Twitterでバズった元店長【ハリー中野】の宝石ブログ
ナスターシャの瞳 キャッツアイ
今月の7日、ハリウッドの俳優ディーン・ストックウェル氏が85年の生涯を閉じました。
彼は幼少の頃より子役として活躍し、大人になっても、数多くの映画に出演し、名脇役として存在感のある演技でその出演作に深い色どりを添えてきました。名前は聞き覚えが無くてもそのお顔を見ると、あーっ知ってるって方も多いかと存じます。
その数多くの出演作の中でも、特にわたくしの印象に強く残っていますのが、ドイツの巨匠ヴィム・ヴェンダース監督の名作「パリ、テキサス」の中で演じた、主人公トラヴィスの実直な弟役。
「パリ、テキサス」というこの映画、実は私の好きな映画ベスト5にも入るのでございますが、1984年製作とありますから、まあ毎度の事ながら古い映画の話で恐れ入ります。
映画のストーリーは、4年前に若い妻と幼い一人息子の家族を捨て去り失踪した男、トラヴィスがテキサスの砂漠で行き倒れになっているところを発見されるところから始まります。その所持品から身元が判明し、実の弟つまり、亡くなったディーン・ストックウェル演じたウォルトの元に連絡が入ります。
ウォルトは早速とる物もとりあえず、車で自宅のロサンゼルスから遠く離れたテキサスまで兄を迎えに行きます。しかしこのイカレた兄貴、なかなか一筋縄ではいきません。弟と再会した当初はまったく口もききません。
さらに何度もウォルトの元から逃げ出そうとするのです。しかも仕事を抱えたウォルトが時間の節約にと、飛行機に二人で搭乗しようとすると、その飛行機からも逃げ出す始末。まあなんとか苦労の末、長い道のりをようやくウォルトの自宅にまでたどり着くと、そこには4年前に捨てたトラヴィスの一人息子がウォルト夫妻の子供として育てられています。
しかし実直なウォルトは本当の父親が見つかったからにはと、我が子の様に慈しみ育てている妻の反対を押し切り、その息子に真実を告げ、何とか二人の親子の絆を回復させようと色々苦心いたします。
さて、その甲斐あってか、親子の絆を取り戻した親父と息子は、ウォルトの妻からの情報を元にヒューストンに居てるらしいという二人の妻であり母であるジェーンを探す旅に一緒に出かけます。
その間、色々あってドラマは複雑に展開するのですが、結局家族は再び巡り合い、誤解は解け、ようやく家族の再出発と言う段になって、この駄目親父トラヴィスはまたまた姿をくらまし、THE ENDとなる結末。ハッピーエンドと思わせてのこの不条理な結末。
そして映画全体を通してバックに流れるライ・クーダ―の何とも切ないスライドギターの音色。そしてこうしたロードムービーの見どころ、アメリカ中西部の様々な幻想的な、目を見張るような美しい景色。そしてその若く眩いばかりの美しいさゆえに、老いたトラヴィスに逃げ出さずにはいられないほどの激しい嫉妬心を起こさせた妻役が、まさに適役と言えるナスターシャ・キンスキー。
とまあ魅力満載の映画ですが、なにぶんわたくし経験不足ゆえ男女の愛に関してのコメントは差し控えさせていただいて、今回取り上げたいのはこのトラヴィス兄弟の愚兄賢弟ぶり。
と申しますのも、私事でまことに恐縮ですが、手前ども兄弟もまったくこのトラヴィスとウォルトのような典型的な愚兄賢弟の兄弟、つまりアホな兄貴に賢い弟という組み合わせなのでありまして、いつも弟に世話や迷惑のかけっぱなしな愚かな兄こそが、誰あろう、かく申す私なのあります。別に威張らいでもええがな。
以前にもブログで少しご紹介した通り、マンガ家になるだのロックギタリストになるだの、若い頃から全く地に足のつかない夢まぼろしを追いつつも、ただ漫然と日々を過ごし、結局人生何事をも成しえず、今日いまに至った愚兄の私。
それに引きかえ、弟は幼少よりこつこつと真面目に勉学に励み、優秀な成績を納め、名のある大学に進学したうえ、堅い会社に就職し、定年まできっちり一つの会社で勤めあげ、今でも某大学の職員として勤勉に勤めているしっかり者。
昨年の母親の死に際しても、葬儀その他もろもろから、後のややこしい整理全般も全て一人で引き受けてやってくれたのでございますから、愚兄はまったく面目なく、頭が上がりません。
という訳で今回のディーン・ストックウェル氏のご逝去に際しては、何やら弟と重なるような人物の役を演じられたせいもあり、ご冥福を祈らずにはおれません。更には我が実弟におかれましては、いつまでも頼りがいのある賢い弟でいてくれるよう、その健康長寿をば祈らずにはおれません。
さて、という事で本日のご紹介は、失踪おやじトラヴィスの美しい妻を演じましたナスターシャ・キンスキーに因みまして、キャッツアイの指輪でございます。
ナスターシャ・キンスキーと言えばその猫目顔からキャットピープルという西洋版化け猫ストーリーの映画に抜擢された事でも有名。
化け猫と言いますと本邦では、鍋島の化け猫騒動が有名でございますが、その他にも「ゲゲゲの鬼太郎」に鬼太郎の彼女として登場するねこ娘。この化け猫、日本では結構ポピュラーな妖怪なのですが、西洋の方でも、古くから化け猫は生息しているようで、こ奴らはキャットピープルと呼ばれるそうでございます。
さて、ナスターシャ・キンスキーが演じたキャットピープルの女性は人間の男性と愛し合うとなんと豹に変身し、その相手の男を食い殺さないと元の姿には戻れないという呪われた身の上。
いやーこない綺麗な女性とやったら食い殺されても本望やけどなー、ワシやったら。
ええ歳こいてアホな事いうとったらあかんでアニキ!
あっ!弟の声や。マズい、また叱られた。
という訳で、こちらにご覧いただいておりますのは、キャットピープル、ナスターシャの眼窩で燦然と妖しい光りを放っていた瞳と瓜二つ、まさに金色に輝くキャットピープルのキャッツアイでございます。
キャッツアイと一言で申しましても、実際にはこれは宝石における猫の目状を呈する光の特殊効果の総称でありまして、こうした猫の目模様が出る石は、その石の種類にかかわらず全てキャッツアイなのでございます。
ただその中でも、このクリソベリルという宝石に浮かぶ猫の目が何と言ってもキャッツアイとしての評価が断然高く、人気も一番。なぜなれば、ご覧の通り、この宝石は妖しく光る猫の目そっくりそのままだからなのです。
ただし、その中でも良し悪しの評価が分かれるのは他の宝石と一緒。クリソベリルキャッツアイの評価のポイントは何と申しましてのこの真ん中の瞳にあたるラインがまっすぐ、途切れることなく上下端から端までスッと一本、まっすぐに通っている事が重要。
ホームページの写真でご確認いただけますよう、実物は本当に途中で瞳が切れて三白眼になることもなく、ぴっしっとした、食べられてもかまわない、いや、食べられたいほど魅力的なナスターシャの瞳を呈しているのでございます。
さて、愛し合った男を食い物にしている世の多くの奥様方よ、さらに多くの恩恵がご主人から授かりまする様、キャットピープルの守り石クリソベリルキャッツは要らんかね?
芸能人が歯が命、ダイアモンドはカットが命
最近ではテレビやインターネットの普及によって地方色、ローカルカラーというものがどんどん薄れてきております。特にお国訛りなどといった、その地方独自の文化が育んだ情緒ある、その土地ならではの方言が消えていくのは寂しいかぎりでございます。
例えばテレビの人気番組、所ジョージの「笑ってこらえて」のダーツの旅や、笑福亭鶴瓶の「家族に乾杯」などで、全国津々浦々、どこの地域にまいりましても、若い人たちは大体が標準語でインタビューに対応をしております。
ただ、そういった時代の趨勢に取り残され、標準語化が最も遅れているのが大阪。関西漫才の全国的な人気を盾に、若人達も普通に大阪弁でインタビューに対応しておりまして、中には調子に乗って、「なんでやねん!」などとツッコミを入れてくる輩もいる始末やから始末に負えん。
まあ、そうは言ってもやはり私の子供時分に比べますと、大阪弁もかなりその濃度が薄まってきているのもまた事実。
「河内のおっさんの唄」という唄が昔流行りましたが、この唄、その歌詞全編が大阪弁の中でも特にガラの悪いとされている河内弁で構成されております。この唄、このガラの悪さが当時世間にウケて、大ヒット致しまして、なんとヤクザも恐れぬ東映ピラニア軍団、川谷拓三氏主演で映画にもなったほどなのでございます。
わたくしがご幼少のみぎり、まだ小学生低学年の頃、兵庫県宝塚市から大阪府は河内市へと引っ越してまいりました。現在、この河内市は隣接する二つの市と統合され東大阪市となっておりますが、当時は堂々と河内と名乗るほどですから生粋の河内、中河内、本河内、マジ河内。
さて、越してきて早々、近所の田圃に幼いわたくしと弟が網なんぞ携えて蛙を取りに行ったおり、ちょうどそこへ通りかかったその水田の持ち主であろう農夫が幼い兄弟にこの様な言葉を投げ掛けたのです。
「おんどれら、どこどのがっきゃ、おーっ?」
これを直訳すれば「君たちはどちらのお子さんかな、ねえ?」くらいの事で、何という事もないのでありますが、乙女の聖地、お上品な宝塚育ちのやわな幼子にとっては、まるでナマハゲの恫喝の様に聞こえ、たちまち憐れ幼子兄弟は手に手を取って泣き出してしまったのでありました。ホンマモンの河内のオッサンの迫力たるや物凄いものがありましたねー。
しかしえらいもんで、小学校から大学卒業間際までその地で暮らしておりますと、もうそこはウサギ美味しい古里。河内がバッチリ身に沁み、もう生粋の河内っ子と何ら変わらぬようになるもので、卑猥な冗談を女の子に投げかけては顰蹙を買い、それに喜びを見出すような立派な河内の兄ちゃんに成長を遂げたのでございます。
お陰で心斎橋の老舗宝石店に就職した際には「君、なんか言葉遣い汚いよ。客が買ぉーていによりましたて、そんな言葉お客さんに使こたらアカンわ、お買い上げ頂きましたや、気を付けなさい、高級品を扱うお店やねんから下品な言葉遣いはあきませんよ」などとよく咎められたものです。
さて、古典落語の中には今では滅多に、というか全く滅びてしまったような言葉がいくつも出てまいりますが、その中にあって飛びきりガラの悪い言い回しが出てまいりますのが、家族に乾杯、駆けつけ三杯の笑福亭鶴瓶師匠、のさらなる師匠、名人六代目笑福亭松鶴が得意としておりました「らくだ」というお噺。
この「らくだ」というお噺は元々が関西落語の演目なのでございますが、今では東京でも多くの噺家さんが演じられる人気のお題。
さてこの題名の「らくだ」ですが、このらくだは何も動物園にいてる月の砂漠からはるばる連れて来られたあの動物のラクダではありません。図体ばかり無駄に大きいが定職にも就かず、人を脅したり、商店の商品をかっぱらったりしながら、家の家賃すら払わぬ傍若無人な暮らし向きをしている横町の鼻つまみ者が、その巨体ゆえにラクダというあだ名で呼ばれております。
お噺は、この街の鼻つまみ者のらくださんが、フグの毒に当たって死んでいる場面から始まります。噺の題の主人公がのっけから死んでいるというのもけったいな話ですが、この死体が後々噺の中の重要な小道具となるカラクリ。いや大男やから大道具ですかな?
