特長をどう引き出していくか」を考え、津軽の自然を活かした栽培を行っている。津軽の自然。農作物を育てるにあたって外せないのは『岩木山』だ。
日本海側から冷たい風が吹くとぶどうの木が凍害で枯れたり、芽の生長が悪くなるというリスクがある。しかし、青森県最高峰である岩木山がある程度の風をさえぎってくれることでこれらのリスクを防ぎ、良いワイン用ぶどうを収穫することができる。また岩木山の火山灰で構成された土によって、ワインは豊かなゆったりした味わいになる。ではこの「ゆったりとした味わい」とはいったいどういったものか。その特長を渡辺さんから教えていただいた。
渡辺さん
「ゆったりした味わいと聞くと、南の方かと思われるかもしれませんが冷涼なエリアのため、ワインがクリーンかつピュアな味わいで、全体を支えていくような酸味があります。ゆったりした甘さはあるけど、さわやかな酸味が存在することが、このワインの特長です。りんごを栽培している素地があることがどこまで影響しているのかわかりませんが、やっぱり香りにりんごの甘やかなニュアンスをほのかに感じるんですよね。これも、この土地の特長って言っていいんじゃないかな」
全てを、この畑から。この特長をいかに表現していくかを常に追及することがこだわりだった。
今後について
津軽のワイン用ぶどうづくりの今後について、次世代の担い手である木村さんにお伺いした。
木村さんは3年前までは会社員であったが、現在はもう一人のワイン用ぶどう栽培のパイオニアでもあるお父様からサポートを受け、ワイン用ぶどうを栽培されている。また、ワイン用ぶどうの産地化を目指すため、新規生産者、生産希望者との情報交換や栽培勉強会にも積極的に取り組んでいる。
「仲間が増え、互いに競合し続けることで、いつかは世界で勝負していきたいです。現在ワインづくりに関わっているのは10人くらいかな?今後20人30人と増えていき、ワイナリーの実現、産地化するのが目標です」
ワインを飲む際に津軽の風土と人を感じていただき、『津軽のワイン』だと認識してもらえるような産地にしたいという。そのために、様々なつくり手が津軽の地でそれぞれ魅力あるワインをつくり、そのワインをまずは地元の人、日本中の人、そして世界中の人に飲んでいただき、購入してもらいたいという。
「地元が盛り上がって、弘前に興味を持つ人増えていって、山梨みたいなレベルになりたいなって思うんですよね」
ワイン用ぶどう栽培は大体が梯子を上らずに作業できるため、歳を重ねてからでも管理ができるという特長がある。 木村さんによると、若い人達にワイン用ぶどう栽培について話すと多くの人が興味を示すそうだ。
「ワイン用ぶどうって50年100年が普通なので、私たちが生きている間に土台が出来ればいいなと思うし、その次の世代の子供達が、その上を目指すのも面白いと思います。全て私たちが進めてしまっても、次に取り組む人たちにとって面白みが無くなってしまう。まずは私たちが取り組むことのできる範囲で面白いことをやればいいし、後は次の世代の人たちが取り組んでほしいなと思います。人がすべて。全てなのですよ」