このページはバックナンバーです。(2005年4月28日発行)

東映・松竹編 第1回

 空ひばりが初めてスクリーンにお目見えしたのが、昭和24(1949)年3月28日封切りの『のど自慢狂時代』。喜劇の神様、斎藤寅次郎監督のお眼鏡にかかってのゲスト出演だった。配給は大映だったが、製作は東映の前身である東横映画。エンタツ・アチャコ、ワカナ・一郎などの喜劇人と共に小さな歌姫はスクリーンに色を添えていた。

 の年の7月には、松竹映画『踊る竜宮城』に出演。大映の「狸御殿」に対抗してのSKD(松竹少女歌劇)出身の川路龍子らによるレビュー映画だったが、ひばりは可愛らしくデビュー曲「河童ブギ」を披露。頭に皿を載せ、戦後を象徴するリズム「ブギ」を歌うひばりの姿は、今観ても強烈なインパクトがある。

 「河童ブギ」の音楽監督をつとめていた万城目正が、ひばりのために書いたのが「悲しき口笛」。『踊る竜宮城』から三ヶ月後の10月19日には、家城巳代治監督による同名映画が封切られた。トップハットにタキシード、男装の麗人スタイルの少女が歌うスローテンポの曲は、さらなるインパクトがあったことだろう。フレッド・アステアや歌劇スターもかくやのスタイルで、大人びた仕草を見せるひばり。「悲しき口笛」のレコードは、50万枚を超す大ヒットとなった。

 、昭和25(1950)年4月8日には、ついにひばりを主演に迎えた『放浪の歌姫』(松竹)が作られている。戦前の喜劇スター杉狂児と、戦後「破壊された顔の所有者」のフレーズで大人気だった落語家・三遊亭歌笑らが共演。コメディでは『のど自慢狂時代』でひばりを発掘した斎藤寅次郎監督の傑作『東京キッド』(松竹・50年9月9日公開)を忘れてはならない。

 児であるひばりと、貧しくとも明るく生きる川田晴久のギター弾き。彼らが住むアパートには、エノケンの易者など奇妙な住人たちが賑やかに暮らしている。孤児のひばりが、ハワイで成功した花菱アチャコの父親と再会してのハッピーエンドを迎えるまでのストーリーは、結構ウエットなのに、さすが斎藤寅次郎。次々と繰り出されるナンセンスなギャグは、観客に明るい笑いをもたらした。本作以降、昭和20年代末までひばりは松竹映画をフランチャイズとして活躍することになる。
(第2回(5月16日発行)に続きます。お楽しみに。)

佐藤利明(娯楽映画研究)
 

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