さて落語の方はこのらくだの兄貴分、ヤタケタの熊五郎がこのらくだを訪ね、その長屋を訪れ、その死骸を発見するところから始まります。
おうッ! 卯之よッ! ラクダッ! けつかれへんのか? おいッ……!
ハハぁ、まだどぶさってけっかるねんな……、おい……!
やっぱりそや、どぶさっとぉる……、どやこれ、よぉこんな器用などぶさりよぉさらすで、
敷居枕に足庭へ放り出しやがって……、何ちゅうざまや。おいッ! 卯之ッ!
ラクダッ! 起けぇ! あッ!!
何じゃい……! どぶさっとぉる思たら、ゴネてけつかる。
枕元にかんてき(七輪)が置いたぁって、鍋が掛かったぁる。あたりに骨がぎょ~さん散ら
ばったぁる……、そぉか……、ゆんべ日本橋で会ぉたときフグぶら下げて歩いとった
「旬はずれのフグみたいなもん食ぅたらえらい目に遭うで」言ぅたら
「そんなもん、だいじょ~ぶや」言ぃやがったけど、
さてはあのフグ食らいさらして当たりやがったな……
【上方落語メモ第1集】その三十一より
さあ、いかがでしょう、この小気味よいまでのガラの悪さ。
噺が進行して行きますと、この兄貴分の熊五郎が博打ですって無一文という状況が明きらかになってまいります。それから察するに彼は博打打ち、すなわち渡世人、つまりはヤクザ。そのいかつく、コワモテな人物像を演出するためのガラの悪さなのでありましょう。
あまりのガラの悪さゆえに、よく理解できない、とくに関西以外の方には、もはや外国語並みや思いますので、解説を少しばかり。
最初、卯之よッ!と呼びかけてますがこれはラクダさんの本名なんでしょう。その後の<けつかれへんのか?>これは<居てないのか?>。
そして次の<どぶさっってけっかる>凄いですね!これは<どぶさる>は<寝る>、<けっかる>は先ほどの<けつかれへん>の肯定形<居てる>ですから、二つが合わさって、<寝ている>となります。また<器用などぶさりようさらすで>は<器用な寝相をしてるものだなー>ですね。
さて次のフレーズがまた凄い<どぶさっとぉる思たら、ゴネてけつかる>。ゴネるといいますと、普通は不平不満を言う、文句をつけるというほどの意味でございますが、この場合は死ぬという意味でつかわれております。ですからこのフレーズは<寝てると思ったら、死んでいるではないか>という事になます。
次の<ゆんべ>というのはゆうべ、昨夜ですね。さて、最後は大体検討がつくとは思いますが、<あのフグ食いさらして、あたりやがったな>は<あのフグを食って、あたったのだな>普通に言えば良いところを<さらして><やがった>が入ると断然強力になりなす。これらは河内の喧嘩、脅しの常套句としてよく耳にするフレーズ。「ワレ、なんさらしてんねん」「メンチ切りやがったな」怖いですね。
さて、この「どぶさる」も「ごねる」も大阪とはいえ今ではまあ使う人もおりませんし、その意味をご存知の人も少ないでしょう。現代の落語家さんはどうなさっているのでしょうか?やはり分かり良い様に現代語訳でやっておられるのでしょうか?それもまた味気ない事ですな。
さて、方言ではございませんが、どのような業界にもその業界ならではの独特の言い回し、「業界用語」というものがございます。宝飾品業界にも実際一般の方が聞いても分らない語句が結構ございます。
例えばダイアモンドに関して。ピケ石という言葉があります。これはダイアモンドの内包物が肉眼で確認できるほどに多く目立つもので、グレードで言うならばI1クラス以下の、ざっくばらんに言いますとキズ石のことです。
また、ゴロ石、スケ石というのもあります。これはダイアモンドの深さの度合いが理想から大きく外れているものの呼称で、ゴロ石は深すぎるもの、スケ石は浅すぎるものを指します。
ダイアモンドの輝きはそのカットに負うところが多く、理想的なダイアモンドの深さはその直径に対してだいたい60%くらいが良いとされ、この数値から大きく外れると輝きが落ちるのです。
例えばこの数値が大きすぎるという事は石が深いということで、ゴロ石となります。その様な石はダイアモンド内での光の反射が再び上部に戻らず、脇からあらぬ方向へ漏れて行き、結果見た目が全体に暗い印象になります。その見た目の印象からこの様なゴロ石はネイルヘッド(釘の頭)などとも呼ばれたりいたします。
逆に数値が60%を大きく下回りますと、深さの浅いダイアモンドということになり、スケ石と呼ばれます。これは言葉通りダイアモンドに入った光が底のパビリオン部分で反射されることなくそのまま透過してしまい、見た目ガラスかプラスティックのように透けた素材のように見えてしまいます。その透けた空虚な様子が、死んだ魚の眼の様な有様なのでフィッシュアイなどとも呼ばれます。
さて、こういったピケ石、ゴロ石、スケ石といったダイアモンドはどういった製品に良く使われているかと申しますと、大体が鑑定書があまり必要とされないネックレスやブローチなどの装飾品。
キャラット数と値段だけに惹かれ、こういった光らないダイアモンドを買わされている方はけっこう多いのでございます。
さて、そこへいくと当店一押し、ティファニーのバイザヤードペンダントのダイアモンドというものは実に素晴らしい。同じキャラット数の商品の枠の直径はほぼ全て同一のサイズ。つまりダイアモンドの直径がほぼ均一。したがって深さもそれのほぼ60%に統一されて同一。すべてが理想のプロポーションで統一されて一糸乱れぬ有様。製品によって当たり外れの出る事の無い徹底した厳しい品質管理。
もちろんキズ気の無いのは当然なんですが、このダイアのカット、プロポーションが何と言っても輝きの元。ここをおろそかにするとダイアの輝きは充分に発揮されません。さすがティファニーさん分かってらっしゃる!色、クラリティ、カットこの三位一体の優越こそがバイザヤードペンダントの最大の魅力の秘密なのでございます。
なんやワレ、ぱっとせんガラス玉みたいなモンぶら下げとる思たらピケのゴロ石やんけ。そんなもんダイヤはダイヤでも、ゴネさらしてけつかるようなダイヤやで。ワレ買おた時、どぶさってけつかったんちゃうんけ?それとも店員にたぶらかされたんちゃうんけワレ。ちゃんと目の玉ひん剥いてようモノ見て買わんとあかんどワレ。そこいくと、このティファニーのダイヤ見てみい。どや、眩しいやろワレ?これだけ光ってはじめてダイア云えんのじゃワレ。そっちのんもダイアには変わりはあらへんてか、アホぬかせワレ、それはネイルヘッド、つまりや、釘のドタマちゅーんじゃワレ、よう覚えとけアホンダラ、ボケ、カス、ワレ!
