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出会い

2005年、本格的な冬に入る少し前の、ある夜の出来事でした。

周りに何もない庭先で、兄弟で外でご飯を食べていた時です。
ガリガリにやせ細った子猫が何かを求めるように鳴きながら近寄ってきました(実際は子猫ではなく身体が小さかった)。
手に持っていた食べ物を与えると、本来猫の食べ物ではないものでも必死に食べていました。

「猫が食べるものではないものをこんなに必死に食べているほどお腹が空いている、こんなに痩せていては冬は越せないし、このまま置いていったら死んでしまう」と兄弟で話して、当時学生だった私も、ペット否定派だった母親を必死に説得しました。

そして冬に入る前に連れてきたから名前は「ユキ」という名前を兄が付けました。

それからすぐに動物病院に連れていき、検査をしましたが、ウィルス性の鼻炎のみで他は問題はなく、それから数年は喜びや、驚きを僕等に与えてくれました。


闘病

年に何回かの検査で、腎臓が悪化しているという検査結果が出て、兄弟で落胆していましたが、自宅で皮下点滴をすることにより、腎臓の数値が悪化することなく2日に1度背中に針を刺す事にも耐えてくれました。

しかし2018年の夏に首元を撫でていた時になにかしこりのようなものが出来ていました。
すぐに病院に連れて行くと、悪性のリンパ腫との事で、医師から「抗がん剤治療をしなければどんどん大きくなり、最悪呼吸が出来なくなる、また転移もする可能性がある」とのことで、1%でも治る見込みがあるなら、頑張ってもらおう、そして元気になったらまた、一緒に暮らせると思い治療に踏み切りました。

腎臓が弱っていたため、使える薬が数種類しかないらしく、4種類の抗がん剤を数回にわたり処方していただきましたが、全く効かない薬や、効くけど根治しない(完全に取り除けない)などの状態で、心が折れそうな状態でした。

15歳くらいの子なので、人間で言えばお婆さんでしたので、もうこんなに副作用で辛い思いをさせるなら、安らかにストレスなく過ごしてもらおうかと、兄弟で泣きながら話していました。

しかし、一度、治療をすると話して決めたので最後までやらなければ、治療を始めた最初の辛さが無駄になってしまう、そして元気になってもらいたいという望みに賭けました。


旅立ちと、今思うこと

神社にも毎日のように参拝し、ユキの回復を願い、最後は神頼み状態でしたが・・・12月3日に一緒に寝ていた兄に看取られ、虹の橋にのたもとに旅立っていきました。

もう動かないユキを見て、火葬中も出会った時の事を考え悲しみを堪えられませんでした。

しかし、いま思えば、治療中、半年間頑張ってくれたおかげで、僕たち兄弟に心の準備をさせてくれたのかもしれません。

姿形はなくとも、13年間過ごした思い出が、僕たち家族にはあります。
その思い出を忘れずに生きていく事こそが、供養になるのではないかと感じています。

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