わざと、クラックを入れ
表情を出した商品
器にヒビが!?(貫入・クラック)
釉薬の表面にヒビ割れが入っている事があります
(不良品ではありません)
陶器が窯の中で焼かれた後の、冷却の過程で素地も釉薬も収縮します。
その時の収縮率が陶器本体の素地と釉薬とで異なり、この差が大きいと釉薬がヒビ割れの様な状態で固まります。

これが貫入やクラックと呼ばれるものです。
日本では薩摩焼・栗田焼・萩焼などが有名で、アンティークの器にも見られます。

磁器には起こりにくいですが、陶器には多くみられます。
"陶器の味"と考えてお楽しみ頂ければと思います。



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該当商品が完売している場合は
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コンソールって何?
コンソールとは『console tabele(コンソールテーブル)』のことで
17世紀末に現れ、フランスやイギリスで18世紀に流行しました。
壁に取り付けられる幅の狭い棚のようなテーブルのことを指します。

フラワーアレンジやお気に入りのオブジェをディスプレイする
ステージと考えると分かりやすいでしょうか?(写真上)

レジン製のコンソール(写真下)は壁掛け式でテーブルというより
ちょっと小ぶりな飾り棚といった感じ。

ミラーの下に取り付けて、ちょっとしたメイク小物やアクセサリー
オブジェなどをあなたのセンスでディスプレイしてみてくださいね。



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どうしてポルトガルでニワトリ?
ポルトガル土産としてよく知られている
GALO DE BARCELOS(バルセロスの雄鶏)はポルトガルでは「神のご加護と幸運」が受けられるお守りとして知られています。このニワトリにはちょっとした伝説が・・・。


昔々、 スペインのサンチアゴが聖地として盛んに巡礼されていた頃 ポルトガルのバルセロスは サンチアゴへの通り道として多くの巡礼者が訪れていました。
当時、盗みが横行していたこの地にある巡礼者が通りかかります。彼は運悪く、窃盗の罪を着せられ処刑されることになってしまいました!

「私は無実です!どうか神のご加護を・・・」彼は祈りました。
祈りが届いたのでしょうか?彼は判決を下した裁判官に会うことを許されます。そこで彼は言いました。

「私は無実です!その証拠に明日の朝、私が刑に処せられる時、私の無実の証として、この丸焼きの雄鶏が鳴きだすでしょう」
翌朝、処刑の時間に丸焼きの雄鶏はむくっと起き上がり
「コケコッコ〜〜」と鳴きだしたそうです。


かくして巡礼者の疑いは晴れ、彼の窮地を救った雄鶏は「神のご加護と幸運」が受けられるお守りになったのでした。 めでたしめでたし!
これはポルトガルで最も有名な伝説のひとつで、ニワトリはポルトガルの国鳥にもなっています。

ヴェネツィアのマスケラ
イタリアの水の都ヴェネツィアで有名な、ヴェネト州の伝統的なお祭り【THE VENETIAN CARNIVAL】

このお祭りは、謝肉祭といわれ2月から3月頃、肉食が禁じられる四旬節(復活祭前の40日間)を迎える前に 祝われるものです。

この時期ヴェネツィアは、色とりどりの仮装と豪華な仮面"maschera(マスケラ)"をつけた人々が街をうめ尽くします。
観光客も、思い思いの仮面と扮装でお祭りを楽しみます。


ヴェネツィアでは中世よりこのカーニバルが盛んで、
サン・マルコ広場を舞台に仮装した人が 曲芸やダンス、牛追いなどの催しを 楽しむ様子が多くの絵画などにも描かれています。
花の大聖堂 Santa Maria del Fiore
フィレンツェの大聖堂は市民にはドゥオーモと呼ばれている。

4世紀に最初の教会が建てられ、
11世紀にはロマネスク様式のサンジョバンニ洗礼堂、
1296年にはアルノルフォ・ディ・カンビオによってイタリアン・ゴシックの教会堂、
1334年にはジョットーの鐘楼、
1436年にはルネッサンス様式のブルネレスキによる大円蓋が完成した。
そして、19世紀末、現在の美しい外観がE.ド・ファブリに
よって完成。


大聖堂は名実共に街の中心(Centro)にあり、道路が建物を周回し、そこから街路が放射する。
300m南に位置するシニョーリア広場(ヴェッキオ宮殿、ウフィッツ)のと間は、フィレンツェの目抜き通りで、有名店が軒を並べている。
ヘローナの木彫サンチョパンサ像
スペインのラ・マンチャで平凡に暮らしていた田舎紳士が、
騎士物語を耽読しているうちに理性を失い、自ら遍歴の騎士となることを夢想する。
そして、父祖伝来の武具を取り出し、ロシナンテと名づけた駄馬にまたがり、自らドン・キホーテ・デ・ラ・マンチャと名乗って、ある晩こっそりと家を出る。

隣村の百姓女にドゥルシネーア・デル・トボーソという貴婦人の名をつけ、彼女への思いを胸に秘めた彼は、冒険を求め旅をする。そうして宿屋や森で騒動を引き起こすうちに、村の者が彼を見つけて連れ帰る。

家政婦は、彼が眠っている間に そのいまわしい蔵書を焼き払ってしまうが、目覚めた彼は、これも幻術師の仕業と思いむ。
それでも遍歴を断念できない彼は、百姓サンチョ・パンサを従者に引き立てて再び旅に出る。しかし、再び村の者が彼を見つけ、今度は檻に入れられて村へと帰還する。

周囲の心配をよそに、またもや遍歴の旅に出たドン・キホーテとサンチョ・パンサ。
ある公爵の居城に迎えられるが、彼らの狂人ぶりを知る公爵夫妻に弄ばれることになる。
やがて遍歴を再開した彼らは、親友サンソン・カラスコが変装する騎士に戦いを挑まれる。
ドン・キホーテの身を案じた親友が、彼を連れ戻しに来たのである。
あえなくこの騎士に征服された彼は、1年間武器を取らないという約束をして村へと帰るが、まもなく病の床につく。
ポルトガルの絵タイル(アズレージョ)
ポルトガルではタイルのことをアズレージョといいます。

ハンドメイドでもマシンメイドでもあるいは、柄が付いていても、付いていなくても、タイルのことをアズレージョと呼びます。

確かにポルトガルのアルコバッサ(Alcobaca)地方の陶器はタイルに限らず青一色で描かれたものが多いから、青=AZULからAZULEJOとなったと思われがちですがこれは間違いです。
8世紀の前半から北アフリカから侵入してきたアラブ人は
ラテン・モザイクのことをZULIZと呼びます。
イベリア半島では、もとは動詞だったZULIZから新たに名詞のAZZELIJという言葉ができました。
イベリア半島におけるアラブ人支配は15世紀まで続き、(ポルトガルにおいては13世紀)、
AZZELIJがしだいにAZULEJOと変わっていったのです。