お後がよろしいようで。
超えられないプロの壁
マンガ界の巨星、さいとうたかを 白土三平 両先生続いてのご逝去、昭和のマンガ世代といたしましては大変寂しい思いでございます。
出来の悪かった子供時分、唯一成績の良かったのが図画工作。漫画好きという事も手伝って将来は漫画家になろうと心に決め、石森章太郎先生が著した「漫画家入門」という本を購入いたしまして、それを頼りに画材店を訪れ、ケント紙、ペン軸とペン先、墨汁、烏口など作画道具一式をそろえ、マンガを描く台まで材木で工作致しました。
さて、いざマンガを描く段となって、まず行うのがコマ割り。烏口を使って定規に沿ってコマの線を墨汁で引いていくのですが、これが思うように出来ない。まっすぐの直線が引けない、均等な太さの線が引けない。定規に墨が付着して定規を動かした途端、紙に墨の汚れがさっと広がる。何枚かケント紙を無駄にしたのち、すっかり嫌になって漫画作成はあっさり放棄。
いやはや我ながら諦めが早いというか、根気が無いというか。昔からちょっとした困難にぶつかると何でもすぐ放り出してしまう。そんなんやから長じて大成せんかったんも無理はない。老境に至りて後悔先に立たず、じっと手を見る。
しかし、言い訳するわけやないけど、実際マンガを描くなんて仕事は大変な難行苦行。場面のカット割りを考え。それに合わせてのコマ作成。この時点で既にアウトやってんね僕の場合は。
そしていざ作画の段になると人物は言うに及ばず、背景、乗り物、建物、動物、植物、宇宙船に宇宙人、そのストーリーに出てくるありとあらゆる物を描かないといけない、当たり前やけど。しかもそれらを同じタッチで描かねばなりません。人物はカリカチュアした、いかにもマンガチックなドラえもん風なのに、車はリアルなゴルゴタッチなんてのは許されません。
そして何と言っても話の筋、ストーリーというものを考えねばならない。映画で例えるなら製作、脚本、監督、配役、美術、衣装、小道具、メイキャップ、全部すべて一人でやらねばならないのですから、これはもう大変な作業。飽き性で根気の無いわたくしなどには到底できない過酷な仕事。早めに見切りをつけたのは賢明な判断だったのでしょう。
実はこの漫画家断念の判断が間違いでなかったと納得したエピソードがもう一つあるのでございます。
今勤務しております質屋の前に働いてました、これまた質屋。そこでも今と同じように小売販売を担当しておりましたのですが、ちょくちょくご来店くださり、時には、お目が高いと唸るような逸品を買って下さる、四十年配のご婦人がおられました。
この方、身なりは質素ながら、お召物の生地は高級素材、モノが良いのは明らか。佇まいもいたってお上品。
ただ、あまり生活感と言うものが感じられず、来店される時間帯もまちまちなので、いったい何をされている方か全く見当がつかない。主婦ではなさそうだけど、キャリアウーマンて感じでもない。眼鏡をお掛けになって色白、インテリっぽいからお医者さんじゃないだろうか、いやいや公認会計士、いや司法書士、いや不労所得で暮らしている独身資産家、などと店員同士でいろんな職業を挙げては、はしたなくも、あれこれお客さんの素性を詮索いたしておりました。
さて、そんなある日の事、突然お店に来られたそのご婦人、実は探しているデザインの指輪があるとのこと。なんでも偶然出会った見ず知らずの人が着けてた指輪が大層気に入ったらしく、同じようなものがないでしょうかとのお尋ね。
さて、どういったデザインの指輪かを尋ねるも、口頭でのやり取りではなかなか埒が明きません。
「じゃあ、ちょっと紙とペンお借りできますか」とのご要望を受けてメモ用紙とボールペンをお渡しすると、そのご婦人さらさらっと結構複雑なデザインのリングの絵をこともなげに、しかも実に見事な3D画像で描き上げたのでございます。
「こんな感じかな・・」とおっしゃる言葉も上の空。そのお描きになった絵の完璧な描写力に感心のあまり言葉も出ません。こちらも職業柄、プロの宝飾デザイナーが書いた指輪のデザイン画というものは、それまでにも何枚何十枚と見てきた経験はあったのですが、そういったプロが時間をかけて描いた完成図に全くひけをとらない、リアリティー溢れるラフ画を僅か1分足らずで描き上げられたのですもの。
なまじこっちも漫画家になろうか、進学にあたっては、芸大に行こうかなんて夢を膨らませていた、ちょっとばかり絵には自信のある身なれば余計その腕前の凄さが分かります。
そうなると、もうお客さんのご依頼より、その絵の方への興味が断然上回ってしまい、「あの、失礼ですがこの画、無茶無茶お上手なんですけど、てかプロ並みで正直ビビってますねけど、あの、ひょっとしてデザインとかそんな関係のお仕事されてるのですか?」思わず聞いてしまいました。
するとご婦人ちょっとはにかんだご様子で、「いえ、デザインなんてそんな高尚なことは、・・・実は少女漫画をちょこっと描いてるんです」
「ええーっ、漫画家さんですかー、ひぇーっ!これはお見それ致しました」
なにせこちらにとっては子供の頃の憧れの職業、野球少年だったオッサンがプロ野球選手に偶然会ったようなもの。
それからの会話はもうわたくし舞い上がってしまって、しどろもどろになり何をどう話したか全く記憶がございません。だだそのボールペンによる指輪のラフスケッチによって、プロとアマチュアの大きな隔たりをまざまざと見せつけられ、漫画家の夢を断念したのは正しい選択だったと大いに納得したのでありました。
さて、その様な完成度の高いラフ画ならば、その図面一枚を渡せば腕の良い職人さんは、その頭脳の中でキャド顔負けの立体設計図を組み立て、見事指輪を手造りで作り上げる事が出来る事でありましょう。
しかし、実際手作りの職人さんに製品の製作を依頼する場合は、指輪なら指輪を着けた場合の真上から見た正面図。それに側面のリングが丸い円を描いている方向、さらにそれを90度回転させリングのウデが一本の棒に見える向きの3方向の図を提供することにより、職人さんにより立体的なイメージを理解してもらうようにいたします。
しかし、この図面を描くのもなかなか難しい技術なのです。下手な人、未熟なジュエリーデザイナーがこの3方向の図を描くと、たまにその3方向の整合性が取れていないものが出来上がり、職人をより混乱させる結果をもたらします。
例えば、側面図ではリングのウデから伸び上がるようにして地金の花模様が中石に覆い被さるようになっている風に描かれているのに、正面図では本来、石の左右をこの花模様が横断し、リング接合部分を繋ぐ細工となるはずが、中央縦方向にこの模様が描かれていて、この模様を支える部位は?みたいな混乱が起こるわけであります。
さすがに現代では先程も挙げましたキャド等の立体画像をパソコンで簡単に作画できるようになっておりますゆえ、こういったミスは少なくなっているのでしょうし、実際には作画を超えてそのまま3Dプリンターでリングの原型まで作ってしまうのですから凄い進歩でございます。
ただ、そういったテクノロジーの進歩を凌駕致しますのが熟練職人の凄技!
こちらにご覧いただいております指輪は以前にもご紹介致しました、現代飾り職人の名工、生野の巨匠にお願いして拵えていただきました、中石に色鮮やかなツァボライト、即ちグリーングロッシュラ―ライトガーネット、両サイドにハートシェイプのルビーを配し、中石を囲むように10個のメレダイアが取り巻く、実に見事な出来栄えの指輪でございます。
さてこちらの指輪、驚くなかれ、制作にあたって、設計図はおろかイメージを伝えるスケッチ程度のものすら職人には渡していないのでございます。各石のサイズバランスだけを平板なトレイ上であわせ、大体のデザインの骨子のみを伝えただけ。いくらパソコンでもそれだけではデータ不足でどうにもならない。
ところがこの出来上がり、どんなもんだい!
中石の石座への沈み具合、ルビーおよびメレダイアの傾斜角度、リング部分の腕の絞り具合と下へ向かうほどに膨らむそのバランスの妙。どれ一つとしてデータとして職人に指示したものはございません。全ては巨匠が長年培ってきた勘を頼りに形作られたもの。
実際これだけのものを手作業のみで創作できる職人さんは、キャドなどのテクノロジーの進化によって絶滅の危機に瀕しているのが現状。こんなのもう50年後には、たとえ精密なデザイン画があったとしても、誰も手作業では作れないんだから。早い者勝ちだよ!
しかし、宝飾職人にもならなくて良かったなー、こんなん百年修行しても絶対よう作らん自信あるわ!まさに天賦の才のなせる技やね。
因みに絵のお上手なご婦人の正体が判明した当日、仕事帰りに駅前の本屋に立寄りました。
さあ果たしてこんな本屋に普通に売ってる漫画書いてはるほどの有名人ではないやろな、ご本人もちょこっと言うてはったし。それにペンネーム使ってはるやろうさかい、多分わからんわなー、と半信半疑で漫画の単行本コーナーに近づくと、なんと真っ先に目に飛び込んで来たのがそのお客さんのフルネームの記した本がずらっとならんでる棚。
こちらが漢字で記憶してるのそのお名前が全部ひらがなで書いてあるからそりゃインパクトありますわ。何がちょこっとや、人気作家さんやん!
思わず一冊買って、今度来はったらサイン貰お思てたんですけど、結局言いだしかねて・・・
将来の夢はすぐ諦めるし、ホンマ我ながら、あかんたれやね。
ニューヨークジュエラーの裏事情
わたくしが勤めておりました宝石屋の本店がまだ大阪の心斎橋にあって、バブル崩壊後とは言え、まだ栄耀栄華を極めブイブイ言わせていた当時の事。
ニューヨークから名の通ったジュエリーデザイナーを呼び、その店の三階にありましたちょっとした展示スペースにて展示会を行う事になりました。展示会に先立ち、展示会前一週間をそのブランドの社員と商品を営業車に乗せ、各外商員が順番にそれぞれの得意先のお宅を訪問しそのブランドの商品を売り込むという、いわゆる同行持ち回りという販促が展開されました。
この同行持ち回りと呼ばれる販売方法は、百貨店外商部などがよく行う販売方法で、主に宝石、時計、呉服、紳士服、絵画美術品等の高級品を、そのテナント業者なりメーカーの社員を同行のうえ客宅を訪問して売り込んでいく販売方法。
まあ体のよい押し売りみたいなものですな。しかも複数人で押しかけるからその圧も半端ない。こんなことを普通のお宅にアポ無しで行えば、警察沙汰にもなりかねません。
しかし相手はお金持ちのお得意様。その辺は心得たもので、買う買わないは別として、ちゃんとご主人のゴルフの優勝カップなんかが飾られ、鹿の首のはく製が壁からにょっきり生えてるような立派な応接間に通してくれて、一応商品はご覧下さる。
本番のお店での展示会には、ニューヨークからわざわざ遠路はるばる、その会社のオーナーにしてデザイナーご本人が来日して販売に当たるのですが、その前のプレ販売の同行持ち回りにはそのデザイナーさんの息子、ローレンスという兄ちゃんがやってまいりました。もちろんデザイナーご本人もローレンス君も日本語なんて一言もしゃべりませんから、通訳が必要。
ところがその会社、通訳を雇う費用をせこって、ちょうど香港から帰ってきたばっかりの私にその任をまかせようと白羽の矢が立ったのです。いやー、香港人とはお互い外国語としての英語をコミュニケーションツールとして、日本語まじりの片言英語のやり取りで何とか日々過ごしていたものの、本チャンのアメリカン、ネイティブの方の通訳なんて滅相も無いと固辞するものの、聞き入れられず、その一週間はニューヨークジュエラー御一行様担当となり、同行持ち回りにも“通訳”として同行する運びとなりました、いやー参ったね。
困ったのは何も私だけではありません。そのアメリカ人のジュエラーを営業車に同乗させ得意先に連れて行かねばならない外商部の各社員も弱り切っておりましたねー。なにせ外国人の同行なんてみんな初めての体験ですからね。
いや、それだけじゃない、そんなことをアメリカでは全くしたことが無いローレンス君も面食らっておりました。大体アメリカでは外商なんてシステム自体が無いらしいのです。
「そんな事やってるって悪い奴等が知ったら、車止められ一発でホールドアップよ、頭おかしいんじゃね?」と両手の平を天に向け肩をすぼめる例のポーズ。わっ、よう映画とかで見るやっちゃこれ、ホンマモンやこれ!
