約1500年前の古墳時代、朝鮮半島から伝来した窯で焼いた須恵器(1)の生産が猿投窯(現在の愛知県名古屋市東部から豊田市西部、瀬戸市南部から刈谷市北部)で開始された。良好な陶土に恵まれたこの土地で、平安時代には本格的な灰釉陶器(2)生産へと移行し、高級食器として流通する。
その後、鎌倉時代に加藤四郎景正が宋から施釉陶器の技法を伝えたのが、瀬戸焼の創始といわれる。当時の製品は中国から輸入される磁器を模倣したものが多く、優美な印花文や画花文を施したものが多いが、室町時代に入ると椀、皿、鉢といった日用雑器の生産が多くなる。
江戸時代になると、肥前の有田を中心に始まった伊万里焼に総称される磁器に市場を奪われ、瀬戸焼は衰退する。 しかし1810年頃、有田で磁器製法を学んだ加藤民吉がその技術を瀬戸に伝えたことから本格的な磁器の生産が始まり、後に主流となる。民吉の尽力により、瀬戸は陶磁器のまちとして栄光を取り戻した。 更に尾張藩が瀬戸焼を広く流通させたことで、江戸、大坂、京都を中心に各地で売れた瀬戸焼は「三国一」と称えられた。

※「三国一」……日本、唐(中国)、天竺(インド)の中でも一番という意味。つまり世界一の意味。
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