このページはバックナンバーです。(2005年3月31日発行)

ひばりin東宝映画(上)

 「明るく楽しい東宝映画」とは、東宝系の映画館に掲げられていたキャッチコピー。不世出の天才歌姫・美空ひばりが、東宝系のスクリーンに初めて登場したのが、昭和30年の『ジャンケン娘』(55年11月1日公開)だった。それまで新東宝、松竹、東映と各社でおよそ60本近くの映画に出演。ティーンにして映画界のトップスターの一人だったわけである。スクリーンで歌うことが必須の「歌う銀幕スター」は、東宝にとって喉から手が出る程欲しい逸材でもあった。

 の第一作となった『ジャンケン娘』は、当時としてはまだ珍しいイーストマンカラー。同世代のスターである雪村いづみ、江利チエミとひばりを競演させるというアイデアは、ひばりの名プロデューサーだった福島通人によるもの。
クライマックス、後楽園のジェットコースターに乗ったひばりたちが「素敵なランデブー」を歌うシーンの楽しさは、「明るく楽しい」東宝ならではのもの。
 続く『歌え!青春 はりきり娘』(55年12月28日公開)は、音痴のバスガイドに扮したひばりが、本物とご対面。なんと歌唱指導を受けてしまうという展開。「リンゴ追分」をわざと調子っぱずれに歌う姿は、コメディエンヌとしての才覚を感じさせてくれる。有楽町のランドマークだった「日劇」からの中継で、「ペンキ塗り立て」を歌うシーンがあるが、こうしたノヴェルティ・ソングもまたひばりの味。

 二役といえば、東宝傍系の宝塚映画で主演した『恋すがた狐御殿』(56年5月17日公開)がある。中村扇雀(現・中村雁治郎)との競演には、それまでのミュージカルコメディとはひと味違う、しっとりとした大人の魅力があった。「狐御殿」とは大映の「狸御殿」に対抗したわけではないだろうが、昭和33年にはズバリ『大当り狸御殿』(58年2月26日)に雪村いづみとともに主演。松竹でも出演した「狸御殿」だったが、男装の若君・狸吉郎に扮した若侍ぶりが際立っていた。

 宝は宝塚や日劇ダンシングチームなど、ショウビジネスの中心にあった会社だけに、ミュージカルやレビュー場面がゴージャス。ひばりの風格と会社のカラーがうまく一致し「明るく楽しい」ひばり映画が連作されることになる。

佐藤利明(娯楽映画研究家)
 

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