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数あるツイードメーカーの中でも、「シャネルツイード」で知られる
イギリスの老舗ファンシーツイードメーカー、リントン社。

1912年、スコットランド人のウィリアム・リントンが、スコットランド
との県境にあるイギリス北部、カンブリア州カーライルに、「リントン・
製造工場」を創設したのが始まりです。

 

設立当初は、たった2人のセールスマンとポニーで湖水地方を周り、
ウール原料を仕入れては、毛織物にしたスーツ着分を売り歩いていま
した。

1920年代、リントン社にとって、歴史的な出来事がありました。
ウィリアム・リントンは親友の一人の洋裁家から、生き生きと力強い、
若きフランス人ココ・シャネルを紹介されたのです。

以降、年月と共に取引関係は発展を続け、大手メゾンの一つである
「シャネル」がリントンの最上かつ最も名声のある顧客となりました。

時は流れ、リントン社のツイードは「上質」の代名詞となり、その極めて
美しい生地は、パリのキャットウォークでの常連とまでになりました。

これは、アメリカでの大きなビジネスへと繋がりました。

アメリカでは、シャネルの様なパリのクチュール・メゾンの発表する
作品を参考にした既製服作りが盛んな上、シャネル御用達であるリントン
の生地に多大な注目がありました。

30年代から50年代に掛けて、リントンの娘であるアグネス・リントンは、
生地サンプルで一杯にしたトランクを携え、船でアメリカへ渡りました。

戦争以外では、アメリカでのビジネスは大変上手く行き、リントン・
コレクションは毎シーズン、僅か10から12の特権階級の顧客に披露
されていました。

50年代には経営者はアグネス・リントンからその甥へと代が変わり、
リントンはその栄えある成功を続けていましたが、1963年にはリントンの
ビジネスにも陰が見え始めました。

 *スコットランドやヨークシャーにある何百もの企業と同様、その
  時点においてもリントンはまだウール100%の生地を生産して
  いましたが、より安価な商品を生産出来るそれら大手企業との
  競争は激しいものでした。

 *アメリカでの成功によって、生産された商品の実に85%はアメリカ
  へ輸出されており、全てをアメリカの市場に頼っていました。

  その為、67年に起きた7番街での労働組合のいざこざに影響され、
  リントンの顧客が廃業に追い込まれた時には、リントンは壊滅的な
  ダメージを受けました。

経営者の代が変わり、様々な人の入れ替わりを経たリントンには、忠実
で真面目な従業員がいましたが、100人以上を解雇せざるを得ない状況
になっていました。

そんな中の1969年、63年にマネージャー兼デザイナーとして入社した
レスリー・ウォーカーが経営者トップを勤める事となり、リントンの
新しい時代の始まりを見ました。

 *新しい手作りのエキゾチックな糸が取り入れられ、デザインを
  引き立てました。

 *新しい機会を導入し、独自のファンシーヤーンを作り始め
  ました。

 *新しい糸染め技術が取り入れられ、色の幅が広がりました。

 *伝統的な後染め生地は新しくデザインし直され、軽量化され
  ました。

 *新しいコレクションが今正に市場へのデビュー待ちです。
  リントンの支持と忠誠に支えられ、レスリーは今ビジネスを再生
  し始めました。

 *新境地としての日本へ行き、日本人がシャネルで使用されている
  生地にとても興味を持っている事を知りました。

 *今は業界を去った顧客を埋める為、アメリカとカナダへ出向き
  ました。

 *クチュールメゾンが既製品を発表し始めた事によって、無駄の
  多かったパリのクチュールビジネス界が今や実を結び始めました。

ビジネスは序々に拡大を見せ、充分な顧客を開拓した事によって、1991年
には輸出産業において名誉あるクイーン・アウォードを受賞しました。

リントン社は発展を遂げ、益々冒険的になっている現代の高級服業界に
おいて、そのニーズに応えるべく商品の幅を広げ、邁進しています。

高級ブランドのデザイナー達は、ユニークな生地を求める中、まだ誰も
使った事の無い素材や斬新な素材を使用し、世界中の多くの国の
キャットウォークに現れる事によって賞賛されるのです。












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