コラム「日本の職人」
クリエイターインタビューVol.03

宮吉 みやよし 由美子 ゆみこ

2015/03/07 更新
九谷焼といえば五彩を用いた色絵という印象を持つかたも多いかもしれません。しかし、今回ご紹介する伝統工芸士の宮吉さんは、窯屋育ちの環境を活かした染付の技法で新しい表現を生み出しています。今回はその制作の裏側をお伝えさせて頂きます。
経歴

金沢美術工芸大学の工芸科陶磁器コースを卒業した宮吉さんは、日本橋髙島屋や小田急百貨店での展示会を重ね平成21年に国指定伝統工芸士に認定されました。その後も、東京や大阪で展示会を開くなど、精力的に活動されています。

棚の上には銀と染付の組み合わさった作品が所狭しと並べられていました。
染付と銀のコントラスト

はじめに、宮吉さんの作品の特徴は何でしょうか。

私の作品は、染付と銀のコントラストを活かした表現が特徴です。
よく東洋と西洋を混在させたような感じがすると言われるのですが、狙っているわけではなく、私の素敵だと思うコントラストが結果的にそのような印象を与えているのだと思います。
ちなみに、銀は酸化するのですが、それを抑えるために少し金を混ぜています。それでも食器ですから、長く使っていく内に銀の色は変化していきます。最初は混ぜた金の色が現れ、それからしばらくすると真鍮のような少し鈍い色に、更に使い続けると黒色へと変化していきます。このように使うほどに深みが増していくのも銀の魅力ではありますが、実は裏ワザがありまして。黒くなった銀にプラスチックの消しゴムで磨きをかけると元に戻るのです。そこは好みに応じてお楽しみいただければと思います。

青一色を巧みに使い、濃淡を表現しています。
青一色で濃淡を表現

酸化したものも味になるのは銀ならではの楽しみ方ですね。

そうですね。そういえば、昨年(2014年)の10月頃、女流作家だけの展示会に参加したのですが、そこに来られた一人の女性の方が黒く酸化した作品にずっと見惚れていたのが印象に残っています。銀の特徴をお話した所、納得した上でその場でお買い求め頂きました。
また、伝統本舗で扱っている お花畑のように銀を使わない染付だけの作品もありますが、染付は基本的に一色しか使っていません。作品を見ていただくと分かるのですが、青だけの絵付けでも濃淡があります。これは、釉薬の掛け方や呉須の濃さで少しずつ調節して表現しています。なので、作品を作る時はまず思い通りの濃淡を作る試験をしています。

訪ねた時はお花畑の鉢を絵付けしている最中でした。
染付へのこだわり

全体的に青色の作品が多いですが、何か思い入れがあるのでしょうか。

やはり実家が窯屋で1300度で焼けるのが染付に行き着いたからというのはありますね。 また、染付だと多くの方が手がけている九谷焼の色絵とはまた違った魅力で他の人に真似できない表現が出せると思ったのもありますね。
元々青色の絵付けはイスラムのラピスラズリという鉱物を溶いて使用したのが始まりとされています。そこから中国、ヨーロッパへと伝わっていきました。銀もヨーロッパではめでたい時に贈ったりしますし、海外旅行でもヨーロッパはぜひとも行ってみたい所ですね。だから作品に東洋と西洋が混ざった印象が現れているのかもしれませんね(笑)。

窯屋で育った幼少期からの生い立ちを伺いました。
伝統工芸士への道

窯屋で育ったということで、どのような経緯で作家を志すことになったのでしょうか。

実家が窯屋(宮吉製陶)で小さいころから焼き物に触れていたので、焼き物自体は好きでした。 高校2年の頃、ふと思い立ったように美術大学に行きたいと思うようになりましたが、周りにそういったデザインのことに詳しい親戚や友人がいたというわけでも無かったので、その事を話した時はもちろん驚かれました(笑)。
高校3年になってから金沢美術工芸大学(以下金沢美大)に入学するため、デッサン等の受験勉強を始めました。その結果、現役で合格することは出来ませんでしたが、一浪して念願の美術大学への入学を決めました。当時、金沢美大の陶磁器コースの募集枠は15人と非常に狭き門で、現役合格は本当に片手で数えれる程だったんです。
大学では1年、2年で色彩やレタリングなどデザインの基礎を徹底的に学び、2年の後半で焼き物の授業が始まりました。3年は焼き物の初めから終わりまでを一通り学び、4年で各々が卒業制作に没頭するといった感じで、本当に駆け足の4年間でした。当然、その頃はまだ自分の作風という確立したものはありませんでした。

作家を始めた当初のうさぎの絵付けを見せていただきました。
思わぬ転機

卒業後はそのまま作家の道に進んだのでしょうか。

実は、卒業後は縁あって結婚することになりまして、しばらく焼き物の世界から離れていたんです。子どもが出来てからは焼き物の世界に戻り、染付の器を作り始めました。独学で再スタートを切り、誰にも師事していないということもあり、当時の絵付けは今の縁起を担いだ絵付けや繊細な絵付けとは異なり、ポンチ絵から書き起こしたようなラフな絵付けでした。モチーフはうさぎなどです。

その後、九谷焼の世界で影響を受けた人はいますか。

そうですね、先ほど誰にも師事していないと言いましたが、私の大学時代は九谷焼の第一人者でもある北出不二雄先生が講師でした。家が近いという事もあって、絵付けを学びに行くことはありました。先生は当時80歳を過ぎていましたが、お宅にお邪魔するといつも熱心に制作に励んでおられました。ご飯をさっと平らげたらすぐに作業に戻るような方で、その作品作りに対する熱意に私も強く影響を受けました。

本棚には様々な種類の参考資料が並べられていました。
デザイナーであるということ

作品のアイデアはどのような所から来ているのでしょうか。

私はアーティストではなくデザイナーなので、あまりひらめきで作品を作るということはありません。女性たちが食卓で普段使い出来るデザインを目指して、図書館に通って絵柄の参考になる資料に目を通したり、世界の美術に関する書籍を集めるなどして引き出しを増やしています。
ただひらめきでいうと、結婚して子どもが出来た頃のうさぎの絵付けなどは、当時の子どものやわらかいふっくらした頬が本当に可愛くて、それが作品に出たのかもしれないという気がします(笑)。

終始笑顔で語られる姿が印象的でした
大切に使っていただきたいです

当店で扱っているお花畑シリーズなどをお使いいただく方へのメッセージをお願いします。

私は、世の中の女性たちが器も含めて料理が美味しく食べれるような空間を提供したいと考え、日常使いの出来る器を作っています。ご飯を食べた後に覗く底の絵付けや、器を持った時に見える絵付けを見て料理をより一層楽しんでいただければ幸いです。
また、作品を作る時は使っていただく方への感謝の気持ちを込めて一つ一つ丁寧に絵付けをしています。
丁寧に扱えば100年でも1000年でも持つものなのでぜひ毎日の食卓で大切に扱っていただければと思います。

ありがとうございました。

宮吉由美子さんが手がける作品を紹介

バックナンバー