さあ、そのプレセールの外商持ち回りはまさに珍道中。
担当外商員がいつもと同じような調子で客宅へ訪問するまでは良いのですが、奥さんがひとたびローレンス君を見つけるなり「ちょちょちょと待って、何なん、外人やん!あんたなんで外人なんか突然、・・・困るわー、困るやん、デザイナー連れて行く言うさかいエエよ言うたんや。そんなん外人て言うといてくれんと、いやーどうしょ?ウチ土足厳禁やさかいね!」まあ皆さん大体こんな感じの反応で、こちらは気楽な通訳の立場ですから、そのいちいちが面白いのなんのって。
担当者ももう平身低頭で「すんまへん、ホンマすんまへん、せやけど奥さん最初から外人連れて行く言うたら絶対アカン言いはりますやん、僕っかて、会社の命令で、板挟みで辛いんですわー、堪忍してください。もう奥さんとこしか頼るとこ有らしませんねん、たのんますー、すんませーん」 こんなやり取りを横でぽかーんとローレンス口開けて聞いとるわけです。
このローレンス、いかにもアメリカ人気質というのか気さくな兄ちゃんで、すぐ打ち解けて車中では外商員の緊張をよそに色んな話を致しました。もうかなり昔の事ですから内容はほとんど忘れましたが、一つだけ覚えているのがタバコの話。
彼はアメリカ人にもかかわらず、かなりのヘビースモーカー。そのころは私も喫煙者だったのですが、吸ってるタバコがなんと同じマルボロライト。
「おっ、一緒やん。なんて偶然!せやけど日本で売っとるマルボロライトとアメリカのマルボロライト違うん知ってる?」
「ホンマ?知らんかった。せやけどどこがどうちゃうん?味か?」
「おせたろか?実はな吸い口がちゃうねん。吸い口の紙質がちゃうんよ」
「どないちゃうん?」
「日本のは吸い口の紙が唇にネバってひっつく感じやねんけど、アメリカのんはさらさらでそれがないんよ」
「うそ?」
そこでやおらローレンス胸ポケットから煙草の箱を取り出すと「これはアメリカのんや、吸うてみ」
「おおきに、ほな一本いただくわ。わっ、ホンマや、サラッとしとるわ。こっちのんがエエな」
ここでローレンス片目でウインク。わっ!映画で見るやつや!
さて、本番の展示会はいよいよお父さんのデザイナー先生のお出まし。この方、子供時分にナチスのホロコーストから逃れるために家族ともどもヨーロッパから南米に渡り、その後アメリカに移り住んだというなかなかの苦労人。
そのせいか非常に人当たりの良いジェントルマンでユーモアのセンスもなかなかのもの。展示会でそこの商品を売りそこなった営業社員に面と向かって “ Shame on you ! “ ( 恥を知れ!)なんて言って笑わせてくれました。
さて、このデザイナーのおじさんの会社、自社ブランドの製造だけに留まらず、なんとティファニーの下請けもやってるとの事。
ちょうどお昼休憩に一緒に出まして、何が食べたいかと聞くと、なんとうどんが好きだとおっしゃる。そこで近所のうどんの名店、心斎橋「にし屋」にお連れしたのですが、その後当時心斎橋筋商店街内にあったティファニーのお店を見物したいと仰る。
そこでうどん店を出た後、このニューヨークのジュエラー社長をお連れしてティファニー心斎橋店を訪れたのですが、お店の方もまさか自分とこの商品を実際作っている下請けメーカーのオッチャンだとはまさか知る由もなく、ただ、外国人という事で声もかけず遠巻きに見てるだけ。
「なるほど、ところ変われば品かわるって言うけどやっぱり商品構成が大分違うねー」などと言いながら商品を細かく見ていきます。
「ちょっとこの留め具の細工見てごらん、これはティファニー独特の細工で、これ拵えるのなかな難しいんよ。ティファニーってホント下請け泣かせでさー、細かいとこにまで、いちいちホント厳しいんだよ。もちろん下請けはウチだけじゃなく沢山あるんだけど、仕事が悪いとすぐ切られちゃうんで大変なのよ。ここの丸い輪っかも日本じゃ最初からこういった出来合いのパーツがあるじゃない。実際ウチのオリジナルにはそんなの使てんだけど、ティファニーのはこんなのでも金の線を丸めて一から作らされてんだぜ、勘弁してよって感じ、ホント大変なんだ。それにあそこのエルサって女性のデザイナーがまた小うるさくてさー、ここがダメ、図面どうりじゃない、イメージが違うとか、センスが悪いとか言ってすぐ返品してくるからたまったもんじゃない。それにさ・・」
ティファニーのお店で散々ティファニーのグチを言いだす始末。ティファニーやから英語のわかる店員もおるんちゃうんと小心者のわたくしはひたすらびくびくしていたのを思い出します。
さて、現在こうしてティファニーのバイザヤードを当店の一押し商品として集中販売いたしております今となって、商品検品時のルーペによる細部のチェックを行う際など、あらためてあの下請会社の社長さんのグチが思い出されます。あのオッチャンのグチがこの完成度の高さとなって結実してるんやねー。
エエもん作るには妥協を許さない厳しさが必要いうこってすな。
ホント、キャッツには目がないんですよ!
落語の演目の一つに「道具屋」と言うのがございます。よく出来たお噺なので、東西の噺家さんの多くが得意の演目として、そのレパートリーのひとつに加えております。
噺の筋はいたって簡単。いい歳をしても定職に就かず、ふらふらしている甥に、自分が副業としてやってる道具屋をやらせて一人前にしてやろうという大家の旦那。
つまり愚者でありまして、いざ露天でお店は開帳したものの、来る客来る客みんなしくじる。このしくじるサマの間抜けな様子の面白いところが落語の肝となっております。
さて、このお話でおかしいのが、その売ってる品物が一つとしてまともなものが無いところ。
火事場で拾ってきたノコギリの錆を落として、柄を付け替えだけのものとか、短刀に見えて実は抜けない木刀。首のとれるお雛様。脚が一本欠けてまっすぐ立たたない扇風機。ボラが素?食ってる様にしか見えない鯉の滝登りの掛け軸やら。この内容から察するに道具屋は道具屋でもこれは古道具屋なのでございましょう。
まあこんなとんでもない品ぞろえですから、この甥っ子が一つも商品が売れなくても当然じゃあないの、と思召す方も多い事かと存じますが、商売と言うもの必ずしもそうとは限りません。
実際、関西版のお噺のほうには、おじさんが道具屋を開店するにあたって、甥を戒める場面。「こんなもんでも、そこらに並べときゃ、どこぞのアホが買おていによるやろ」なんてひどい台詞が出てまいります。(どこぞのアホが買おていによるやろ=どこかの馬鹿が買っていくであろうに)
また、江戸版の方では、この甥っ子が商いをしくじる度に、隣の露店商が親切にも、客にゃ世辞の一つも言って懐に飛び込むんだ、などといってアドバイスしてくれたりも致します。
まあ、ここに出てまいりますような欠陥商品を上手い事言って売りつけるとなりますと、一種の詐欺でございますが、実際商売と言うものものは詐欺と紙一重のところが往々にしてございます。欠陥商品を言葉巧みに装飾して売ると犯罪になりますが、普通の何の問題もない品を言葉巧みに販売すれば、これはれっきとした接客商売。
さあそういう事で、こちら当店の欠陥商品、なんて滅相もございませんが、何と目の出ないアクアマリンキャッツアイの販売と言う難題に、不詳ネットテキヤ、わたくしハリー中野が果敢にチャレンジしてみたいと存じます。
さてこちらは、ペアシェイプのこんもりとした、ナリの良い、まるで拡大した雨のしずくのようなカボッションにカットされましたアクアマリン。大きさは10キャラット近いけっこうなボリューム。
こちらの石、半透明と言うまでの濁りはございませんが、若干の曇りがございます。その原因は宝石内部にございます極めて微細な針状のインクルージョンによるもの。
実はこの針状インクルージョンによってシャトヤンシー、すなわち猫の目効果が生まれるのでございます。この猫の目効果の原理とは、キューティクル豊富な美しいストレートヘアの女学生などの頭頂周りに現れる天使の輪と呼ばれる光の反射の原理と一緒。極細の線上の突起が並んで広がる面に対して、その線と直角に交わるように現れる光の反射の帯がこの猫の瞳となるのでございます。
では、このアクアマリンのキャッツアイ、なぜ猫の瞳が極めて薄く微妙で見分けがつかないのかといいますと、それはこの天使の輪の元となる針状インクルージョンが少ないせいなのです。半面、それゆえこのアクアマリンの透明度が高いわけなのでありまして、そこがこの宝石の魅力ともなっているのでもあります。
それならなにも、キャッツアイと名乗らなくてもいいじゃないか、とのお叱りの声が聞こえてまいりそうですが、実は猫の瞳とまでには形がさだまりませんが、微妙な光のシーン、あるいはシラー効果と呼ばれる光の移ろいが認められるからでなのであります。
