Birth age
1973年11月19日生まれ
Blood Type O型
Career
大学進学と共に上京。 卒業後、自由が丘のメンズ・セレクトショップの販売員に。その後8年間、メンズの洋服中心に都内百貨店に勤務。以後、BAG専門店『BIB』にバイヤー&店舗責任者として勤務しながら、ハンドバッグのnet-shopを楽天モールに計画。『上野悟×THE BAG SHOP』をOPEN、現在に至る。

はじめまして、上野悟バイヤー(Buyer・仕入責任者)=店舗管理者です。このサイトの商品は、全て僕が選んでいます。だから、自分がどんな人間なのか知っていただきたいと思います。

ファッションとの出会いは幼いころから…。僕の親と先代もあわせて100年も続く老舗の服飾雑貨店、アメリカ・ヨーロッパの雑貨・服・ハンドバック…いっぱいだった。お店と自宅が一緒なので、毎日、いやでもそのときの”時代のトレンド“を見ていた。

そんな中で育ったもんだから、洋服が好きで、人からカッコ良く見られたいと、そりゃぁまあ頑張ってた。当時、そこそこイケてると自負してたし、女の子にもモテてた方だった。そんな「ちょっと自信過剰の田舎者」が大学に入りTOKYOに住んだ。ひどい目に遭った。周りを見ればカッコイイ人・人・人!!ダサい奴なんか全然いないんだ。自分はただの田舎の小ヤンキーだと気付かされた。

ある日、自由が丘にアパートを探していたら、ひと際目立つメンズの洋服屋があった。スタッフらしき人が店の前で偉そうにタバコふかしてる。その態度は、故郷の親父のお店とゼンゼン違う…その無礼さがかもし出す異様な雰囲気にビビッて店の前を行ったりきたり…でも何とかその店に入り、店長さんに「…僕をカッコ良くしてください」ってお願いした。今から思えばいいカモだった。インポートの高いものばっかり勧められて…でも好きだから買っちゃう。親からの仕送りとバイト代、ほとんどここに注ぎ込んじゃった。

卒業後、ここで働くことになるんだが…厳密にいうとこれが、今の自分につながる、ファッションとの出会いかな。
僕の親父はね…東京に出張して来たとき僕と会う度、しばらくは僕の洋服を黙って見ていた。それがある日、出て行くなり戻ってきて、キャビアとドンペリ、シャンパングラス二つ買ってきて祝ってくれた、「おめでとう」って。中学生の頃から何かあれば、美味しいもの、いいモノを教えてもらった。「骨董屋のオヤジは小僧に、修行時代はいいモノしか見せない。いいモノ見ればダメなモノが判ってくる」って。親父はB級グルメも好きだった。焼肉。ラーメン、オムライス…ただし、旨くなければ許さなかった。両方の軸足を持っていた。

お客だった頃とは大違い、働いてみると体育会系ソノモノ、相当厳しかった。1日にお客様が10人と来店されない。その中でみっちり「販売」を叩き込まれた。最初は「いらっしゃいませ」が恥ずかしくて言えなかった。毎日、辛くて辛くて…でも1年半後か…僕はその店1番になっていた。

「バイヤーはサイコーと思って商品を仕入れている。信じてお客様にお勧めしなさい。目の前にある商品を、目の前のお客様に喜んで買って頂くことができるなら、君の現在も将来も何だってできる。」毎日毎日、そう教え続けられた。この話を出張してきた親父にすると、親父は酒を酌み交わしながら、“お客様が教えてくれる。絶対に売り場を大切にしろ、売り場から離れるな。”って、僕もその通りだと思っている。

だから僕の7年間、メンズでの仕事は売上げ第一主義。店舗責任者になるまで、嫌というほど「販売」そのものに自分を特化させた。仲間や先輩、誰にも負けなかった…おかげで販売員として名を残した。24時間都市・TOKYOで存分に生きた。大切な友もできた。ファッションに関するネットワークも当然確立された。ここで経験したこと、身に付けた能力は何物にも換え難いものばかりで、今現在の僕のベースになっている。でもこれだけじゃ、何か物足りない様な気がしてて…。

僕は、最初「自分」にこだわったから、メンズを切り口にファッションの世界に入った。そして今回、メンズからレディースへ…どっちにしたって、必ず異性の存在がキーワードになってるでしょ?“女性から見てオトコにはこんな身の飾り方をして欲しい”、また“男から見た女性に捧げるギア”… 僕はオトコのバイヤー、BAGというツールを使って、女性のライフスタイルに関わっていきたい。

そのことで、あなたがハッピーになってくれるんだったら、僕はその倍ぐらいハッピー!!
だからバイヤーやってけるんだ。