このページはバックナンバーです。(2005年4月28日発行)

ポピュラー・ミュージックの女王・美空ひばり その1

 「悲しい酒」以降の活動の印象からか、美空ひばりのことを<演歌の女王>と称するメディアは少なくない。しかしそれはあまりにも認識不足である。確かに昭和40〜50年代にかけては、演歌系のナンバーが多いし、もちろんそれらも絶品だが、彼女の歌うジャズがどれほど素晴らしいかを知っていれば、とてもそんな狭義な形容は出来ない筈。なにしろデビュー曲からして「河童ブギウギ」なのだ。本質的に演歌の人であろうはずがない。

 和30年代のひばりは、ジャズのスタンダード・ナンバーやポピュラー・ソングのカヴァーに抜群のフィーリングを見せた。そして並行してレコーディングされたオリジナル・ソングにも、洋楽テイストに溢れた魅力的なナンバーがたくさんある。それらを時代を追って振り返ってみたい。

 ビュー曲の後、昭和25年には「拳銃ブギー」「あきれたブギ」、さらに翌年の「泥んこブギ」とブギものが続いた。作曲は万城目正ら。デビュー前、笠置シヅ子の「東京ブギウギ」を得意のレパートリーとしていたためだろう。その作者である服部良一は、26年に「銀ブラ娘」をひばりに書き下ろしている。服部がひばりに曲を書く機会はその後途絶えてしまうが、代わりに弟子筋にあたる原六朗が、後世に残る傑作ナンバーを誕生させる。

 れが27年の「お祭りマンボ」である。リズムを重視したナンバーでは最初のヒット曲といえる。原は3枚目のシングル「私のボーイフレンド」、翌26年の「陽気なボンボン売り/私は街のメッセンジャー」に続いての起用になるが、作詞・作曲を手懸けたのはこれが初めて。以降の氏の作品は大部分が詞と曲兼任で、後の浜口庫之助や平岡精二など、ポピュラー畑出身作家の特徴のひとつとなってゆく。この曲が凄いのは、最後にしっかりオチがつくところである。ノヴェルティ・シンガーとしての美空ひばりはこれで確立した。(第2回(5月10日発行)に続きます。お楽しみに。)

鈴木 啓之(音楽評論家)
 

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