このシラー効果の代表的な宝石がムーンスト―ン。ご存知の方も多いかと存じますが、石の内部からぼやーっとした光が浮き上がってきて、石の移動に伴いこの光りも揺らぐといった非常に神秘的な効果を宝石に与えます。それと同様、こちらのカボッションアクアマリンもその石の動きに合わせ、石の内部から、行燈の和紙を透かしてぼんやり見える焔の反映のような光のうねりが見てとれます。
ならば分かりやすくアクアマリンムーンストーンと名乗ればいいじゃん、とまたまたお叱りを受けるかもわかりませんが、実はムーンストーンの変種ですでにそう呼ばれる固有の宝石がございます。ですからあくまでアクアマリンであるこちらの石は仕方なくアクアマリンキャッツと名乗っている様なわけなのでございますが、実際にはアクアムーンスト―よりも断然魅力的なのでございます。
メレダイアが連なる長めのバチカンの最下部に、このダイアモンドの鋭い輝きと対照的なまったりとした、石の奥底から、身体の動きに合わせて、うねるような光のウェーブを放つ大きな雨粒ようなアクアマリン。
この何とも言えない幻想的、神秘的な風情。このしっくりした色目の上品な風合いを見るにつけ、宝石の名前など別にどうでもよくはなりませんか、美しければ。
アンドロイドは電気羊の夢を見るか?知らんがなそんなん の巻き
アメリカの偉大なSF作家フィリップ・K・ディックの小説「アンドロイドは電気羊の夢を見るか?」を鬼才リドリー・スコット監督が映画化したのが、かの伝説のカルトムービーとも呼ばれる「ブレードランナー」。1982年の公開とございますからもう40年も昔の話。毎度古い話ですまんこってございます。
近未来の厳めしい建物が蝟集する都市空間。その暗く湿った夜空に、未来の広告看板でしょうか、突如現れる謎の笑みを浮かべた大写しのゲイシャガールの顔、それとともに現れる「強力わかもと」の文字。このインパクトある異様な映像でこの映画をご記憶の方も多いのではないでしょうか。
さてこの「ブレードランナー」映画マニアの間では凄い人気で、近年続編が製作されたほどですから、ご存知の方も多いかと存じます。なので今更わたくしのヘボな説明などご不要かとも存じますが、念のため、ざっと概要だけ。
このお話の近未来の世界では、既にレプリカントと呼ばれるアンドロイド、すなわち人造人間が製造されております。
これらのレプリカントは宇宙開発の最前線などでの過酷な労働に投入されているのですが、このレプリカントになんと人間の心が芽生え、主人である人類に歯向かい始めたのです。この造反するアンドロイドたちを取り締まり抹殺する仕事こそが、この映画の題名そのもののブレードランナーなのです。
映画では、名優ハリソン・フォードが演じる一人のブレードランナーが、造反レプリカントグループの捜査の成り行きから、一人の美女と出会います。実は彼女も、偽の記憶を脳に植付けられ、自らを人間だと信じこんでいるレプリカントだったのですが、ハリソン演じるベテランのブレードランナーはこれを見破ります。
それを察した美女のレプリカント、レイチェルという名前なのですが、は彼を激しく問い詰め、遂に真相を聞きだすのです。その結果、言わんこっちゃない、レイチェル大いに取り乱し、絶望のどん底につき落とされて涙を流します。
何せ、人間でないばかりか、レプリカントの寿命はたった4年。しかしその様子にハリソン君、不謹慎にも生唾ゴクリ。美女の涙ほど罪深いものはございませんね。正にチャンカワイの「惚れてまうやろー!」じゃないですが、惚れてしもたんですな、アンドロイドに。
そんなアホな話あるかい。なんぼSFか知らんけど話盛りすぎやで。人間がロボットに惚れるて、寝言言うてもたらかなんわ。そんな話が通じんねやったら、道頓堀歩いてるお姉ちゃん等がこぞって、食いだおれ太郎に次から次としがみついて大ごとになるで、ホンマ。
その様なご意見も当然でしょうが、まあ論より証拠、ちょと映画観て、予告編でもエエからYouTubeで。
ホンマや!無茶綺麗!むべなるかな!
そうなのです、この映画の要となる重要なポイントは、何と言ってもこのアンドロイド、レイチェルの配役にあると言っても過言ではございません。なにせ人間が人造人間に恋心を抱くなどという荒唐無稽な話に信ぴょう性をもたせるには、このレイチェルが並みの女性を遥かに超えて美しく魅力的でない事には話として成り立ちません。
このレプリカント、レイチェルを演じたのは、厳しいオーディションの末この大役を勝ち取ったショーン・ヤングという当時、若干23歳の女優さん。
いやー、ホント人間離れした美しさ。実際、この映画をご覧になった数多くの男性が、彼女が演じたレイチェルの虜となり、むさくるしい部屋中をレイチェルのポスターで埋め尽くし、親からもらった大事な身体の一部に「レイチェル命」などと彫物を入れたり、自分の娘に後々の子供の災難も顧みず、日本人でありながらレイチェルと名付けたりと、もう当時は凄い人気。
いえいえ、美しいのはなにも女性のアンドロイドだけではありません。映画の最後、ハリソン・フォードのブレードランナーと対決するレプリカントのリーダーのバッティ、演ずるはオランダ出身の俳優ルトガー・ハウアー。
この人も主演のハリソン・フォードを凌ぐほど美しくカッコイイ。お陰で当時この映画を観た多くの女性が部屋いっぱいにルトガー・ハウアーのポスターを貼り、その内腿に「ルトガー命」と、もーエエちゅうねん!
さて、なぜに人造人間であるレプリカントがこの様に美しいかというと、それはごく当たり前、至極当然な成り行き。神様はご自分に似せて人間を作り給うたそうですが、ディテールにはあまり拘れへんかったらしく、個体の出来不出来には大きなばらつきがございます。
その点、人間は細かい点にいちいちこだわるというか、どうせ作るならエエもん作らな損やいうんで、とりあえず見てくれ第一のエエもんが出来上がるわけでございます。
そうした人間の創作特徴が顕著に表れているのが、何と言っても人工宝石なのではないでしょうか?
GIAの宝石研修なんかで使う試験石によく混じってました、初期の合成石のリンデンスタールビーとかスターサファイアなんかもう本当にバッチリ星もきれいに出て、色も鮮やか、実に美しい。それゆえにすぐバレちゃう。肉眼の目視だけでわかってしまう実にありがたい試験石でした。
あるいはまた、質屋や買取り屋でインクルージョンの少ない透明なエメラルドが持ち込まれた際は先ず、偽物を疑えなんて言われるくらい、人造の宝石は美しいのであります。まあ普通、お金かけてわざと汚い宝石作ろうなんてことはしませんわな。
さて、ここで合成石と人造石と模造石の違いを簡単にご説明しなければなりません。
まず合成石とは、人工的に本物の天然宝石と同じ化学組成をもつ石を人工的に作り出すことをいいます。
人造石は人工的に本物の宝石に似たものを、化学組成は異なっていても、見かけさえ同じであればという事で作られる別の物質。
模造石は本物とはかなりかけ離れた組成、見かけながら、そのニュアンスを醸し出して装飾的用途をみたします。
レプリカントの場合は、遺伝子工学の進歩の恩恵にあずかって作り上げた人間と同じ肉体をもつ人造人間なので、合成石と同じになりますね。ちなみに整形美人を陰でアンドロイドやで、などと揶揄いたしたりしますが、この場合レプリカントのように一からすべて人工的に作られたものでは無く、天然の物の一部を人工的に改変した状態ですので、宝石に例えると天然石の処理改変という事で、処理石という事になりますね。
ですから陰口を言うときは「あの人処理石やわ、その割には値打ちないなー」などという表現が穏当かと存じます。
さて人造石の代表はダイアモンドの代用品として、広くアクセサリーなどに使われているキュービックジルコニアが有名ですね。見た目は非常に似ているけれども、化学組成はまったくダイアとは異なる、違う物質。
最後の模造石は、例えるなら食いだおれ太郎。一応人間の形してるけど誰も本気で人間としては見ないやつ。いくら道頓堀で屯しているいかれたギャルでもそんなんには食いつきまへんわ、悪いけど。
ということで、本来は本物よりも美しく、そこがかえって胡散臭い合成石なのですが、その欠点を巧みにかわし、見事本物っぽく仕上げられたのが、只今ご覧いただいておりますこちらの指輪。
この指輪、いったいどういう目的で拵えられたのか全くの謎なわけですが、なんとエメラルド原石を模した合成エメラルドのリングなのでございます。
みごとに六方晶系の鉱物が六角柱状結晶となって生成されている様を表している本商品、ぱっと見絶対合成石とは疑いません。ほう、もの好きにもエメラルドの原石をそのままリングにしたんやな。さしずめ石オタのマニア狙ったクセの強い商品やろ、と思わせといて―の合成石。いったいどういった顧客に向けて作られたのか全く不明。
合成石で有名な京セラさんのクレサンベールエメラルドなんて、宝石界のレイチェルやー!と思わず彦丸になって絶叫するくらいの美しさやのに、わざわざこんな粗削りな原石作るって?
