このページはバックナンバーです。(2005年3月21日発行)

【第4回】美空ひばりがジャズを歌った1950年代から'60年代にかけてのジャズ・シーンは・・・

 本では'53年頃から空前のジャズ・ブームが起こり、「ジャズの祭典」が開かれ、この年の9月には日本のジャズ・ライブ・ハウスの草分けともいうべき“テネシー”が開店した。そして11月には大スターぞろいのアメリカのジャズ・グループJ.A.T.P.が来日し、オープン・カーによる歓迎パレードが銀座で行われ、日劇で公演が行われた。

 して翌'54年には文化放送で「トリス・ジャズ・ゲーム」の放送が開始され、ジョージ川口とビッグ・フォーの人気はさらに全国的になった。'55年頃から美空ひばり、江利チエミ、雪村いづみによる歌う三人娘の人気が高まり、ステージで歌っただけでなく、青年ジャズ娘ものとして、いくつかのミュージカル映画に出演し、三人娘の人気は空前のものとなり、当時映画館に通ってよく観たものだ。'55年にはひばり、チエミ、いづみ「ジャンケン娘」が、'57年には「大当たり三人娘」が、そして'64年には最後の三人娘ものとして「三人よれば」が制作されている。また、ひばりは単独で'55年にミュージカル・コメディ「歌え青春はりきり娘」に出演し、「ひばりのチャチャチャ」や「リンゴ追分」を歌っている。したがってこの時代のひばりには十分にジャズを歌う必然があったといえるのではなかろうか。

 ばりはジャズ・バンドで歌うのが大好きだったが、1956年(昭和31年)からは、新しく結成された小野 満とシックス・ブラザースと一緒に歌い、ツアーすることも多くなり、よく横浜のひばり御殿で練習したものだった。当時のこのグループは小野 満(ベース)、北村英治(クラリネット)、増田一郎(ヴァイブ)、チャーリー脇野(ギター)、大田幸雄(ピアノ)、佐藤いさを(ドラムス)と最高のメンバーをそろえたジャズ・バンドだったので、ひばりがジャズを歌うにはもってこいのバンドだった。小野 満はかつてジョージ川口とビッグ・フォーで鳴らしたトップ・ベーシストであり、ひばり小野 満のよき指導を受け、ますますジャズがうまくなっていったに違いない。ひばりがジャズを歌ったのも、当時のジャズ・ブームが背景のひとつになっていたのだとおもう。そして、なによりもひばりがジャズ好きだったのを強く感じる。それは喜々として心から楽しんで歌っているからだ。

岩浪洋三(ジャズ評論家)
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