このページはバックナンバーです。(2005年3月31日発行)

ひばり・チエミ・いづみ三人娘について その(1)

 1950年代の映画界と歌謡界を席捲した若きスタア、美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみは、その後数々登場することになる<三人娘>の元祖的存在。3人は偶然にも年齢が一緒だが、デビューの時期は美空ひばりが断然早い。チエミ、いずみは既にスタアとなって活躍していたひばりに憧れを抱きつつ、相次いでデビューを果たしている。

 ずは逸早くデビューしていたひばりのプロフィールから紹介せねばなるまい。1937(昭和12)年5月29日神奈川県横浜市で生まれた加藤和枝は、幼少時から素人楽団で唄を披露し、46年に横浜アテネ劇場で本格的な初ステージを踏む。この時はまだ半分本名の美空和枝だったが、翌年からは美空ひばりを名乗り、48年に横浜国際劇場に初出演した際には笠置シヅ子のブギウギなどを器用に歌いこなし、天才少女歌手出現と騒がれた。翌49年には東映の『のど自慢狂時代』で映画初出演。そして出演3作目の松竹映画『踊る竜宮城』挿入歌となった、初のオリジナル・ソング「河童ブギウギ」でコロムビアから念願のレコード・デビューを果たし、続く「悲しき口笛」のヒットで正式にコロムビアの専属歌手となったひばりは、「東京キッド」「あの丘越えて」などのヒット曲を連発して、スターの地位を不動のものにしてゆく。

 ばりソングを語る上で重要な作曲家、米山正夫の作による「リンゴ追分」もやはり映画主題歌で、52年のヒット。そしてその年に「テネシー・ワルツ」でキングレコードから江利チエミがデビューする。その背景には、空前のジャズ・ブームがあった。51年の日米講和条約締結によって米軍の引き上げが始まり、それまで基地を主な演奏の場としていた多くのバンドが、コンサートなどへ活躍の場を移したことがきっかけ。チエミはそんな時代の申し子となり、ひばりの歌手活動にも大きな影響をもたらすことになる。

鈴木 啓之(音楽評論家)
 

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