多分これは、合成石の製造過程が天然石の生成過程と同様の工程をたどるため、同様の結晶形が出来上がると言うところを確認したい、マニアのさらに先を行く、超マニアの為に作られた逸品なんでしょうな。
そんなん好きな変わり者の人おりまへんか?言うても滅多ないよ、こんなん。原石に似せた合成って・・・
ヘビーユーザーは見逃さない平凡で非凡な指輪
以前にもちらっと書かせて頂いたのですが、お店者(おたなもの)根性と言う言葉がございます。
これは何かと申しますと、お店の店員が来店したお客の品定め、値踏みをする、その卑しいありさま、さもしい性根を指している言葉なのでございます。
すべからく、どのようなお店であっても売上向上こそが商売においての最終目的。
その為、店員個々人にも月々厳しいノルマが課せられ、その売り上げいかんによって給料の額が変わったり、ボーナス支給に差が出たり、さらには将来の出世にまで大きく影響を及ぼすというからくり。
その為、個々の店員は鵜の目鷹の目で来店客を物色し、購入の可能性の高そうなお客をつかもうと必死なのです。特に高額品を扱う宝石店ともなりますと、一人の客の購入一件でその月の予算達成なんて事もあり得るわけなので、みんな戦々恐々、アフリカのサバンナに生息するハイエナのように貪婪に獲物を物色致すわけであります。
では具体的に宝石店に巣食うハイエナどもはお客のどういった点を観察し、獲物に的を絞っていくのでしょうか。
先ずは、何と言っても身なりの観察。
やはり高級品を買ってもらおうというくらいですから、基本富裕層、お金持ちでないといけません。ですからその着けている宝飾品はもとより、服装、時計、履物、コロンの香りから口紅の色、毛染めの毛根の白髪の露出具合、肘膝踵の角質に至るまで、これらを瞬時に観察いたします。
老練なハンターともなれば、これはほんの一瞥、あたかも香りをかぐ様に一瞬で嗅ぎ分け、即座に判断が下されます。もしその時点で似非奥様のNG判定が下されますと、まだその辺の判別に疎い新入社員や後輩に親切ごかしに「中野君、ほら良いお客様よ、頑張って行っておいで」などと振って次の獲物を待ちます。
さて、外見上の見かけの次に観察が大切なのが、お客の態度。買い物慣れしていて堂々としているか、あるいは買物が不慣れでドギマギしているかによって、アプローチの仕方はがらっと変わります。
買物慣したスレた方には旧知の知り合いかなんぞのように、礼節をわきまえながらも胸襟を開いた親密さで、おどおどちゃんには優しい看護師や介護職員のような慈母の心で接せねばなりません。間違えて、この反対をすると前者はプライドを傷つけられたように感じて怒り出し、後者は後ずさりして遂には退散と言う望まぬ結果に終わります。
さて、その後ですが、何と言ってもマズイのが、「何かお探しですか?」などと不躾に問いただしたりする事。まさか八百屋じゃあるまいし。
「えーと、ジャガイモ、ニンジン、それに玉ねぎ欲しいんやけど」
「あっ、わかった奥さんち今晩カレーでっしゃろ?」
「ピンポーン!」
んなアホな。
大体、宝石屋に目的買いで来る人は滅多にいてません。せいぜいが婚礼の一式か、急な葬式用のパールネックレス。前者は見たら一目でわかるし、後者は入ってくるなり向こうから焦って聞いてくる。
一見のお客には先ずは付かず離れず、邪魔にならないように影のように付き添います。そしてなにかの拍子に、今初めて気づいたかのように装いつ、最初から目星をつけておいたお客さんご自慢の持ち物を褒めそやします。
「あら、こちらバーキンじゃございませ?しかも25センチ!なかなかエルメスのお店行っても売ってないらしいですねー、昨日来られたお客様が嘆いておられました」
「そうなのよー、これはね、たまたまワイキキのお店の前を通りがかったら飾ってたので即買いしたのよ」
「エーッ!ハワイでエルメス、おっ洒落―っ!」
「ハワイでエルメスってなんかピンとこないわね。こちらのお財布の方はパリの本店で頂いたんだけどね」
「エルメスは我慢するから、せめてハワイとフランスだけでも行きたいわー!」
「あら、よく仰るわ、オホホホホ!」
これで下ごしらえは完了。あとは気分の上がったお客を自由気ままに店内を回遊させ、
「あら、こちらの指輪変わってるわね」なんて目に留まる商品に行きつくのを待つべし。
さて、このお目に留まる品によってもお客のランク、センスが分かるって寸法。
まあ、大体買い物好き、ヘビーユーザーなんて言われるような人ともなると、さすがにセンスの良いものをお選びになる。一見平凡に見えてセンスの良さが光るものに目が留まれば、こりゃもうビンゴ!
さて、そういったよく判っておられる、お買物の手練れ、買い物マニアが如何にも手に取りそうなのがこちらの指輪なのでございます。
ちょっと見は平凡なサファイアとダイアモンドの並んだハーフエタニティー風なデザインで、ジュエリー初心者なら完全スルーの可能性の高い一見地味にも見える指輪。
しかしながら、よくよく見ると、全く同じ形大きさにカットされたダイアモンドとサファイアが交互に組み合わさるようにセットされています。こういった細工を、最初は色姿形照り、全てが異なる天然石で作り上げるという事は想像をはるかに超えて大変な事なのでございます。
いい加減な石の揃えで拵えると、隙間だらけのまだらな印象になっちゃいますからね。
ダイアモンドの方はまあ出来合いのルースの中から根気よく見繕えばなんとかなるでしょうが、この三角のサファイアなんかになりますと地道に探すより、石屋にオーダーかけて拵えさせた方が手っ取り早いほど。指輪ひとつ作るのに材料全部を石から削り出したんじゃないでしょうか?大変手間と根気の掛る作業なのでございます。したがってお値段も...
てな事を実際のメーカーの裏事情も知らぬ癖に、推測だけで商品説明するのも宝石販売員の重要な資質。「宝石屋見てきたような嘘を言い」などという古くからの格言もあるくらいですから。
さて、お客さんの方も自分が目に留めた商品が、そのような値打ち物と店員に太鼓判を押されりゃ悪い気はしない。「お客様、さすがお目が高こうございます」という店員のキメの一言で陥落と相成るわけでございます。
まあ、陥落なんて大げさに書きましたが、この様なクラスのお客にとりましては、これしきの買い物はエルメスバーキンを褒めてくれた駄賃、チップの様なもの。あるいは、お客になってあげても良いわよ、あなたもちゃんと心得てるみたいだし、の名刺代わり。実際にはここから、この一見客をもっと大物、ハイジュエリーを買ってもらうような上得意先に育て上げるのが販売員の腕の見せ所。長期的戦略へと移行してまいります。
「じゃあ、サイズ直しはまたこちらに取りに来たら良いのかしら?」
「何をおっしゃいます、またまた御足労をおかけするなど滅相もございません。ご都合の良いご指定の日時にご自宅にお届けにあがります。」
普通の庶民だと、そんなのお忙しいのに悪いからと遠慮するのですが、こういったお客は当然、有名百貨店外商の顧客でもあるので、そんなことは当然と思ってます。ですから、取りに来たら良いのかしらと聞いた時点で、お届けのオファーを当然のごとく期待しております。
「あら、そう悪いわねえ、じゃお願いしようかしら」
はたしてかくの如き成り行きにて、客と店員の腐れ縁が始まるのでございます。
ダイアモンドスートラの威力備わるペンダント
日もとっぷりと暮れ、鈴虫が心細く鳴く暗い秋の夜道。
一杯機嫌でストーンズの「悪魔を憐れむ唄」などを口ずさみながら家路をたどって歩いておりますと、人気のない道を後ろから誰かがつけてくるような気配。
何奴!と勢いよく振り返るが、そこには誰もいない。
なんだ気のせいか、と気を取り直し再び、プリーズトゥミーチューホープユーゲスマイネーム、フン!なんぞと口ずさみつつステップを踏み、こけつまろびつしながらもまた田舎のあぜ道に歩を進めてまいりますと、再び何やら後方に気配が立ち現れるのでした。
今度は慎重に、歩きながらも歌いながらも、気取られぬよう、ゆっくりした動作で振り返ってみる。
振り返って見たところ、また誰もいないし、例の気配もすっと消えうせてしまっている。
やはり気のせいか、あるいは、わずかな量とは言え、アルコールの酔いが変な具合に回って来たんだろうと自分に言い聞かせ、気を取り直し、またぞろ千鳥足で歩き始める。
ところがしばらくすると、また例の気配が後ろから近づいてまいります。
もう今度はその手には乗らない、どうせ気のせい、無視して歩こう。そう心に決めて歩みを進めてまいりますと、なんとその気配がだんだんと間隔を狭め、明らかに近いてくるじゃないですか。
いやいや、これはあくまで気のせい、気の迷い。こういうのは無視するに限る。ここであわてるからみんなオバケやら幽霊などという在りもしない幻覚を見て取り乱すんだ。その手にゃ乗らないよ、こちとらなんつったって江戸っ子だい...と独りごちた刹那、その気配がすっと私の背中から入ったかと思ったら、身体を通り抜け、ふっと前方へ抜けたのです。
わっ!と思った瞬間、私の身体を抜けたそれが居ると思われる方角の暗闇に目を凝らしますと、暗黒の空間に微かな輪郭らしいものがあり、それが先ほど私がしたのと同様のゆっくりした動きで、こちらを振り返ったのであります。
「ギャーーー!!南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経南無妙法蓮華経」
もう怖さのあまり目を閉じ、無我夢中で念仏を唱えます。
さて、我が家の宗旨は日蓮宗でありますので、この様に南無妙法蓮華経と唱えるわけでありますが、これが違う宗派ですと南無阿弥陀仏となったり、般若波羅蜜多となったりと、さまざまなバリエーションが展開される事でありましょう。
ただ、このブログをお読みいただいている方は宝石好きの方が多くおられるかと存じますので、本日は宝石好きの方にお勧め、一押しのお経をご紹介いたしたいと存じます。
さて、そのお経と言うのは聞いて驚く事なかれ、名前もそのものずばり!
ダイアモンドスートラ・金剛般若経というお経。
いかがです!ダイアモンドは日本語というか中国語?では金剛石ですから金剛般若経。
さて、このダイアモンドスートラというお経の説明をする前に、まずお経と言うものについて一言説明申し上げねばなりません。
一般的にこのお経と言うものは普段はあまり我々の生活とはかかわりがなく、大体が葬式や法事などの仏事に僧侶が読経してるのを、畏まって聞いているものなのでございます。
世間では、このお経と言うものは一種の有難い霊力を帯びた呪文のようなものであるやに思われている節があるのですが、これは大間違い。冒頭の逸話で恐怖に支配された私が南無妙法蓮華経と唱えるくだりも、この呪文の効力を信じ、そのパワーにすがりつかんがゆえの行動と言えましょう。
しかし、実のところ、お経とはブッダ、ゴーダマ・シッダールタが生前に説いた教えを、後世その弟子たちがまとめ編纂した、いわば仏教の経典のようなもの。
ですから、その内容を能く理解し実践する事こそが大切な訳で、その音読した音声自体に何か有難い効能、効果が含まれることは一切なく、ましてや生きてる遺族ですらその意味している事すら理解できない漢語の朗読を、死者に聞かせたところでどれほどの効果があるのか甚だ疑問でございます。
ただ、これを純粋に呪文、マントラとして用いた密教などに代表される宗派もございます。
マントラとは一般的に単純な文節を繰り返し、長時間にわたって唱える事によって、心に空白を生じさせる。すなわち瞑想に準ずる効果を期待して行われる業であります。そういった意味においては、私が恐怖に見舞われ、お経を誦したという行為は、その恐怖心、つまり心の動揺を打ち消すといった目的には、かなっているのかも分かりません。
さて、肝心のダイアモンドスートラでございますが、これは金剛般若経、正確には金剛般若波羅蜜経というらしいのですが、ウィキペディアによりますと比較的初期の大乗仏教の般若経典とあります。金剛は先ほどの説明通りダイヤモンドのことで、般若とは智慧、波羅蜜は完成されたものという意味になり、ダイヤモンドのように硬いもので煩悩を打ち砕く智慧の完成された教えと言うほどの意味になるらしいのです。
この経典の現代語訳は偉大な仏教学者、中村元先生の翻訳により岩波文庫より出版されておりますので、迷い多き皆様方におかれましては是非そちらを熟読せられ、じっくり勉強して頂きまして、悩み苦しみの元となる煩悩をダイアモンドのパワーで打ち砕いて頂きたいものでございます。
え、そんなんまだるっこしい?邪魔くさい?もっと簡単便利な方法ないのて?
そうですな、そんなずぼらなお方には、やはり本物のダイアモンドのお力をばお貸し願わずには問題は解決いたしますまい。
ダイアモンドをパワーストーンとして見た場合、これはもう最強の威力を備えた石であると言われております。
マイナスの波動をプラスに変換する。邪気を払いのけ、精神を強化してくれる。金、恋愛、健康、ありとあらゆる人生の局面において運命を拓いてくれる開運の威力。肉体、精神を癒すヒーリング効果も絶大。
と、まあそのパワーはすさまじいのです。
ただしこの効能は薬のように科学的に実証されているものではございません。信じるか信じないかはあなた次第。
しかし、こちらにお示しいたしましたギメルのペンダント。
これだけの最高級品質のギラギラ輝くダイアモンドがぎっしり満タンに隙間なく敷き詰められておりますと、如何にもパワーがありそうでございませんか。もしも秋の心細い夜道において、わたくしがこのペンダントをハナから着用さえしておけば、何の災いもなく無事に帰宅出来たことでございましょう。
まあ第一、こんなピカピカギラギラは着けるだけで気持ちが良い、気分が高揚するのは間違いございませんから、ヒーリング効果だけは確かかも。それに裏側に潜んだ蜂は何か吉兆の印かも?信じる者は救われる。
だって、あなたギメルの信者さんて全国に相当数いらっしゃるんですよ。
早い者勝ち!
最早アート、ブラックオパールの美
近頃はエエかっこして横文字でセレブ言いまんのかな?昔で言う有名人いうんか芸能人いうんか、たまにそんな人を街角で偶然見かけたりいたしますと、やはりなんか得したような、嬉しいような気がするもんです。
若い時分から都会の繁華街にある宝石屋の支店各店で働いてた加減で、そう言った有名人に出会う機会はけっこうあったように思います。
ただ、残念なことに、いや残念言うたら叱られるけど、大阪の場合は、なんというても出会うのは吉本や松竹の芸人さんが圧倒的に多い。
今では芸人さんの地位も昔と違って大幅に向上し、若手の人気者などになりますと、アイドル並みに若い女性からキャーキャー騒がれたりするのでしょうが、昔はホンマそこらのおっちゃんおばちゃんと何ら変わらん感じ。
「おっ、西川きよしや、きよっさーん!」
「おーっ、ありがとー!ほんま、ありがとーな!」
「あっ、やすしもおるがな!声かけたろ」
「止めとき、止めとき!下手に声かけたらどつかれるで」
そんな感じで、昔の関西の芸人さんは、あちらの方からも手が出たり足が出たりと、とても気さくな感じで接してくれはったものです。
ただ、たまに東京から来られている全国区の有名な俳優さんや歌手の方なんかに接しますと、やはりその芸能人オーラと言うものが半端無く、下手に声なんか掛けられません。もちろん先生などと呼ばれる大御所ともなりますと、お付きの方が周りを取り巻き、サイン一つ頼むのも畏れ多い感じ。
ただこんなローカル大阪人の私でも、ある時期非常に沢山のスター、有名人の方に接する機会に恵まれたのでございます。
それは、私が勤務しておりました宝石店がバブル景気に踊らされ、なんと無謀にも海外は香港へと支店出店に踏み切ったお陰。私はその海外出店の名誉ある海外駐在社員第一号として、何かの間違いで選ばれ、勤務した場所が、当時香港では最も由緒あるホテルと言われておりましたホテルペニンシュラ。
今でもそうかもわかりませんが、当時香港観光というと、ヴィクトリアピーク昇って夜景を眺め、ペニンシュラホテルショッピングアーケードでお買物と言うのが定番のコース。
もう毎日毎日、世界の一流ブランドが軒を連ねるペニンシュラホテルショッピングアーケードはバブル景気で浮かれた日本人観光客でごったがえしとる。ヒマなんはウチの店だけや。
そんなわけで、トイレに出たついでなどにショッピングアーケードをうろついておりますと、色んな日本の有名人にお会いすることができました。皆さんお忍びやら息抜きやら不倫旅行やらで手近な外国香港に羽根伸ばしに来てはったんやろね、知らんけど。
ここで、誰それにあったとか申しますと何かと差しさわりがあるやも分りませんので、個人名は敢えて伏せさせて頂きますが、芸能人だけじゃなく、大物政治家から大物野球選手は言うに及ばず、大物全裸監督までお見掛けいたしました。そや、裸で思い出しましけど、大相撲香港場所言うのがあって、日本の関取衆の一団にまで出くわしました。
さて、香港にて多く目にしたのは何もそういったセレブ有名人だけやおまへん。なにせ、香港と言う場所はアジアの宝石流通の中心地。
毎年香港コンベンションセンターではアジア最大規模のジュエリー、ジェムストーンの展示会が開かれる。もちろん我々の取引先である香港の業者さんも世界を相手にしてるだけにとんでもないシナモノを持ってる。
いやー、ホント目からうろこ棚から牡丹餅鼻から牛乳。香港に来て初めて本物のジュエリーに接した感を強くもったのでございます。
なにせわたくし、香港に派遣される前は大阪は天王寺にあります、天王寺ステーションデパートなる所謂JR駅ビル内にある、社内でも陸の孤島、てんのじ村などと蔑まれていた支店勤務。
正直まともな宝石なんか置いてない。置いたところで誰も買えへん。仕方がないから、四天王寺さんにお参りに来はるついでのお買物のおばあちゃん相手に、財布や袋物を商っては日銭を稼いでいたのであります。
それが突然のペニンシュラホテルショッピングアーケードですから、もう足元の自分の店の商品ですら今まで見たことが無いような高級品ばっかり。
幸い、私の仕事はリエゾンパーソン言うんでしょうか?会社の事務系統のシステムをペニンシュラホテルのヴァンクリーフから引き抜いた敏腕女性マネージャーを筆頭とする現地スタッフ達に指導伝達する役割。この伝票はこう書いて、月末になったらこれとこれして、みたいな事を伝え監督する役目。
後は日本から順番にやってくる社内や取引先のエライさんたちの観光ガイド。ですから、幸いそんな今までお目にかかった事もない高級品を値打ちも分らず接客するという畏れ多いことにはなりませんでした。
さて、肝心のお店の方はというと、先ほどもチラッと書きましたように来る日も来る日も閑古鳥の鳴くような塩梅でさっぱり。大体世界の一流ブランド店ばかりの中にあって、日本の無名な小売店なんて誰からも見向きすらされません。
しかもお店の場所はショッピングアーケードとは言え中二階の一番隅。訪ねてくる関係者ですら、なかなか辿り着く事の出来ないような場所。一日通しての来店客がゼロなんて事はざら。
そのお陰で暇な時間は元ヴァンクリーフ&アーペルズの敏腕マネージャー女史から直々に宝石のレクチャーを受けたことで、宝石の知識だけは飛躍的に向上いたしました。何せ目の前に生きた教材がようけ並んでる訳やさかいね。
さて、そうした生きた教材の中でも一番の感動をもって目にしたのが、これからご紹介いたしますブラックオパール。
もちろんそれまでにも、曲がりなりにも宝石屋ですからオパールぐらいは見知ってますが、扱ってたのはたいてい安価なホワイトオパール。たまにホテルの展示会でブラックオパールを見かける事はあっても、なるほど黒いわ、言うぐらいの、ほとんどがブルーとグリーンとグレーの混じり合ったようなぱっとせん石。
ところが香港で目にしたブラックオパールというのは、それまでの私のブラックオパールのイメージを完全に吹き飛ばし、木っ端みじんにしたのであります。
その石たちは、そのマネージャー女史知り合いのオーストラリアのブラックオパール専門の業者さんが、香港ジュエリーフェアの為に持ち込んだ自慢の逸品たち。出品前か出品後かは忘れましたが、お店に立ち寄り、わざわざご自慢のお宝をご開帳して下さったのでございます。
私の子供のころはテレビと言っても白黒、モノクロの時代。それがカラーテレビの時代の幕開けに伴い、カラーテレビを売らんが為の宣伝文句でよく目にしたのが「総天然色」。
その時のそのカラフルなブラックオパールを目に致しまして先ず脳裏に浮かんだのがこの言葉、総天然色!
見せてもらったのはほとんどがルース、すなわちリングやペンダントと言ったジュエリーの枠が付かない裸石の状態だったのですが、そのカラフルで艶やかな事。
一個一個がまるでステンドグラス細工の様に、一つの石の中で様々なカラフルな色がせめぎ合い、混じり合う。こんな美しく色鮮やかな石が地中から掘り出されたとは到底信じられず、しばらくの間ただ茫然と立ち尽くし、言葉もなく見とれていたのを今でも、昨日のことのように思い出します。
さて、ご覧いただいております指輪の石も、そのコレクションに収まっていたのではないかと言うくらい美しいブラックオパールなのでございます。
ブラックオパールで最高の游色パターンはハーレクインと言って大柄の鮮やかな色のパターンがはっきり区切られて現れているもの。これはその様子があたかもピエロの衣装の柄の様であることから、道化師=ハーレクインという風に命名された、と最近GIA-FGAダブルホルダーという凄い肩書をお持ちの、宝石鑑別も出来る宝石作家の先生にお教えいただいたのですから間違いございません。
さて、こちらのブラックオパールはそういった道化師の服ようなポップなイメージはございませんし、また目を見張るビビッドな色合いと言うほどの事もございません。寧ろイメージ的にはその逆で、暗めのトーンが石全体を覆っております。
その中にあって、部分部分で地底深くより湧き出た溶岩の燃えさかる炎のような鮮烈な赤が、煌めき萌立っています。その暗いオパール地色との明暗のコントラストによって、赤がより生々しく際立ち、実にえも言われぬ妖しいい魅力をたたえた宝石となっているのでございます。
このような色彩は、例えば高級ホテル、リッツカールトンの薄暗い内装を飾るにふさわしい中世の油絵の、顔料を幾層にも塗り重ねられた末に現れる、重厚な色の深みにも相通じる味わいとも言えるのではないでしょうか。
ピエロの衣装の派手さ軽さはございませんんが、この如何にも日本人好みの、渋くかつ鮮やな趣の宝石を手にされたなら、あなた様もきっと過去のわたくし同様、言葉を失いただ呆然と立ちつくされるのではないでしょうか。
ちょいとおつな通好みのアレキの指輪
スポーツや芸能などを観覧しておりますと、やはり世間の脚光を一身に浴びるのは、その中でもごく限られた少数のスター選手やスター俳優、歌手といった方々。
例えば、今年大活躍のメジャーリーグの大谷選手。走攻守に加え、ルックス、スタイル、さらに性格まで良いと言う、もう神様の依怙贔屓を一身に浴びたような人物。
正にそういう星の元に生まれたという、文字通りのスターという言葉がピッタリの人ですね。
さて、まあこうした年端も行かぬ童子、乳呑児ですら知ってるような人気アスリート、あるいは芸能界のトップアイドルなどと言われるような方々ですが、逆にその道でも、ある特定のファン層からの人気はあまり芳しく無いのであります。
もちろん野球選手などの場合は敵対する相手チームのファンには活躍すればするほど嫌がられるわけですが、そういう勝負なんかの利害関係を抜きにして、スターと言うものを敢えて敬遠する人たちがいるのでございます。
そういった方々は総じて「通」(つう)なんていう風に呼ばれたりしますが、この通というのは、ご承知の様に、その世界の事情に精通しているから通と呼ばれるわけでありますね。
このような人々はその物事の内情に深く通じてるがゆえ、誰が見ても喜び浮かれ騒ぐような表面的に好印象な人物、事柄、味わいには目もくれず、内情に通じている者にしか分からぬ、細部や暗部、素人の目が及びもしない裏の技術やその違いと言うものに着目しては、ああでもない、こうでもないと同好の志と批評し合う事に生きがいを見出すのでございます。
歌舞伎なんぞの伝統芸能の世界から、芸術、グルメ等々幅広い範囲で使われている誉め言葉に、通好みと言う言い回しがございます。
いかにも通好みの所作だとか、玄人好みの造詣の妙味とか、あるいは通好みのきりりとしまった辛口の酒なんてよく耳にいたします。あまり口にした事はないねけどね。
「おまえ、なんか聞くところによるとロック聴くらしいけど、誰のファンやねん?」
「オレか?俺は、三十年来の筋金入りのサザンのファンや!」
「サザンて、あれかサザンオールスターズのサザンけ?」
「当たり前やろ、ロックでサザン言うたらほか、誰がおるねん?」
「お前な、ロックでサザン言うたら、先ずはサザンロックの雄、オールマンブラザーズバンドやないかい」
「なんやそれ?あー、あちゃらのバンド?オレ洋モンあかんねん、何言うとるか分からんやろ」
「サザンかてなに言うてるか分からんがな、第一あんなんロックちゃうで流行歌、歌謡曲。あかんコイツ話にならんな」
「お前、何も洋楽やったらエエ言うモンでもないやろが、この西洋かぶれの売国奴めが!」
「洋物一辺倒やていつ言うた?日本のロックかてちゃんと昔から応援しとるよ。古くは外道、村八分、頭脳警察、四人囃子、ちょっと手前ではかの町田町蔵率いるINUとか」
「誰やねんそれ?」
とまあ、同じロックミュージックファンとて一般と通とでは話さえ通じんようなありさまですな。
これを映画の俳優さんとかに例えて言うともっと分かり良い。
一般のミーハーなファンが好むのが主演男優女優賞を取る様な主演を張る美男美女。例えば、キムタク、佐藤健、石原さとみ、オールドファンには小百合ちゃん?と言うところ。
ならば通好みの俳優さんはというと、助演賞をかっさらっていくいぶし銀の演技派陣、例えば、大滝秀治、岸部一徳、樹木希林に市原悦子らへん?知らんけど。
さて、宝石ファンにおいても、こういった通のお方が当然おいででございます。
宝石道入門は以前のブログでも申しましたように、ダイアモンドが最初の第一歩でそこからルビーやエメラルドと言った色石に流れ、まあ大抵はその辺で止まる訳なんですが、何の趣味でもそうですが、ハマる人はどんどん堕ちるところまで堕ちて行くわけでございます。
さて、そうした普通の宝石好きから宝石の通、マニアに転換、開眼する分岐点となるのがこれからご紹介いたします、アレキサンドライトという宝石。
宝石業界で昔から言われております通説が、宝石の趣味はダイアに始まりアレキで終わるというもの。これは一応、大体名だたる綺麗どころの宝石は揃いまして、最後ちょっと珍しい高級宝石で締めといたしまひょか、という意味合いで使われているらしいのです。
ただ、何事も普通ですまんのがマニアなどと呼ばれる凝り性の人。
最後と言われるアレキサンドライトのさらに向こうに聳え立つ人類未踏の危険な山岳地帯とでも呼ぶべき希少石の群を目指さずにはおれません。
さて、その石マニアの入門の最初の第一歩、賭場口、地獄の一丁目に立つのがこのアレキサンドライトなる宝石。
ジュエラーのバイブル、諏訪恭一郎先生の著した「宝石」によりますとこの石は、1830年ロシアの皇太子アレクサンドル二世の12歳の誕生日に発見されたのに因んでアレキサンドライトと命名されたとか。
この宝石の一番の特徴はご存知の方も多いかと存じますが、その変色性。
太陽光の下ではエメラルドのようなグリーンの石が、白熱灯の下ではルビーのような赤に変わるという、まことに神秘的な特徴を備えた宝石なのでございます。
と書きますと、どんなに素晴らしい不思議な色合いやねんやろねー、と想像される一般の方も多いのですが、さて実際は、通の方は先刻ご承知のとおり、ぱっと見ははっきり言って冴えん宝石なんよ。
実際に諏訪先生もご指摘のとおり、太陽光線下での色もエメラルドのような美しいグリーンではなく、くすんだグリーンで、白熱灯下の赤のルビーのような純色に近い赤ではなく、パープルに近いくすんだ赤でございます。
さて、ご覧いただいております指輪も実際、実物を普通に室内の灯りで見ますと暗い小豆色の宝石が、両サイドに四角いダイアモンドがあしらわれた平凡なリング枠に留められた見事なまでに地味な印象。
なにこれ、全然ぱっとせんやん、ダッサー!と口走るあなたは宝石全般に佐藤健を求める一般的ミーハーファン。
では、通の方向けのセールスピッチを一声
こちら中石のアレキは0.4キャラット台と大きさはございませんが、内包物は無傷と言って過言ではないほどのクリーンな石でございます。
またナリも色石にありがちなカットの歪みや偏りが無く、綺麗なシンメトリーを呈しております。
さて、その気になる色でございますが、自然光ではインディゴライトのようなブルーグリーン、白熱灯下ではロードライトを感じさせる赤色を呈し、はっきりと判別できる変色効果が認められます。産地証明付き鑑別書はございませんが、この色味よりブラジル産、あるいはそれに準じる高品質のアレキサンドライトと申せましょう。
勿論脇石のダイアモンドは中石の品質に準じ無色透明、形も相似の高品質のバケットダイアモンドが使用されている事は言うまでもございません。
この宝石にして、何とも言えぬ渋みをたたえた逸品、同好の志のお目に留りますれば幸甚に存じます。
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筆者:ハリー中野
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自己紹介
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1979年、大阪の老舗宝石店に入社以来、上は香港ペニンシュラホテルから、下は田舎の地場産業振興会館まで、
ありとあらゆる場所で宝石の伝道師としてジュエリーの普及に尽力。
現在はマルヨの姉妹店ドゥペールノエルにて正しい宝石の買い方からお手入れの仕方まで、
懇切丁寧な接客をモットーに主婦層を中心に幅広い支持を得るにいたる。
自称「宝石の伝道師」
「GIA(米国宝石学協会)」認定資格「GIA.G.G」保持
ドゥペールノエル退職済み
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担当業務
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宝飾品プロデュース、プロモート、コンサルト、商品コメント、ブロガー、Twitter
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元ベテラン店長のひとこと
このような神秘的な宝石をお洋服と上手にコーディネートされますとオシャレ度が一機にグンとアップしますのよ奥様。